キスをした。
キスとはもちろん口と口をくっつける行為を意味するものだ。時間にしたら10秒もくっついていなかったそれは、何故だかとてつもなく長い時間のように思えた。
目の前の人間の瞳を見つめたまま施されたそれは、色気もムードもない、質素なものだった。けれど射抜いた瞳は異様な程に赤く、宝石のように美しかった。
ゆっくりとはなされたお互いの唇から、まだ息は漏れていない。けれど、何が起きたのかいまいちよくわかっていないであろう目の前の顔は、笑えるほど間抜けだった。
「え?」
どういう反応を見せてくれるのか、妙な期待をしたまま数分がたった。その間、無表情で見つめ続けるオレの視線に対し、逸らすことなく呆けた顔で見つめ返された。
机の上に散らばる酒瓶を視界の端におさめながら、酔っているからの行為ではないと、聞かれてもいない言い訳を用意していた。
「リヴァイ、今ボクにキスしたの?」
「さぁな」
「さぁなって、なにそれ。っていうかなんで?今そんな空気だった?え?ボクがKYなだけ?」
「KYってなんだ」
「空気(K)読めてない(Y)の略。もはや流行語だよ?通じないと遅れてるよ?」
「そうか」
「うん。じゃなくて、え?なんでしたの?」
「つまんねぇな」
「え?」
「なに普通ぶっこいてんだ」
「へ?え、なに?あっ!もしかしてボクが慌てふためくと思った?男にキスされたくらいで?」
一発殴ろうかと思った。
別にキスという行為に大した意味はないが、想像と違う反応がこうも勘に触るとは思わなかった。このクソ野郎。
「もしかしてリヴァイってそっち系なの?まぁそうだとしてもボクはどっちでもいいんだけど。リヴァイがそうだろうとそうでなかろうと、ボクには全く関係のないことだし。あ、関係あるほうがよかった?」
「お前、とことんうぜぇな」
「そう?だってこういうの初めてじゃないし。ボクって男の割には綺麗な顔してるでしょ?だからさ、クライアントの要望がたまにそういう系だったりするんだよね。まぁボクにも多少好みってもんがあるからキモかったら報酬の良し悪し関係なくぶっ殺してるよ。さすがにセックスまではしないけどね。あ!でもしごいたことはあるよ?リヴァイもやったげようか?口と手は嫌だから足でならできるよ?」
「胸糞悪ィ話すんな」
「えー?わがままだなぁ。折角ボクが自ら提案してあげてるのに。こんなこと滅多にないんだよ?この機を逃しちゃうともうボクやったげないよ?」
「別に頼んでねぇ」
「なんだいそれ!まぁ元々性欲ってもんがあまりないからセックスを求められても困るからいいけど。グラマーで綺麗な女の人を見ても、この人はどんなふうに死んでくれるんだろうって、そういう考えしか浮かばないからさ。殺す快楽に比べるとセックスなんて物足りないよ。あ、でもだからって童貞じゃないよ?ま、そこにこだわりはないけどさ」
聞いてもないことをペラペラと喋るその口を今度はさっきよりも深く長く塞ごうとしたけれどやめた。そうしたところでこいつの態度は変わらないし、勝手にオレが変態扱いされるだけだ。
「人間嫌いのてめぇが童貞じゃねーって、よく卒業できたもんだな?」
「あー、臨也にさ、言われたんだよね」
「いざや?」
「弟。前に何回か話したでしょ?覚えてない?」
「あぁ、顔がお前にそっくりなんだろ」
「そうそう。ボクに似て美しくできあがっていてね。で、臨也がボクに殺し以外の快楽もあるんだってことを教えてくれたんだ。その場をセッティングしてくれたのはいいんだけどさぁ、これがびっくりするほど勃たなくて!しょうがないからボクが勃つまでそこらへんの人間殺してさ、勃ったらすぐ挿れれるように臨也が女の準備しといてくれてようやく人間のセックスの形まで持って行ったんだよ!まぁ挿れたときは確かに気持ちいいとは思ったけど、殺して得る快楽にはどうしても負けるんだ。困ったものだよ。でも臨也の名案でそれは無事にやり遂げたんだ!」
「名案?」
「セックスしながら相手の女を殺すと最高にやばいってこと!命が削られていくたびに中が締まっていくんだ!体がビクビクと反応して意識飛んだら叩き起こして、そうしてセックスすると今まで感じたことのない快楽が得られたんだ!あれは凄く興奮したし楽しかった!」
「チッ、キチガイが」
「ふふっ、でもね、やっぱり長くは続かなくてさ。結局は殺しちゃうワケだから女が死んだらそれで終わりでしょ?それにボクが勃つ条件が女じゃないからめんどくさくてさ。確かに殺し以外の快楽は味わえたけど最終的に女を殺してるわけだから一緒じゃん?ならもう普通に殺してるほうが楽だからセックスを好んでするかと聞かれたらやっぱりしないわけで。3、4回繰り返したけど飽きちゃった。臨也も臨也で童貞捨てれたしいいんじゃない?ってことで収まってそれっきりちゃんとしたセックスはしてないなぁ」
「っていうか兄貴のそういう現場セッティングしたりその場にいたり、お前の弟も大概キチガイだな」
「お兄ちゃん想いなだけだよ?」
「その一言で片づけられる話じゃなかっただろ」
「え?そう?ま、童貞うんぬんはどっちでもいい話だよ。殺しに童貞は関係ないしね。この世界だってそうだろう?巨人殺すのに童貞だろうが処女だろうが関係ないよ。まぁ人類の未来を守るためには子孫の繁栄は免れないけどさ。ここの人間はボクが手をかけなくても巨人が減らしてくれるし、この世界でボクが仕事をしても報酬をくれる人はいないからしないけど。それにリヴァイやエレンたちみたいに自分の命をわかってる人間が多いからね。そういう考えを持つ者は結構好きだから無暗矢鱈に殺したりはしないよ」
そうして目の前のワインを飲み乾す喉に、かぶりつきたい衝動に駆られたオレは結構キてるな、と自分でも思う。
別にそういう趣味があるわけじゃない。意識も体も健全だが、こんなクソみてぇな世界で生きてりゃセックスなんて最早興味がなくなってくるもんだ。
けれどこうも顔がいい奴が目の前にいて、程よく酒も入っていて、たまにはそういう行為をしてもいいかって思ったのがついさっきだったわけで。けれどそのお綺麗な顔から心底萎えることを言われたもんだからそういう心情も薄れていった。
「ボクっていつになったらあっちに帰れるんだろう?」
「帰りてぇのか?」
「そりゃ帰りたいよ。弟や妹たちの顔を見たいって思うときだってあるし、なかなかホームシックになってるんだよ?」
「だがそれだけが理由じゃねぇだろ」
「大正解。はやく帰らないと折角減らした世界の人口が増えちゃうだろ?それだけは許せないからね。まぁボクが帰るまでにわんさか増えてたら戻ったときに俄然ヤル気が出て楽しいんだろうけどさ。人間ってゴキブリ並に生命力と繁殖力強いからね。あー今から仕事がたくさん増えるって考えるとワクワクしちゃうなぁー!腕がなるよ!」
まだ見ぬ未来を求めてキラキラと輝いた瞳でイカレタ思考を語る姿に、改めてため息が出る。どうやってここへ来たのかは知らねぇが、こいつがこうして"あっち"の世界を示す度に、なんだか妙に言い知れぬ何かが溢れ出る。
「もうここで死ねよお前」
「え?」
「諦めてここで死ね」
ここで生涯を終えて、この地に骨をうずめろ。
人間を殺すためだけに生きる世界なんかより、巨人がはびこるこの世界で殺しに飢えるこいつを見ているほうが気分がいい。そう思うと、もうここで死んだほうがいいと思えた。
「なにそれプロポーズ?」
「あ?なんでそうなるんだ」
「違うの?」
「違うだろ」
「そっかぁ〜…。うーん、あ!じゃあさ!巨人を一匹残らずぶっ殺して人類だけが存在する世界になった暁にはボクにリヴァイを殺させておくれよ!それを約束してくれるなら例え帰る道がわかったとしてもこの世界で死んであげるから」
「なんで仕事終えた後にお前に殺されなきゃなんねぇんだ」
「だって、リヴァイのその力は巨人がいるから発揮できてるんだよ?巨人がいなくなった世界でリヴァイは生きてる意味ないと思うなぁ〜」
「随分なこと言うじゃねぇか」
「そのへんリヴァイはボクと似てるよね。だからさ、お勤めご苦労様的な感じでボクがリヴァイを殺してあげる。最期を看取ってあげるよ。束の間の平和と安堵を堪能したのち、少しの違和感と物足りなさを感じる前に、ボクが殺してあげるから何も心配しないで逝っていいよ」
「………」
提示されてることは気が狂いそうなほどおかしいことなのに、なんだかその約束が酷く優しいもののように思えてしょうがなかった。
その約束を交わしたら、こいつは本当にこの世界で死ぬのだろう。あんなに楽しみにしていた"あっち"での未来を捨てて、オレと同じこの世界で一生を終える。
共に過ごす、という概念がないのか、必ずしもどちらかが先にくたばらないといけない未来を約束されて、じゃあそれで、と肯定する気にはなれない。
「言っておくが、オレはお前相手に易々と殺されてやらねぇぞ」
「わかってるよ〜!人類最強なんでしょ?楽しませてくれるって期待してる!で?返事は?」
「さぁな」
「あ、そうやってはぐらかすのは感心しないなぁ。そんなんじゃ女性にモテないよ?あ、これは自論じゃなくて臨也が言ってた受け売りなんッ…!」
がっちりと後頭部を抑えつけ、わずかな隙間から酸素が漏れることすら許さないほどの距離感に、最初は驚いたように目を開けていた。お互いの息が口内で交わっていくのを感じながら、宝石のような瞳が閉じられていくその数秒は今まで見たどの景色よりも美しく感じた。
ゆっくりとオレの頬に添えられた手は当たり前だがちゃんと人間の温度を保っていた。
お互いの酸素を貪るような深い口づけに、大それた意味など存在しない。持っていたグラスが床に落ちるとき、白いシャツに飛び散ったワインが鮮血のようだった。
のしかかるように体重をかけると、多少反抗しながらも組み敷かれていく体勢に、薄れて眠りかけていた心情が呼び起こされる感覚を楽しむ。
業火の如くオレの心臓を焼き払い、その焦げ臭い煙が脳へと到達するのを感じながら、こういうのも悪くないと笑った。
ぬるりとまさぐる獣のような舌で、クソみたいな世界の幕を引こうか。
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