「ねぇ、それどんな気分?」

調査兵団のエルヴィン団長と、人類最強と称されるリヴァイ兵長と話してから三日くらい経った後に、その人は現れた。

朝か夜かもわからないこの地下牢は、時間の感覚を曖昧にさせ、尚且つ退屈にさせる場所だった。いつになったらここから出れるのか、そんなことを思いながら両手に繋がれた鎖を見下ろしていると、牢屋の前にいた二人の兵士が呻き声をあげて倒れていく音を聞いた。
慌てて顔を上げると、そこには一人の男の人がいて、倒れた兵士の服の中を何やら漁っていた。そうして見つけ出したこの牢屋の鍵で扉を開け、俺がいるベッドへとやってきた。そして冒頭のセリフ。なんなんだこの人。

「まぁ…良くはない、ですけど…」
「だよねぇ。だって繋がれてると身動きとりにくくて絶対寝にくいもんね」
「寝にくい以前の問題だと思うんですが…」
「寝返りはうてるの?」
「は?いや、打てません、けど…」
「じゃあ外してあげる」
「は!?」

そう言って俺の手錠を持っていた鍵で外したその人は、ベッドの淵に座ってにこりと笑った。枷が外れた瞬間、なんともいえない解放感に見舞われた。

「初めまして。折原名前です。あ、そうか、ここだと名前折原って言うんだっけ?とりあえず名前ってのが名前だよ」
「名前…おりはら…、変な名前」
「そう?まぁ君たちにとっては聞きなれない名前かもね。で、君の名前は?教えてくれないの?」
「………、エレン・イェーガー」
「エレンか。いい名前だね。特にイェーガーのほうが」
「なんでだよ?」
「だって狩人じゃん!かっこいい!」
「狩人?」
「ドイツ語でね、イェーガーは狩人っていう意味なんだ。まさに、巨人を狩る君にピッタリな名前じゃないか!素晴らしいね!」
「へぇ…ってかドイツ語ってなんだ?」
「それを話すのはめんどくさいから聞かないで。適当に流しといてよ」
「なんだよそれ。じゃあ言うなよな」
「………君って口悪いね?最初はかろうじて敬語だったのになんでとれちゃったの?まぁいいけど」
「いいのかよ…」

それから何をするわけでもなくその人は鼻歌を歌いながら地下室の様子を楽しんでいた。門番を気絶させて牢屋の鍵を開けたなんて他の人に知られたら絶対にやばいのに、何をのんきにしているんだろうか。そもそも、この人は本当に誰だ?

「あの、名前…さんは「えー?呼び捨てでいいよ?」
「名前は…調査兵団の人なのか?」
「違うけど」
「え、じゃあ憲兵団の…」
「あーそういう違うじゃなくて、ボクはどこにも属してないよ。まぁ強いていうなら一応調査兵団に身を置いてるけどね」

思えば着ている服装からして違和感があった。立体起動をつけるための器具がないし、それを固定するベルトもない。ジャケットも靴も、巨人を狩るために見合う服装ではなかった。

「ボクさ、君にものすごく興味があってさ!だからどうしても直接話がしたかったんだ!エルヴィンたちに掛け合っても危険だとかなんとか屁理屈ばっかり言って一向に会わせてくれないから自分で動いたほうが早いと思ってさ!来ちゃった!だから話を聞かせてくれない?な?いいだろう?」
「はぁ…?」
「周りが言うんだよ。君のことをバケモノだって!人間かどうかもわからない危険な奴だって!それ聞いたらいてもたってもいられなくってさ。自分の目で確かめたくなったんだ」
「そう、ですか…」
「巨人になれる人間なんて確かにバケモノ以外になんて言えばいいか!でもそんなバケモノでも元は人間なんだし、意思の疎通が図れないことはないし、バケモノ同士仲良くできるかなーって思ってさ!」

簡単に人の心の傷を抉るこの人は、心底楽しそうにオレのことも自分のこともバケモノだと言う。やけに整った顔立ちからこんなにも頭がおかしくなるような言葉を浴びせられて、オレなんかより目の前のこの人のほうがずっと危険なんじゃないかって思った。
どこからどう見ても普通の人に見えるこの人も、もしかして巨人になったりするのだろうか。そうだとして、何故自分とこの人とこんなにも置かれている状況が違うのか。
考えれば考えるだけわからなくなってくる。

「バケモノって言っても、ボクと君とじゃ意味は違うよ?」
「え?」
「君は巨人になれる人間だからバケモノって言われてるようだけど、ボクは人間を殺す人間だからバケモノって言われてるんだ」
「はっ?」
「ボクの仕事は暗殺で、君のような人間を殺して生きているバケモノなんだよ」
「あ、アンタ!頭おかしいんじゃねぇの!?」
「ふふ、そうかもね」
「この世界でっ!人類がどれほどの苦渋を強いられて生きてるかわかってんのか!?」
「さぁ。知らないね。だってボクはこの世界の人間じゃないからね。君の持つここでの常識はボクには当てはまらないんだ。残念だけどその思想や思考はボクとは分かり合えないよ」
「い…意味わかんねぇ…相当狂ってる…」
「何もお互いがお互いのことを理解し合おうなんて言っちゃいないんだけど。君の話を聞かせてほしいだけなんだけど」
「アンタに言って、オレがここから出れんのかよ…理解し合えない人に言って!オレがバケモノじゃないってアンタに証明できんのかよっ!!」
「できるわけないじゃん」
「はっ…なら一つだって話すことは無「でも」

感情のままに怒りをぶつけてもなお、綺麗な顔が崩れることはない。余すことなくありったけの拒否を示しているにも関わらず、目の前の視線がオレから逸らされることもない。
バケモノと罵られ誰もが遠巻きにオレを扱うなか、直接オレの話に耳を傾けようとしてくれる大人がいただろうか。この人以外、いなかった。こんな狂った思考回路の人間でしか、オレの話を受け入れようとしないなんて、本当にこの世界は腐ってやがる。

それでも、目の前の顔がふわりと笑うもんだから、腐った世界の中で一筋の光のように見えたのも確かだった。

「君の吐き出したい気持ちを聞いてあげることができる。バケモノだからと言って距離を取ることもしない。っていうか、ボクからすれば君はただの人間に変わりないんだよ?巨人になれるって言ってもさ、何も覚えてないんでしょ?それに今すぐ巨人になれるとも思わないしね。今の君からは身の危険は一切感じないし、そこらへんでのうのうと生きてる人間と何が違うって言うの?みんな警戒しすぎなんだよ。全く、ビビリが多いんだねぇこの世界の人間は。君が丸腰であろうが巨人になれようがボクには全然、これっぽっちも、まーーーったく関係なくて、ボクが殺すべき対象なんだってこと忘れないでほしいな」

涙が、出そうだった。いや、もう既にこぼれてしまった。線が切れたように視界がぼやけ、心の底から言葉にできない感情があふれ出した。
涙をぬぐうために持ち上げた腕には枷はなく、改めてそれがどれほど重たく動きづらいものだったのかを知った。
話をしたい。自分のことをわかってほしい。オレは人間で、こんなところへ繋がれるいわれはないんだと、誰かの口から聞きたかった。それが頭の狂った人間の言葉でもいい。今のオレには縋りついてでも欲しいものだった。

「なんで泣くの?もしかして怖かった?」
「ちがっ…」
「あぁ、それとも何?嬉しかったの?頭のおかしいボクの言葉が、そんなに君の胸に響いちゃった?可哀想な子。でも、そういう子は嫌いじゃないよ」

おいで、と言われて広げられた両腕へ、思わず飛び込みそうになって踏みとどまる。
違う、気を許していい相手ではない。なのにこんなにも揺らぐのは、優しい笑みを携えるからだ。狂ってるなんて嘘かのように、普通の人間みたいに微笑むから。

「むぅ、そっちがこないならこっちから行ってやる」

ぎゅう、っと苦しいくらいに抱きしめられた腕の中は、嗅いだことのない心地いい匂いがした。冷え切った地下牢で一人、誰にも気にかけてもらえることなく夜を過ごした数日が一瞬にして鮮やかな記憶へと塗り替えられる。
人のぬくもりがこれほどまでに温かいものだと実感させられた。ぼたぼたとこぼれる大粒の滴が白いシャツを濡らしていく。

ここぞとばかりに心臓に顔を寄せて聞き耳をたてると、トクントクンと規則正しい鼓動が聞こえた。
自分をバケモノだって言うこの人だって、ちゃんと人間なんだ。自分をバケモノだって認めたくないオレだって、ちゃんと人間なんだ。
ただこの人は人間の癖に人間を殺す人間で、オレは人間の癖に巨人になれる人間なんだ。ただそれだけの違いなんだ。


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