赤葦と話した次の日、わたしは学校を休んだ。
そしてゆっくりゆっくり時間をかけて、今までの気持ちを自分なりに整理していた。

出会ってから付き合って一緒に過ごして別れるまで。まるで一年を通して四季が巡るみたいに、わたしの頭の中で何度もそれが繰り返された。
彼と顔を合わさない日々が、こんなにも生きにくいなんて知らなかった。
別れというものに縛られないでって赤葦は言ったけれど、わたしの中で"別れた"という事実は重くのしかかって簡単に取れそうになかった。

何度も何度も部屋の時計を見ては、なかなか進まない針に苛立ちを覚えた。そうしてようやく、学校が終わる時間になった。
怪しまれないように制服に着替えてから家を出て、向かう場所は一つしかなかった。
周りが学校から帰っていくなか、わたしだけが学校へと向かっていた。
不審な目を向けられたけれど、顔見知りに会ったときは忘れ物をしたと言い訳すればすぐに納得してくれた。あんなふうに簡単に、わたしも納得できたのなら、こんな苦しい気持ちを抱えたまま過ごすことはなかったのに。

体育館に向かう足が思うように歩いてくれない。一歩を踏み出すのがこんなにも重たくて辛いなんて。あの時別れを切り出した彼も、今のわたしみたいに重くて辛かったんだろうか。それを今から彼に聞くために、わたしはここに来たのだから。

体育館の壁に背を預けて、彼らの声を聞きながら目を閉じる。
その中でも一際大きく、そしてはつらつと聞こえてくるのは耳によく馴染んだ彼の声だった。
その楽しそうな声を聞くだけで彼がどういう表情をしているのかわかってしまう。その顔を思い描いて、知らず知らずのうちに自分まで少し笑ってしまう。
そんな彼の、あの日の死んだような沈黙は、本当に耐えられるものではなかった。

"あの人の行動は全部、名字先輩のために繋がっています。全部が全部、当たり前じゃない。木兎さんだから、で終わらせるものでもない。すべての意味に、名字先輩がいて初めて成り立ってたんですよ。"

ねぇ赤葦。それが本当に本当なら、それは彼だけじゃないよ。わたしだって、それは同じことだったんだ。
わたしのとる行動のすべての根本に彼がいたことは揺るがない事実だけれど、それを知る人がいなかっただけ。彼にも、それは伝えてないし、伝えることでもなかった。
それがわたしの当たり前になっていたし、それが普通になってしまったから、疑いようがなかった。

彼と別れた今、わたしは何のために動いて、何のために生きればいいのだろうか。
そこまで考えて、それが彼にとっての重荷であると理解した。もしそれを理由に別れを切り出されたのなら、残念だけどわたしに成す術はない。

「あれ?名字?お前今日休みだったよな?」

サッカー部のユニフォームを着たクラスメイトに声をかけられてハッとした。
わたしの頭の中ではクラスメイトに見つかったことよりも、自分だけじゃもう解決できそうにない問題でいっぱいいっぱいだった。

「あのさ、聞きたいことがあるんだけど、聞いてもいい?」
「え?俺に?」
「今好きな人いる?」
「はっ!?え!?と、唐突だな!」
「いる?」
「えー…、や、まぁ…、いるっちゃいる…けど…」
「その好きな人と付き合えたとして、いろいろあって別れたとして、まだ自分が好きだった場合ってどうするの?」

わたしの問いかけに、今まで照れたように顔を背けていたクラスメイトが、急に真剣な顔でわたしを見た。

「………、そのどうするってさ、どうやって諦めるかってこと?それとも足掻くかってこと?」
「え…?」
「木兎とのことだろ?名字が言ってんのって。詳しい話は俺も知らないけどさ、名字が諦めたいなら俺は協力してやるよ」
「協力って?」
「俺と付き合えばいい」
「えっ…」

わたしと彼のことは周知の事実なんだと実感した。
そのうえで、わたしが彼のことで悩んでいると知ってなお、クラスメイトの出した提案に戸惑わずにはいられなかった。

「人恋しさを求めて寂しいなら別の誰かで埋めればいい。別にそれは木兎じゃなくても寄り添ってくれる人がいりゃ誰でもいいわけだからな。でもそうじゃないだろ?名字は木兎じゃなきゃダメなんだろ?」
「…っ」
「ならもう俺に聞かなくてもわかるだろ?足掻くしかねーじゃん。足掻きとおして、それでも無理なら潔く次に行け。じゃないとお前、一生幸せになんてなれないぞ」

そうだ。はじめから、わたしに選択肢なんてないんだ。
諦めることができない。忘れることもできない。だけど彼が出した"別れる"という答えを理由に、足掻くことすらしなかった。
いつだって本気でぶつかってきた彼のように、今度はわたしが彼にぶつかって、それで駄目だったとしても、今よりきっと清々しい気持ちになれるはずだ。
とんでもない伏兵に背中を押された気分だ。

「随分と、ロマンチックなこと言うんだね」
「茶化すなよ。こっちは真剣に言ってんだ」
「うん、ありがとう」
「ま、協力だろうがなんだろうが、名字が他の奴と付き合うことを許さないやつがいるわけだし。俺の出る幕は最初からねーよ。そうだろ?木兎」
「っ!?」

クラスメイトの視線を辿って後ろを振り返れば、少し高い体育館の入り口に突っ立って、わたしたちを見下ろす彼の鋭い視線がそこにはあった。
一瞬にして背中に汗をかいたし、心臓がバクバクと早くなった。こんなに怒った彼の表情を見るのは、実に三度目だった。

「そんなに怒んなよ。まだ手ぇ出してねーだろ?っていうか、別れたって聞いたけど?ならなんでそんなに怒るんだよ」
「そう見えるか?」
「それどっちに対して?」
「………」
「いや、やめようぜ。こんな意味のないやり取り。俺は部活に戻るし、名字とも普段通り、ただのクラスメイトのままでいいから。じゃあな」
「え、ちょ、待っ「名字も、明日はちゃんと来いよー」

そう言ってグラウンドのほうへ戻っていく背中を引き止めたい気持ちでいっぱいだったけれど、それを許さない彼の無言の圧力が凄まじかった。彼の視線が痛いほどわたしに突き刺さるのに、わたしは怖くて彼のほうを向けなかった。
最初からわたしの存在に気付いてたとは思わないけれど、いつからそこにいて、どこから聞いていたのだろうか。それを確かめることですら、今は怖くてできそうにない。

体育館の中からは他の部員の声が聞こえるけれど、彼の声はしない。
それがなんともいえない違和感を作り出す。

「名前」

呼ばれた名前が本当にわたしの名前なのかと疑いたくなるほど、久しぶりに彼の声で呼ばれただけで涙腺が緩む。
心臓の底から、足のつま先から、両手の指先から、頭のてっぺんから、言い知れぬ感情がぶわりと全身を駆け抜けた。

「終わるまで待ってろ」

声を出したら泣いているのがバレるので、首だけで頷くと、彼は何も言わずに体育館へと戻って行った。

別れを告げられて三日。たったの三日しか経ってないというのに、わたしはもう実感していた。実感して、それが確信に変わって、もう一度改めて受け止めた。
そうだよ、何をどうしたって、誰に何を聞いたって、自分がいくら考えたって、この答えだけは変わらないんだ。

あなた以外のなにもかもがどうでもよくなっちゃうくらい

心底好きなんだって、再認識しただけ。


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