「あ、姉さんだ!姉さーーーん!」

手を振りながら満面の笑みでこちらへ走ってくる青年、もとい名前は私の弟ではないし私も彼の姉ではない。それは周知の事実であるのだけれど、指摘するものは誰一人としていないのである。
何故か。死にたくないからだ。
そう、死にたくない。まだ命が惜しい。そういう意味合いで誰も何も言わないのだ。おかしな話だ。たった一人の人間に関わることがどうして己の生死に関わってくるのか。
普通なら冗談で笑い飛ばして茶化したりもできるのだけれど、相手が名前である、ということが最早原因であり元凶だ。

「あぁ、名前。おはよう、朝から元気だね」
「おはよう姉さん!それより聞いてよ!さっき朝からかなり鬱陶しいこと言われたんだ!最初は流そうと思ってたんだけどボクってほら、短気だからさ、我慢できなくなっちゃって!あ!でもね、姉さんに言われた通りボク殺さなかったよ?もう再起不能になるくらい、顔の判別がつかないくらい、それが人間だったのかわからなくなるくらい、ボクに声かけたこと心底後悔しちゃうくらい、生きててすみませんって思っちゃうくらいボッコボコにしてやろうかと思ったんだけどね!素手で殴るのは痛くていやだからその辺にあった棒で5発くらい殴っちゃった!あ!殺してないよ?意識はないけど!殺さなかったんだよ〜!偉い?ね、偉いでしょ?褒めて!」

朝からなんつー物騒なはなしをぶっこんでくるのか。
相槌を打つ顔が引きつりそうだけれど、私に褒めてもらうのを今か今かと待っている姿は…、正直に言おう。めちゃくちゃ可愛い。
褒めてあげたい。そのツヤツヤでサラサラした頭をぐしゃぐしゃに撫でまわして褒めてあげたいよ私も!でも褒めるべき点がそもそもおかしいんだって!
私たちは調査兵団であって、巨人をぶっ殺して人類を守る集団なのだ。それなのに彼ときたら巨人だけじゃなく人間もぶっ殺しにかかるもんだからマジで困ったちゃんだ!一言でいうならそう!問題児!人間嫌いをどうこじらせたらこんなことになるのか、詳しく研究したいのはやまやまなんだけれど、悲しいかな私にそんな暇はない。

どうにかして手あたり次第人間を殺しまくることをやめてほしくて、どうすればそうしなくなるのか本人に聞いたところそれは無理、の一言で両断されたのは記憶に新しい。
私たちがその答えに絶望を感じているときに、まぁなくはないけど、と頼りなく吐かれた言葉に対し、死にもの狂いの勢いで飛びついた。そしたら少し言い辛そうに家族になってよ、と言われたのだ。
ぽかんとする周りの空気を一切読むことなく、家族は殺せないから、と悲しそうに言った彼に、殺せないことに悲しんでいるのか、家族がいないことに悲しんでいるのかはわからなかった。が、私が思うに確実に前者だと踏んでいる。

それから殺されたくない一心で俺が私が、と彼の家族になりたい奴が挙手を始めたけれど、私はその時に見た彼の顔が忘れられないでいる。あの時の彼の顔…、口元は笑っていたけれど、自分の家族が増える喜びからじゃないのは見てすぐにわかった。
彼の中で唯一殺せない対象であるはずの家族を、まるでようやく殺すことができるときの喜びに近い笑みだった。迂闊に触れたら狂い出してしまいそうな、狂気と歓喜が絶妙に混じり合った笑顔だった。
そんな彼を見て私は背筋がゾクゾクした。同時に理解もした。自分の中で殺せないカテゴリをわざわざ作り出したのは、もう殺すものがなくなったときにようやく手が出せる対象なのだ。
それは今まで我慢に我慢を重ね、かつ家族として本当に愛情をもって接した人間を殺したときの、まさしく言葉にしようがない快感を得るがためのものだ。

やはりすべては彼の欲望のまま忠実に、紙より薄く、糸よりも細い、いつか破るために作った守るべきルールなのだ。そしてその対象を決めることは、彼にとってそれを実行するまでに愛情を持って接していかなければいけない相手を決めることなのだ。
それをぽっと出の、今まで恐怖心から一定の距離以上を保ってきた奴らが勝ち取れる代物ではないということだけは嫌でもわかった。
ならば誰が、彼の唯一を与えてもらえるのか。
この場にいながら話を聞いているだけで参加しようともしていないエルヴィンとリヴァイの姿が目に入った。あの二人のどちらかが、もしくはミケあたりなんかが選ばれてくれたら一番納得がいくし心底安心できるのだけれど…嫌な予感がしてならないのは何でだ?

「ん?」

エルヴィンとリヴァイが私を見ているのに気づいて、私も二人を見つめ返す。なんだろうか、と思っていると周りがいやに静かなのに気づき、慌てて周りを見渡すと何故か全員が私を見て固まっていた。え?なに?なんなの?
妙な焦燥感が湧き上がるのを必死にこらえながら、この騒ぎの原因となった人物へちらりと視線を向ければじっと見つめ返してくる真っ赤なそれ。私と目が合ってへらりと笑ったかと思えば、それはそれは避けきれないほど大きな爆弾を投下しやがった。

「ボク、家族になるならハンジがいいなぁ」

その一言でエルヴィンは決まりだな、と言ってこの場を終わらせようとしているし、リヴァイはリヴァイで拾ってきた奴が最後まで面倒見ろ、なんていうし、むしろこの二人がそんなこと言うもんだから周りはもう何も言えなくなるしで、ミケとナナバにそれぞれ左右の肩を叩かれて呆気なく事の収集はついてしまった。ただ一人モブリットだけが最後まで私の心配をしてくれていたっけなぁ。
もうどうにでもなれ、と半ば自暴自棄になった私の前に、私を名指しした元凶が現れて、なにやらそわそわと落ち着かない様子で視線をきょろきょろと彷徨わせていた。

「あの、えっと…ボク、えっと…」

珍しく歯切れの悪い物言いに、げんなりとしながら彼を見ると、少し嬉しそうにしながらやっぱりそわそわしていて。

「…なに?」
「えっと、その…ボク、こんなんでも長男だったから…その…下になるのが初めてで…ちょっと憧れてて…」
「は?」
「ハンジが許してくれるなら…、えっと、姉さんって、呼んでもいい?」
「へ」

突然の、しかも予想のはるか斜め上をいくお願いに、私もモブリットも目が点になった。
照れているのか、少し顔を赤くしながら困ったように笑う姿に、ちょっとどころかかなりキュンときましたけど何か!?
何も答えない私たちの反応に、しょんぼりしながらダメか、と小さく呟かれたそれに、反射的にいいけど、と答えてしまった私を誰も責めないでくれ。だってあんな切ない顔見たらきっとリヴァイでもいいって言ってるよ!絶対!この子無駄に顔だけはいいからさ!

「!、いいの!?」
「うん、まぁ…もういっかなって…」
「じゃ、じゃあ!………ね、姉、さん…!」
「ッ!」

その時の彼の笑顔といったらもう、この世の言葉では表現しきれないほど美しく、そして確かに心を揺さぶるものがあった。
人間が嫌いだと、殺す対象だと言っていた彼が、こんなにも綺麗な笑みを作ることができるなんて。彼は知らないのだろうか?そんな顔ができるのは、本当に人間を慈しんで愛することができるからだってことを。
人間嫌いがこじれにこじれてなかったことになったのかと思うくらい、そもそも本当は人間を愛しているんじゃないかって考えてしまうくらい、今の笑顔には先ほどの爆弾よりも破壊力が勝っていた。もちろん良い意味で。
彼の家族になって、またこの笑顔が見れるというのなら、どう足掻いても最後に彼に殺される末路があろうとも、それでも悪くないと思えてしまった。

それからこうして私を見つけては姉さん姉さんと嬉しそうに呼んではだらしのない笑みで駆け寄ってくる。そこから放たれる言葉がいくら物騒で汚くとも、私に向けられるその笑顔もまた本物であると信じたい。

「ホントだよ?姉さんの言われた通り殺してないよ?ただやっぱり腹の虫が収まらないから半殺しにはしたけどね。でも死んでないから大丈夫!虫の息だけど!これってボクにしたら凄い一歩だと思わない?今まで殺すことしかしてこなかったから殺さないように殺すってかなり難しいんだよ!巨人に人間を食べるなって言い聞かせるくらい難しいことなんだよ!姉さんならわかってくれるよね?」
「え、あぁ…うん…それは極めて難しいことだ。で?本当に殺してないんだよね?」
「殺してないよ!だから褒めて!」
「………ん、偉いよ名前。その調子であまり人間を殺さないでくれよ?」
「努力するよ!」

そう言って自ら差し出してきた頭を撫でてやると、ふにゃふにゃとしまりのない顔をして心底嬉しそうに笑うのだ。顔が整っているから尚のこと、それはそれは可愛い生き物である。

「えへへ、ボク撫でられるの好きだなぁ。いつも撫でる側だったからこんなに心地いいなんて知らなかったや!」
「!、そんなの、いつだってしてあげるさ。あなたは私の弟なんだから」

絶望的で残酷なこの世界でも、こんなにも心が満たされる瞬間が生まれるのかと感動したくなるほど、彼に与えられた立ち位置は素晴らしいものだった。
彼を最初に見つけたのが私で良かった。彼が帰るのが先か、私が死ぬのが先かはわからないけれど、リヴァイに言われた通り、彼がこの世界で生きている限り、最期の最後まで責任もって私が面倒見ようじゃないか。
だからどうか、それまで私を殺してくれるなよ?異世界の弟よ。


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