この本丸に来てしばらく経ち、気付いたことがあった。ただの考え過ぎだ、と言われればそうなのだろうけど、どうにも腑に落ちないものだから同じ馬当番であった鯰尾の背中を見ながら「なぁ」と声をかける。
「なんですか?っていうか鶴丸さんもちゃんと手を動かしてくださいよ。俺ばっかり馬糞の掃除してるじゃないですか。投げますよ?」
「だって君、馬糞好きだろう?」
「投げますよ?」
今にも投げつけんばかりに腕を振りかぶるものだから、慌てて謝り息を整える。なんだか今からする会話を打ち切られたような気がして口を噤むと、今度は話を聞く姿勢になったのかもう一度「なんですか?」と鯰尾が言った。
「いやぁ、俺の勘違いかもしれんが…」
「?」
「この本丸には、山姥切国広しかいないのだなと思って…」
「はあ…?」
いまいち俺の言いたいことの意図がわからないのか、呆けた顔で首を傾げる鯰尾に、人選を失敗したか、と心の中で思った矢先、鯰尾の口から望まぬ選択肢を差し出された。
「それはどっちの意味でしょうか?」
「は?」
「鶴丸さんが言う山姥切国広しかいない、という意味は『国広の名のつく刀剣』のことを指すのか『初期刀である五振りの内の刀剣』のことを指すのか。どちらでしょう?」
驚きと同時に、言葉に詰まる。
俺の言いたかった意図とは、まさしく鯰尾が言った後者のほうだった。だが確かに、前者の意味としても捉えることができる。その時点で鯰尾は理由を知っているのだと悟った。
「鶴丸さんは流石です。ここにきてまだ日が浅いのによく周りを見ていますね。いや、日が浅いからこそ見ざるを得なかった。そして気付いてしまったんですね」
「やはり理由があるのか?意図的なことだったのか?」
「はい。意図的に、です。主さんの意向ですので」
「主の、意向…」
出陣すれば時々ドロップ刀と呼ばれる刀剣が手に入り、仲間として持ち帰ることができる。その時、刀として現れるそれはどこにでもあるような普通の一振りだ。その状態では顕現するまで誰なのかはわからない。それを審神者に渡し、審神者が霊力を注ぎ込むことで大太刀や太刀、打刀や脇差などに姿を変えてようやく顕現することができるのだ。
しかしその様子は山姥切しか見ることを許されず、俺たちは手に入れた刀が何であったかを審神者が新しい仲間だと紹介するまで知ることはできない。
手に着いた馬糞を桶水で洗い木陰に移動する鯰尾に習って、俺も持っていた箒を馬小屋に立てかけた。鯰尾は俺の中に燻る疑問を払ってくれるらしい。
「俺も詳しくは知らないので細かくは言えませんが、でも確かに主さんから聞きました」
「ほう」
「今でこそこの本丸にはそこそこの刀剣男子がいますが、最初の三ヶ月くらいは主さんと山姥切さんの二人しかいなかったそうです」
「は?たった二人で三ヶ月近く過ごしていたのか?」
「それはなんか色々あってそうなったらしいんですけど、主さん自身もともと鍛刀される人じゃありませんからまぁ頷けました」
「いやまぁそりゃそうなんだが…」
「主さんも主さんで、審神者としての力が他より劣っているからと言っていました」
「そんなわけないだろう」
「え?」
「劣っているならば何故、二振り目と三振り目にあやつらが顕現できるんだ」
そう言って頭に思い描いた二人の姿を鯰尾も同じように思い浮かべたのだろう。それもそうか、と小さくつぶやいた横顔を見て、俺には審神者が何かをひた隠しにしているようにも思えた。
初期刀である山姥切国広を顕現させたあと約三ヶ月を二人で過ごし、その後小狐丸と和泉守兼定の二振りを顕現させた。それ以降は審神者が鍛刀することは一度なく、この本丸では三振りのみが審神者の手から生まれた刀剣として存在していた。
それ以外の刀剣は皆、その三振りが出陣した際に持ち帰ったドロップ刀だ。かくいう俺も、その内の一振りだ。
別にそれが不満というわけではない。だがドロップ刀として顕現され皆に紹介された際、なんとも言えない空気が漂ったのを感じた。
「いつだったか俺も鶴丸さんと同じ疑問を抱き主さんに尋ねました。どうしてここには山姥切さんしかいないんですか?って」
「………」
「国広と名がつく刀剣も初期刀である刀剣も、山姥切だけで充分だから」
「………」
「なんでもないように笑ってそう言った主さんに、正直背筋が凍りました。追い打ちをかけるように主さんが鍛刀を一切しないことを教えてもらいました。粟田口は兄弟が多いけれど、この本丸では会えることを期待しないでねと言われました」
「なんと非情な…」
「?、そうでしょうか?」
「は?」
俺が非情だと言ったのは、そう語った鯰尾の横顔があまりにも寂しそうに見えたからだ。兄弟に会えることを期待するなという審神者の言葉に傷付いたように見えたからだ。同情するつもりで言ったわけではなかったが、こうもケロッとした顔を見せられると肩透かしをくらった気分だ。
「俺は案外、主の考えに賛同してます」
「それはどうしてだ?」
「審神者とは本来、時の政府が出す指令に沿い刀剣たちを顕現させて歴史を守るために使役する存在であり、それが審神者である者の役割です。即ち俺たち兄弟を集めるために鍛刀し、出陣させる必要も義理もありません。それでこそ審神者だと俺は思ってます」
「それは…ごもっともだが…」
「鶴丸さん。俺はね、今の自分の立ち位置が結構気に入ってまして。兄弟の多い粟田口と言えど、ここに存在する粟田口は俺を含めて数名しかいません。脇差である刀剣も、主さん曰く俺とにっかりさんがいれば充分だと言ってくれました。確かに兄弟がたくさんいればそれはそれで楽しいんだろうなって思いますけど、俺は主さんが『脇差の鯰尾藤四郎』として必要としてくれているのが心底嬉しいんです。だから他はいらないんです。できることなら、これ以上増えて欲しくないんですよ」
そう言って笑った鯰尾に、今度は俺の背筋がゾクリと凍った。
「君も相当、毒されているなぁ…」
「はは!否定はしません。まぁそれは俺だけに言えることじゃありませんけどね。欲を言えば主さんの手で生み出されたかったけれど…それはないものねだりでしかありませんから」
「なかなかどうして、堅実的な考え方をする奴だなぁ君は」
「意外でしたか?俺は本来こういう奴ですよ。だから鶴丸さんには本当のことをお伝えします」
「ん?」
「実際、あなたをドロップ刀として拾って帰ったとき誰も良い顔をしませんでした。主さんも山姥切さんからあなたを受け取ったとき何かを感じていたんでしょうね。僅かに顔を顰めました。和泉守さんも顕現するなと言いたそうな顔で主さんを見ていましたし。主さんの考えに毒されている俺たちは新しい仲間を望んでいなかったんです。だけど主さんはあなたを顕現させ、俺たちの仲間として紹介した。その瞬間から俺たちは自分の中にあった気持ちを押し殺した。主さんが押し殺したんだから俺たちがそれを表に出すことはできない。鶴丸さんも感じたはずです。紹介されたときのなんとも言えない空気を。でも恨まないでくださいね。俺も同じことを経験してますからお相子です。きっとあなたも毒されていくと思います。でも、毒されなくてもいいとも思います。この本丸が居辛く感じた時はいつでも言ってくださいね。主さんに言えば刀解してもらえますから」
鯰尾の言葉に、先ほどから俺は驚かされてばかりだった。
刀解という響きに、俺は鼓動を打つ場所がきゅっと縮まった気がした。冗談じゃない、と目の前の鯰尾を睨むと、鯰尾は安心したように笑った。
「そうですよね。折角人の形で顕現できたんですから楽しめるだけ楽しまないと損ですよね。鶴丸さんの言う"驚き"とやらを与えるのも与えられるのも、人の形をしているからこその特権です。だから早々にいなくならないでくださいね。俺はあなたに刃を向けて負ける気なんてさらさらありません。どうか折れる前に穏便に事が進むように心がけてください」
可愛い顔をして平気で毒を吐く鯰尾は、どうやら芯まで犯されているようだ。ただ俺たちが言う『毒』とは、はたして本当に毒なのだろうか?これが本来、審神者と刀剣の成すべき形であり間柄なんじゃないのだろうか。
その考えが浮かんでは否定し、また浮かんでは否定の繰り返しだった。
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