まだ授業中や言うのに一人静かな廊下を歩いて目指すは保健室。さっきまでやってた体育でしょうもないケガしてもうたから、しゃーなし向かってるだけや。
なんやねん。あんなボールとれるわけないやろ。アホか。背ェ高いからってパスばっか回してきやがって、シュートなんかできるわけないやん。リングに近くても入らへんもんは入らへんのや。やのに周りは全部ボクにボール寄越しよってからに、せんでもええケガしてもうたやないか。ふざけんな。

内心悪態つきながら扉を開けると、保健室らしい独特な匂いがした。っていうか先生おらへんやん。どういうことなん。
はぁ、とため息をついて来た道を戻ろうとした時やった。カーテンの奥のほうから名前が呼ばれたのは。

「御堂筋?」
「………、なにサボってんねん」
「サボりちゃうわ。生理痛っていう立派な病人ですぅー」
「キモ。普通女やったら平気でそないなこと言わんで。キモ。あ、女ちゃうかったな。ププ、堪忍な〜」
「あんたも大概キモいで」
「うっさいわ」
「ってかどしたん?ケガでもしたん?」
「はぁ?してへんわ」
「したからゼッケンつけたままここ来たんやろ。なんでそこ嘘つくん。アホなん?」
「………、君一言多いってよう言われるやろ」
「はよここ座り。手当したるから」
「はぁ?なんなん?気持ち悪いで?」
「それキモイより地味に傷つくんやけど…」
「気持ち悪いで?」
「ええからはよ座りって!」

別に無視して授業に戻ってもよかったんやけど、なんでか知らんけど指定された場所に座ったんや。
擦りむいてケガした二の腕を無言で差し出せば、少し傷口を見てから消毒液やらバンソーコーやらちゃっちゃか用意し始めた。妙に慣れた手つきやなって、じっと眺めてたら視界の端っこで小っこい黄色の粒が一個弾けた。

「二の腕で良かったやん」
「はぁ?」
「バスケやったんやろ?突き指とかしたんやなくて、ただのケガやし。それほど傷も大きないし」
「だからなんなん」
「あんたもスポーツマンやねんから、ケガには気ィつけ言うてんねん」
「スポーツマン?」
「ちゃうの?」
「スポーツマン…」
「自転車乗りやろ?ならそうやんか。石やんと同じやん」
「誰やねんソレ」
「あんたの先輩やろが。石垣!」
「あぁ、石垣クン…なんで知ってん」
「石やんはご近所さんやからなぁ」
「ふーん。どうでもえぇけど」
「はい、終わり。今日の風呂はしみるでな」

使い終わった消毒液と、ボクの血がついた脱脂綿を片づけながら、時折動きづらそうに元の位置に戻したり簡単に掃除したり。名前が動くたびに視界の端では粒が弾けていった。

「女子は何してたん?バレーやった?」
「…たぶん」
「どうせまたボールいっぱい回されてたんやろ。あんた背ェ高いから」
「いい迷惑やで」
「びっくりするぐらいヘタクソやのにな!」
「画伯の名前に言われたないわ」
「なっ!だ、誰だって一つや二つ不得意なもんあるわ!」
「別にけなしてへんやん。画伯言うて褒めてるやん。なんで怒んの?プ」
「うそつけ!顔めっちゃキモイ笑い方してるやん!プ言うたやん!」

目の前でぎゃんぎゃん喚く姿が、少しチカチカする。なんやのこれ。ちょっと病院行かなあかんのとちゃう?だっておかしいやん。こんな奴に、黄色く弾けんのが。

「………、あんた、座ってると丁度ええ高さやな」
「それがなんなん」
「ちょっとじっとしててや」
「は?」

言われてすぐ、ふわりと温かいものに包まれたと思ったら視界が一瞬にして奪われた。首に回された両腕に、肩口に寄せられた頭、お互いの距離がぴったりくっついて空気すら通さへん。
柔軟剤かシャンプーかようわからんけど、保健室の匂いじゃないってことだけは確かや。それが今、自分の体と一体化してて、バチバチと音が聞こえてきそうなくらい黄色が弾け飛んだ。

「何してんの」
「あいてる手でちょっと腰さすってくれへん?」
「は?キモ。何言うてんの。君ホンマに女か?」
「ええからはよさすれ言うてんねん」
「痴女か」
「そこ背中やねんけど。腰言うたやろ?もっと下や」
「うっさいわ」
「もうさすらんでもええから、腰の上に手置いといて」
「注文多いねん。めんどくさー」
「はぁー………、しんど…」
「は」
「カイロやと熱すぎるから手の温度やと丁度ええわ」
「これ何にきくん?」
「生理痛」
「それって頭ちゃうの?」
「頭痛の人もおれば腹痛の人もおるし、あたしみたいに腰にくる人もおんねん。全部いっぺんにくる人もおるから人それぞれやで。あたしはまだ軽いほうやわ」
「ふーん」
「ってかよう知ってたな?生理痛が頭やって」
「CMで言うてるやん」
「よう覚えてたなソレ」
「たまたまや」
「あっそぉ…」
「ここ、どう痛いん?」
「えー?うーん、鈍い痛みっていうか、鉛乗ってるみたいっていうか、なんやろなぁ?独特の痛みっていうか、とにかくあんまり動きたくないっていうか。できれば布団の中でじっとしてたいっていうか」
「あぁ、だからさっき…」
「え?なに?」
「なんもないわ」

動きたくないとか、動きづらそうにしてるとか、そんな状態やのにわざわざ人のために動くなんてよっぽどお人好しかアホやで。そんな甘すぎる人間、ボクの近くにはいらんはずやのに、なんでか手放せへんのや。

「御堂筋、石やんのことあんまり困らせたらあかんで」
「は?」
「あの人懐の広さヤバいで。あんたくらいの問題児なら軽々受け止めてくれるはずやから、遠慮せんと我儘言いや」
「今困らせんな言うたやん」
「そうやけど、そうやない」
「意味わからん」
「いつかわかるて」
「キモ。知ったふうな口きかんといてくれる?そういうのほんまキモイで」
「はいはい。ごめんやで」
「なんやそれ。腹立つなァ?」

平然と喋ってるようで、心臓はアホみたいに早よ動いとる。
山登ってるときみたいに、ゴール前の勢い出すときみたいに、めちゃくちゃ動いとる。

「あんたの柔軟剤ええ匂いするなぁ」
「話ぶっ飛びすぎやろ」
「なに使てるん?」
「知らんわ」
「今度聞いといて」
「いらんわめんどくさい」

さっき石垣クンの名前出たときに一瞬ザワついたのが嘘みたいに、どっか満たされたような気持ちになる。あの時に似てる。初めて黄色を見たときに似てる。

「なぁ、授業戻らんでええの?バスケ終わってるんちゃうか」
「この状況でソレ言うん?まぁ、戻っていいんやったら戻るけど」
「いいわけないやろ」
「ならなんで言うたんよ」
「聞いただけやん。ただのケガやのに、いつまでたってもあんたが戻らへんかったら先生おかしいって思うやろ。そしたら見に来るかもしれへんやん」
「あー、じゃあアカンなコレ」
「せやろ?だから…」
「だから?」
「もうやめとかなあかんねんけど…、まだ離れたないんよねぇ。困ったわ」
「………、キモ」


とか言いつつ、腰に回した腕にちょっと力が入ってしまったんはしょうがない。ボクは悪くない。全部この子の所為や。悪いのはこの子や。
目の前はチカチカしよるし、心臓はさっきからうるさいし、全然収まる気配ないし。キモイ。キモすぎやで。こんなんボクやない。ようわからん感情がぐるぐる、ぐるぐる、吐きそうなほど気持ち悪い。
それから解放されるまであと20分近く、それまで耐えれるやろか。


せやけどこればっかりは、まだ覚えていたいんよ。


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