俺が5歳の時だ。
住んでいた地域で伝染病が広まった。幸いなことに俺の家族は無事だったが、可愛がってくれた顔見知りのじいさんがその時死んだ。
幼すぎた所為かそのときはじいさんが死んだという事実を理解していなかった。もう会えないのよ、と母親に言われたときに少しだけ寂しいと感じたくらいだ。
一週間もすればじいさんと会えなくなった寂しさは消えて、いつもの日常があっさりと戻ってきた。
そんなある日だった。
見慣れない黒い服に身を包んだ変な奴を見た。腰に二本の筒をさして音もなく歩く姿は異様なはずなのに、誰も奴を気にとめないし驚きもしない。
興味本位で後をつけると、見覚えのある家の前で止まった。
そこはもう会えないと言われたじいさんの家だった。

黒い奴が家に入るでもなくずっと入り口の扉を見つめていた。
俺も同じようにその視線の先を見つめていると、じいさんが見えた。
母親がもう会えないって言ってたはずなのに、なんだよ会えるじゃねーかって思った。

「じーさん!」

なんでもないように、いつも通りに挨拶をしようと走ってじいさんの元へ行くと、黒い奴が驚いたように俺を見た。

「お前、じーさんの知り合いか?変な服着てんなぁ」
「…君、ボクが見えるのかい?」
「はぁ?それよりじーさん聞いてよ。母さんがもうじーさんと会えないって言うんだぜ?嘘つきだよな。今もこうして会えてるの…に…?」

黒い奴からじいさんに視線を移すと、いつも通りの優しい笑みを携えたじいさんの胸から鎖が垂れ落ちていた。
その鎖の先には見たこともない口がついていて、鎖の長さを徐々に短くしてるようにも見えた。

「君はこのお爺さんの知り合いかい?」
「………うん」
「そうか。ならば尚の事、今のうちに魂葬してあげないといけないね」
「こん、そう…?」
「ほらジャン。お爺さんにちゃんとお別れの挨拶をしてあげて?」
「え?」
「これが本当の最後だから」


そう言って笑った黒い奴は今にも泣きそうな顔をしていた。
なんで名前を知っているのか、どうしてじいさんが半透明なのか、その胸から出てる鎖はなんなのか、お別れの挨拶って何をすればいいのか。
わからないことだらけだった。
でも子供ながらにわかったことは、じいさんは生きてる人間じゃないってことだけはわかった。
死んだ、という事実すらちゃんと理解していなかったんだ。それだけわかれば充分だと今なら思える。

「なんていえばいい?」
「君が今伝えたいと思うことを素直に言えばいいよ」
「………」

それはたくさんあった。
じいさんが大切にしていた花瓶を割ってしまったとき、嘘をついて誤魔化してちゃんと謝れなかったこと。
母親が大切にしていたハンカチを破いたのをじいさんの所為にしたこと。
内緒だと言って食べさせてくれた果物が本当に美味しかったこと。あれをもう一度食べたいこと。
読み聞かせてくれた本が難しすぎて全然面白くなかったこと。

伝えたいことが多すぎて子供の頭じゃまとまらない俺を見て、黒い奴はくすりと笑った。

「お爺さんとの思い出を、忘れないでやってくれ」
「うん…」
「でも君はこれからどんどん成長して、今より覚えていることが少なくなるだろう。それでもたった一つでいい。お爺さんが生きていたことを、君が覚えていてあげれば、お爺さんは嬉しいと思うよ」
「………うん」
「さぁ、挨拶をしてごらん」
「うん。じーさん…、またな」
「また、か。いい響きだね」

じいさんは笑った。
その笑顔は、俺の好きな笑顔だった。

黒い奴が腰の筒を取り出して、じいさんの額へとそれをあてた。

「心配しなくていい。あちらも結構住みやすいはずだ。ここでの用事が片付いたら様子を見に行くよ。それまでゆっくりしててくれ」

そうじいさんに言うと、じいさんはゆっくりと頷いた。
そして俺を見て、もう一度笑うと、手を振った。
それは決まってじいさんが俺を家まで送り届けた後にするもだった。
さよならと、お別れと、最後の本当の意味をようやく理解した俺は、じいさんが消えてから大泣きした。

わんわんと泣くおれの頭に温かいものが乗った。それは黒い奴の手だとわかるのに少し時間がかかった。
涙が止まらない俺に、黒い奴は言い聞かせるように言った。

「ジャン。君のお母さんは嘘をついていないよ。だから、責めないであげてね?」

気付いたら黒い奴は消えていて、俺は複数の大人たちにあやされながら帰路についた。
連れてきた大人たちから事情を聞いた母親は、俺を強く抱きしめた。その温かさが、黒い奴の手と同じだと思った。

黒い奴の名前を聞き忘れたな、とぼんやり考えていた翌日、あっさりと出会いあっさりと名前を知ることができた。

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