事務所でゆっくりとコーヒーを飲む姿を見るのは本当に久しぶりで、以前見た時よりも少し痩せたのではないかと思う。それを言葉にしても彼女は笑って気の所為だと受け流すだろうけど。

「そうだ。ここにいる間に血をもらっとかないと。クラウス、今いい?」
「構わない」
「じゃあちょっと用意してくるから左腕の用意をお願いね」
「わかった」

ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら荷物を取りに行く背中を見届ける。やはり一回り小さくなった気がする。
少し、いや、かなり彼女には無茶を強いている。ライブラに身を置くときの契約と言えばそれまでだが、契約以上に誰よりもその身を削って働いてくれている。そのおかげでライブラの存続と我々の生活が保たれているといっても過言ではないのだ。

彼女の目の力が色んな場所で役に立つとはいえ、一ヶ月まるまる空港で缶詰になったかと思えば、今度は病院で一ヶ月、さらに今度は警察で一ヶ月。彼女が休む暇は一体いつあるというのか。あの体に負担をかけすぎだと考えていると、いつの間に戻ってきていたのか、すぐ隣から名前を呼ばれて小さく肩がはねた。

「クラウス?随分深い考え事してたのね?」
「あ、いや…すまない…」
「いいのよ。ほら、腕貸してちょうだい」

慣れた手つきで肘の内側をアルコールで数回拭うと、針の細い注射を取り出して血管にあてがう。ぷつりと差し込まれた針から私の血を抜き取っていく動作に、いつも視線は釘づけだった。自分の血が抜かれて、注射器の中に溜まっていく様子を見るのが、なんだか妙な癖になった。伏せられている彼女の長い睫毛をぼんやりと見ていると、ふいに「ごめんなさいね」と呟かれた。

「?」
「こうやってクラウスに協力してもらっているのに、三回に一回しかやつらを捉えることができない。協力してくれてるクラウスの血が勿体ないし、無駄にしてしまっているし…もっとわたしが"こいつ"を支配できたらいいんだけど…「ナマエ」ん?」
「三回に一回でも捉えることができるのは凄いことだ。君が落ち込む必要はない。血がいるなら何度だって提供するし、あたらないからと言ってそれは無駄なことでなはい。こうして一緒に戦う術を編み出し、知恵を絞っている姿を見てなんとも思わない我々ではない。もっと誇っていい」
「クラウス…」
「それに、ただでさえ契約した資金活動とはいえ、働きすぎだ。それで君が倒れてしまったら元も子もなくなってしまう。もっと自分の体を大切に扱うんだ」
「あははっ!」
「む、何故笑う」
「ううん、嬉しい。ありがとうクラウス。あなたは優しい人ね。そこまで言われちゃうと俄然やる気が出て働いちゃうわ」
「む!それはダメだ!少しは休むべきだ!」
「安心して。ちゃんと休んでいるから。あなたやライブラのみんなとこうして顔を合わせて話していることが、わたしの心の安らぎと呼べるから。でもそうね、一ヶ月どこかに缶詰なんて状態はさすがに勘弁してほしいから、その辺はスティーブンに頼んでみるわ」
「私からも言っておこう」
「あら、それは頼もしい。スティーブンったら何故かわたしを過労死させたいみたいだから助かるわ」
「君が死んだら、それこそ我々はどうすればいいのか…」
「そこは"私"と言ってくれないの?クラウス」
「なっ!そっ!…いや、その通りだな」
「いいのよ。無理しなくても」
「無理をしているわけではない」
「いいの。わたしを生かすも殺すも、あなたが好きにしていいんだから。あなたがわたしを生かしたあの時から、わたしはそう決めているの。でもね、スティーブンに過労死させられるのはザップにお金を渡していることくらい納得いかないことだからそれだけはどうしても避けたいのよ」

だからお願いね、と笑って、彼女は私の腕から針を抜いた。
会話中に抜き取った注射器二本分の私の血を、大事に大事に保冷バッグに保存している姿に、どうにも抱きしめたい心情に駆られたがやめておくとしよう。それをすると泣いてしまうだろうから。

生かすも殺すも私次第だという彼女を、どうして殺せようか。そんなことができるわけがないとわかっているくせに、彼女はいつも私にそう言い聞かせてくるのだ。まるであの時、殺してくれと悲願してきたときのように。
確かに彼女を生かしたのは私だ。けれどそれは、殺すために生かしたのではなく、生きてほしいと思ったから生かしたのだ。たとえその目で奴らを捉えるのが三回に一回でも、十回に一回でも、私には彼女が必要だし、ライブラとしても必要な存在なのだ。

注射をした箇所に専用の絆創膏をはり、まくったシャツを綺麗に戻してく彼女をただずっと見つめていた。彼女の動きに合わせてふわふわと揺れる灰色の髪からは、いつもの香水の匂いはせず、彼女自身の匂いがゆるりと鼻をくすぐる。
伏せられていたアメジストの瞳が上を向き、私と視線を合わせるとにこりと笑って。

「付き合ってくれてありがとうクラウス。お礼もかねて、今日の夜は久しぶりに外食しない?美味しいお店があるの。本当はレオたちも誘ってあげたいけれど、今回は二人で行きたいなって。どう?」
「君のおすすめの店ならば外れたことはない。甘んじてそのお誘いに乗るとしよう」
「ふふ、じゃあギルベルトさんに伝えなきゃ。豪華な写真だけみんなに転送しちゃおうかな〜ザップあたりが死ぬほど羨ましがると嬉しいな〜」
「…ほどほどにな」

彼女が私に『忘れるな』と、相も変わらず言い聞かせてくる言葉があるように、私も彼女に言い聞かせる言葉がある。忘れるな、というよりも、刻み込むためといったほうが正しい。

「ナマエ」
「なぁに?」
「殺しはしない。私は君を生かし続けることしかしない。君が自分の命を私に預けているというのなら、私が生かし続ける君の命を簡単に放棄してはいけない。終わらせることすらも私の役目というのなら、そのときが来るまで君は懸命に生きなければいけない。殺してほしいとお願いされると、俄然やる気が出て生かしたくなる。私はそういう男だよ、ナマエ」
「………、吐き気がするほど優しくて狡いわね。あなたの、そうやって真っ向からくるところ本当に嫌いだわ。それを聞いて、心が熱くなる自分にも腹が立つ。今日、休みでよかった…メイクなんてしてたら、全部落ちちゃってるところよ…」

微かに震えた声でそう言い終わる彼女を、できるだけ優しく包み込むと、線が切れたように泣き出してしまった。
あぁ、結局あのとき抱きしめていてもいなくても、こうして泣かせてしまう時点で私は紳士なんかではない。

せめて優しさだけを口にしないで、たまには愚かさもあったっていいじゃな


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