投げ捨てるにはまだその勇気が足りなくて。壊すことも売ることもできずに、わたしを縛り続ける一つの指輪が憎らしいやらなんやら。


「これ、売ったらいくらくらいになりますか?」
「ほォ、なかなかいい指輪ですな。うーん、ざっと見て一千万はくだらないかもねェ…」
「ふーん」
「もっと詳しく査定しましょうかい?」
「ううん、形見みたいなものだから、売れないんです。ごめんなさい」
「いやいや、いいんだよ。そう思ってるなら大事にしなさいや」


質屋のおじさんに聞いた金額が本当に正確かどうかはわからないけれど、きっと実際はそれ以上の値がついていたんだろうと思う。

本当にただの気紛れだったんだろう。彼がわたしに残したものはこの指輪一つだけで、それもどういういきさつで貰ったかあまり覚えていないのも事実。形見とは言ったものの、大して思い出なんか詰まっていない。

甘い言葉と一緒に貰ったわけでもなければ、一生の愛を誓ったわけでもない。ただ唐突に投げ渡されただけで、いらないなら捨てろとまで言われた始末だったはず。

指輪の価値なんてわたしにわかるはずがなく、それでもこれが安くはないということだけ理解していたから、なんとなくわたしも捨てれずにいた。

もちろんわたしが欲しいと催促したわけではない。こんなゴツゴツした指輪趣味じゃないし。どの指にも合わないし。重いし。似合わないし。っていうかまずそういうのつけないし。

彼の考えていることがわかる日なんて最後まで来なかった。だからこの指輪をどうすることもできないでいるのが、なんだか腹立たしい。捨てたら呪われそうってのが本音だったりもするけれど。


「ナミちゃん、ネックレスにできるような紐が欲しいんだけど、なんかないかな?」
「紐?ネックレスにできそうなの?うーん、ちょっと待ってね探すから」
「別に急いでないから空いてる時間に探してくれたらいいよ」
「…ようやく決意が決まったの?」
「え?なんの?」
「その指輪の方向性」
「!」
「ずっとどうしようか悩んでたでしょ?持ち歩くことにしたのね?」
「わかんない」
「え?」
「どういう行動にでればいいのかわかんない。ずっと持ってろって言われたわけじゃないから売ったっていいんだけど…」
「ちなみに売ったらいくらなの?」
「一千万はくだらないって言われたよ。ちゃんと査定したらもっといくだろうけど」
「あら!それはいいわね!売りなさいよ!」
「え!う、うーん…」
「ふふ、なんてね。あんたはそれ、絶対売ったりしないわね。あ、これなんかどう?レザーだけど長さは丁度いいんじゃない?あーでもやっぱりチェーンのほうが見栄えするかしら?」
「ううん、これでいい。っていうかこれがいい。レザーでいい」
「そう?じゃあはい、あげるわ」
「ありがとうナミちゃん」


焦げ茶色のレザーの紐にぎらりと光るそれは、彼の左手にあったそれとよく似た色を放っていた。

今にもあの低い声で、短く、簡潔に、名前を呼ばれる気がした。実際わたしの名を呼んだのは、目の前にいたナミちゃんだったけれど。


「私たちはあいつが今までどういう風に暮らしてきたかを知らないし、何を考えて何を思ってその指輪をあんたに渡したのかも全然想像がつかないけれどね」
「うん?」
「少なからず、意味はあったと思うの」
「意味…」
「今わからなくても、いずれわかるといいわね。だってなんだかそれ、あんたを繋ぎ止める鎖みたいよ」
「繋ぎ止める、鎖…」


彼に拾われて彼を倒した人の船に身を寄せているわたしを、繋ぎ止める鎖だなんて。

いつかまた会えたとしても、この潮風に晒されて錆びついちゃって、引き寄せられたときには簡単に千切れちゃうじゃない。

なんだかそれが凄く悲しくて、凄く切なくて、心臓の奥がぎゅうぎゅうと痛くて。じんわり滲んでいく視界の中で、ナミちゃんも同じように泣きそうな顔をしていた。

ぼろぼろととめどなく溢れてくる涙が、首から下げた指輪を濡らしていく。

ナミちゃんの細い腕が、頼りないわたしの体をぎゅっと抱きしめてくれて。耳元で微かに、けれど確かに囁かれたごめんねに、わたしはなんて返したらいいの?

わたしの唯一を奪ったひとたちに、彼が悪いから仕方ないとは言い切れなくて。それでもわたしを迎えてくれたひとたちに、憎しみだけで接することはできなくて。

せめて彼がこの指輪をくれる時に、嘘でもいいから何か一言、わたしの心に響く言葉を吐いてくれていたのなら。こんな煮え切らない気持ちを引きずることもなく、何もかも割り切って別れることができたのに。

彼がそうしなかったのは、今のわたしを作らせたかったからで。最初から最後まで、わたしは彼の手の内で転がされて、踊らされていたのだ。

それは今もこの先もずっと続く、彼とわたしの音のないワルツのようだ。


「ごめんナミちゃん、ごめん、わたしっ…」


うまく慰めきれないあなたたちを咎めないかわりに、彼を忘れられないわたしを優しく包み込まないで。

遠くのほうで、いつかに築いた砂の城が音もなく崩壊するさまを聞いていた。



They can't hug tight each other because of their past conflict



指輪をもらったその日の夜に、寝ているわたしに向かって放たれた彼の言葉が、聞こえるはずもなく。聞き取れるはずもなく。
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訳:彼らは彼らの過去がために強く抱きしめあうことができない

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