「休んだんだって?」
彼から発せられた第一声はそれだった。
一瞬、何を問われたのかよくわからなかったけれど、彼の質問を頭の中で繰り返して今日のことだと理解した。
彼はわたしが学校を休んでいたことを知らない。きっとあの後木葉にでも聞いたのだろう。
「なに?風邪?」
「………うん」
「んなわけねーだろ。なにナチュラルに嘘ついてんだ」
知ってるなら聞かなくてもいいじゃん、と悪態つきたいけれどつけない。あまりにも彼の態度が普通すぎて、わたしの思考回路が追いつかない。
これじゃあまるで、別れる前に戻ったみたいだ。そんな錯覚、ほんとやめてほしい。
「ま、理由はだいたいわかってるけどな」
「………」
「けどまさか、お前がそんなに俺のこと好きって知らなかったぞ!」
「…うん、わたしも、自分でもびっくりしてる」
「は」
実際、付き合ってる期間もちゃんと好きだった自覚はある。けれどわたしも彼もお互いが好きだということをなんとなく理解はしていたけれど、言葉にして言い合うことは少なかった。
それをいつだったか友達に言ったら、木兎なんかしょっしゅう好きだって言いそうなのに、って驚かれたことがある。確かに彼は口数が多くてストレートな性格だけれど、ここぞというときにしか"好き"だなんて言葉は言わなかった。
わたしはもともと自分の気持ちを言葉にするのが苦手だったし、尚更"好き"だなんて改めて言うのは恥ずかしいものがあって片手に収まるくらいしか言った記憶がない。
だからこそ、言った時と言われた時の記憶が鮮明に残っているのかもしれない。
けれど今は、今だけは恥ずかしいからとか苦手だからとか、そういう理由で自分の気持ちを話さずに終わるのはダメな気がした。
あのとき彼の口からちゃんとした理由を聞かなかったことを後悔しているくらいなんだから、せめてわたしの気持ちだけは彼に届けたいと思った。
今更って思われるかもしれないけれど、わたしが一歩踏み出すことで彼の気持ちを知ることができたのなら、たとえ別れた事実が覆らなくてもいいと思った。
「自分が思ってた以上に光太郎のこと好きだったみたいだし、それは他の誰かで埋められるものじゃないんだって思い知らされた」
「え」
「今日休んだはずの学校に来たのは、光太郎に聞きたいことがあったから。わたし、光太郎が別れようって言ったとき、ろくに理由も聞かないでわかったって言った。でも全然わかってなかった。あの場から一秒でも早く逃げだしたかっただけで、何一つわかったことなんてなかった。赤葦に言われたの。落ち着いたら理由を聞いてくださいって。だから今日一日考えて落ち着いたから、聞こうと思って会いに来たの」
だから、教えてくれる?
そう言って彼のほうを見ると、彼はわたしの七歩後ろで止まっていた。言葉にならないビックリマークが彼の周りで飛んでいるような、そんな驚き方のまま固まっていた。
「どうしたの?」
「そっ!それはこっちの台詞だっ!お前がどうしたの!?」
「なにが?」
「お前っ、今凄いこと言ったけど!?俺はそれをどう受け止めたらいいわけ!?」
「そんなこと言った?」
「言った!!」
「どのへん?」
「え!………、全部?」
「はぁ?」
彼に言われて、自分の言葉をもう一度思い返してみたけれど、彼があんなに驚くほどのことを言ったとは思えなかった。
でも、もしかしたら、言ったのかもしれない。
わたしは本当に言葉が足りなくて、いつも彼の話に耳を傾けていただけだ。彼の紡ぐ愛ばかりを受け止めて、わたしはただ同じだよと頷いていただけだ。
そこで強要しない彼も、なんだか彼らしいようで彼らしくないと、今になって思った。
「光太郎、どうしてわたしと別れようって思ったのか、聞いてもいい?」
「………それを今聞いて、お前はどうするんだ?」
「どうって…、だって赤葦が…」
「赤葦が聞けって言ったから聞くのか?お前自身が知りたいって思ったから聞くのか?」
「赤葦に聞けって言われて、最初は嫌だって言った。そんなの今更聞いたって、わたしたちの関係が元通りになることはないからって」
「!」
「でも、わたしはわたしが傷つきたくないからって理由で逃げてただけで、あの日の光太郎を思い出したら、聞かずにはいられなくなったの」
「あの日のオレ?」
「あの静寂は、いつもの光太郎を見慣れている側からしたら、結構辛いものだったよ」
はたから見れば普通に話しているように見えるかもしれないが、実際わたしの心臓はバクバクと忙しなく動いていた。
嫌な汗が流れるし、今すぐにでも走ってこの場から逃げたい気分だし、いつもどうやって彼の目を見れていたのかもわからない。真正面から向き合うことが、こんなにも足が竦むことだって知らなかった。
あぁ、怖い。彼の口から、真実を告げられるのが、それを聞くのが本当に怖い。いっそ今すぐ死んでしまいたいくらいに。
「名前…ごめん…」
彼の声で呼ばれるわたしの名前は、今日が命日かもしれない。
明日からはきっと、彼に出会う前のわたしたちになる。
いやだ。そんなのは凄くいやだ。心臓が痛い。千本の針が突き刺さったように痛い。
「やっぱりオレ………、お前が好きだ…」
わたしだって好きだ。だからこそ彼の口からもう一度否定的な言葉を聞くのが死ぬほど辛い。いっそここで殺してほしい。
告げられた言葉を何度も何度も脳内で再生させて、意味を理解しようとフル回転している。ん?あれ?
わたしたちの横を車が、自転車が、通行人が通り過ぎていく。薄暗い空は微かに太陽の赤みが残っていて、鳥が巣へと帰っていく。彼の凛々しい目が、わたしの瞳の奥を貫いていく。
嘘でしょう?こんなの、わたし、自分に都合のいい夢を見ているだけだ。
わたしは彼に別れを告げられた。その理由を今日聞きにきたはずなのに、あの日のように彼の口から好きだと告げられている。
覚悟をしたのに、ぐらぐらに揺らいでいるわたしの心情に追い打ちをかけるように、彼はゆっくりと、はっきりと、ちゃんとわたしに届くようにもう一度言った。
「名前…、好きだッ!」
夢じゃないのなら、これが現実なら、今すぐ彼の元へ飛び込んでも本当に許されるのだろうか?
頬をつねっても目覚めることがないことを祈って、わたしは言葉よりも先に七歩踏み出した。
これって愛の最期かしら
もう二度と、彼から逃げたりしないから。これを夢で終わらせないで。
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