あれから五日ほど経った。すぐに新しい第三部隊が組まれ、またもや俺はそこへ配属となった。真新しい嘘の包帯が所々から顔を出す姿に、第三部隊にいた者たちは皆揃って顔をしかめた。


「もう動いて大丈夫なのか?」
「鶴丸、心配かけたな。この通り動けないことはない。出陣の命が下ったのならそれに従うまでさ」
「………無理するなよ」
「ああ」


部隊長の鶴丸国永が眉間にシワを寄せて俺を見た。審神者のお気に入りだからだろうか、鶴丸には傷一つ見当たらず、つけている刀装も特上の物ばかりだった。
あからさまな贔屓が目に見えるのは何もこれが初めてではないにせよ、やはり良い気はしない。けれどその嫌悪を鶴丸に向けるのは間違っている。彼も彼で、この現状を酷く嘆いていたのだから。


「薬研、兄さん…。あの、だ、大丈夫ですか…?お怪我、痛くありませんか?」
「五虎退にも心配かけたな。お前のほうこそ大丈夫か?この中じゃ一番練度が低いからな。頼りないかもしれないが、俺っちの後ろに控えているんだぞ?」
「た、頼りなくなんか、ありませんっ!薬研兄さんは、とても…強い、人、です…」
「そうか。ありがとうな」


ゆるりと五虎退の頭を撫でる。五虎退もやはり無傷ではなく、軽傷だが傷を負ったままの出陣となった。見送りに来ていた骨喰兄がなんとも心配そうな目で見ていたが、傷の完治した今の自分なら五虎退や他の連中も守れるような気がした。

あの日、骨喰兄は極力部屋から出るなと俺に言った。にも関わらずこうして数日後には編成を組まれ出陣するに至ったのは、出るなと言った次の日に骨喰兄が部屋を出てもいいと言ったからだ。
翌日に朝食を届けに来てくれた兄が、驚いたように目を見開いて立ち止まっていたのが記憶に新しい。不思議に思って声をかけると、ようやく意識を取り戻してくれた。二人で朝ご飯を食べている最中、何やらじっと俺を見ていた兄は唐突に口を開いた。


「薬研、体はどこもおかしくはないか?」
「?、あぁ。なんともないが?」
「そうか…」
「おかしそうに見えるか?」
「いや、そういうわけじゃないが…。そうだ、気晴らしにこの後散歩でもするか」
「え?いやでも昨日「弟たちがな、薬研に会いたいと騒いでいた。少しでも元気な姿を目にすればきっと落ち着くだろうと思ってな」
「………そういうことなら、別に構わないが…」


それっきり口を閉ざした兄は黙々と朝食を平らげた。元々あまり喋る性分じゃない兄であったから、多少の不自然さは残るものの、口を閉ざしたのには理由があり、必要がないと感じたからであろう。所々腑に落ちないところはあったが、とりあえず腹が減ったということもあり、その場はそれにて終了となった。

宣言通り、弟たちに顔を見せ、一兄や他の兄弟たちにも会いに行った。廊下や庭ですれ違う仲間の刀剣たちにも心配をかけたな、と言いまわった。その情報が審神者の耳に入り、動けるのなら、という理由でこの部隊に再結成されたのだ。
帰ってきてからも出陣の命を受けた時も、審神者は俺の前に姿を現すことはなかった。審神者にとって俺の存在とはそういうものなのだと思った。そこに悲しみや怒りは沸いてこなかった。あの日あんなにも憎いと思ったはずなのにな。

鶴丸のレベルを上げるためだろう。俺の練度でギリギリのところへ出陣とは、審神者もなかなか質が悪い。確実に五虎退や他の刀剣がすぐにやられてしまいそうになる場所へ今から行くのかと思うと、鉛のように足が重くなった。
またあの光景を、繰り返すのだろうか。まるで通夜のように重たい空気感の中で、極力普段通りでいようと徹した。誰一人欠けることなく本丸へ戻る。それがとてつもなく難しい任務だと思った。

出くわす敵の数と味方の数は同じはずなのに、明らかに戦力に差がありすぎる。敵の中に槍を持つものが増え、大太刀も控えている。鶴丸が率先的にややこしい敵を排除しようと動いてくれるが、鶴丸自身も無傷ではなかった。
それぞれが軽傷や中傷を負いながら、最後の本陣に向かう。後ろを歩く五虎退にそっと目を配らせると、ぜぇぜぇと荒い息をしながら必死についてきていた。もし最後の本陣に大太刀が二人以上いれば、五虎退は確実に破壊されてしまう。
嫌な汗が頬を伝っていく。自分もここまで無傷できたわけじゃないが、不思議と力は有り余っていた。場合によっては五虎退を庇うことも考えている。この予感、当たってくれるなよ…と誰に祈るわけでもなく一人ごちる。

外れて欲しい予感程、外れてくれない。本陣を見て、体の芯が冷えていくのがわかった。
目前の敵の数、六。内、槍が二体、大太刀が三体、太刀が一体。全員が言葉を失うのがわかった。
「こりゃ驚いた」と言った鶴丸の声に、いつもの軽さはなく、冗談でもなかった。誰かが折れる未来を、覚悟しなければならない。誰もがそう予期しただろう。

引き返すことのできない戦いへ足を踏み入れ、それでもそれぞれが臆することなく力を振るう。だが敵もそれは同じだった。
一体目の大太刀の攻撃は五虎退には当たらなかったものの、二体目の攻撃が直撃した。まともにうけた五虎退が重傷を負う。かくいう俺も、中傷を受ける。鶴丸の刀装を徐々に突き破る槍の攻撃に、追い打ちをかけるように振りかざす三体目の大太刀の刃が、重症の五虎退へと下ろされた。


「五虎退っ!!」


パキン、と小さく刃が欠ける音がして、力なく倒れていく五虎退を受け止めようと走り出した俺の背中に、最後の太刀の攻撃が迫りくる。


「薬研っ!」


焦ったように呼ぶ鶴丸の声を聞きながら、それでも五虎退に手を伸ばすことをやめなかった。ここで俺が立ち止まり敵と向き合えば、五虎退の体が粉々になってしまいそうだと思ったからだ。家族が目の前で消えていく様を、もうこれ以上見たくないんだと、俺の勝手な我儘のために敵に背を向けた罰だ。斬られる覚悟で痛みを待つ間も、五虎退へと伸ばす手を下げることなど出来るはずもなかった。


「ったく。見てらんねぇよ」


その時、一陣の風が真横を通り抜けていった。


「落雷っ!」


聞き覚えのある声に、見覚えのある雷。突然落ちてきた雷に動きを止めた敵の隙を見逃す仲間ではないが、破壊させるほどの力は残っていなかったようだ。


「とりあえず全員相手するのめんどくさいから、ぶっ飛ばーす!」


そう言って宙を浮く板の上に乗った誰かが自身の両手を前に押し出すと同時に、敵と俺たちの前に光の円が浮かび、どこからともなく突風が吹きだした。あまりの勢いに成す術もなく、敵は肉眼では見えないほど遠くへ吹き飛ばされてしまった。
最初から俺たち以外いなかったような、戦闘なんてしていなかったような、しんと静まり返る戦場がかえって不気味だった。


「いやー飛んだ飛んだ」


宙に浮いたまま敵が飛ばされたほうを見ている"誰か"の背中はがら空きだ。すぐさま鶴丸が刃を向け、もっともなことを聞く。


「誰だお前は」
「うわっ。白っ!ってかお前傷が…」


そう言って俺たちを振り返ったそいつは目に大きな眼鏡のようなものをつけていて、勢いよくそれを外して首にぶら下げる。さらけ出された顔はとても幼く、人間なのだと理解した。
人間が、何故戦場に?どこかの審神者なのだろうか?疑問点ばかりが脳内に浮かぶが、それよりも俺が気になったのは先ほどの雷だ。あの時もどこからともなく落ちてきた雷があった。その時に聞いた二人分の声の内、その一つがこの少年の声だったような気がする。

傷だらけの隊員を前にして、ぐっと眉を寄せた少年は、「ちょっと待ってろ」と言って地に手をかざした。その瞬間、一人一人の足もとに光の円が浮かぶ。きらきらとした光が下から上へとあがっていく。そのなんとも幻想的な様子を見上げていると、体中の疲れや痛みがふっと消えていった。


「こいつは驚いた…」
「傷が…消えている…?」
「ん。はい終了。あれ?そいつまだ治ってねぇな?」


そう言って全員を見渡した少年は、俺に抱えられた五虎退を見て首を傾げた。宙に浮いた板から降り、焦ったように五虎退へと近付いてくる。無意識に五虎退を抱える腕に力が入った。

五虎退を見て更に深く眉を寄せた少年は「これはまずい」と言って立ちすくんだ。その言葉は正しかった。現に五虎退が負っているのは破壊寸前の傷なのだ。


「これを見ろ」


少年が五虎退へ手をかざすと、五虎退の体から鎖に絡まった刀身が姿を表した。まずその状況に驚いたというのもあったが、俺はこの光景を数日前に夢で見たばかりだった。

近寄ってきた鶴丸は依然として抜刀したままだったけれど、少年に敵意がないことをくみ取ったのか、少しだけ警戒心を解いていた。けれど審神者が使う術とはまた違う奇妙な術を使うことには変わりなく、警戒するに越したことはない。


「これは…?」
「お前ら付喪神の本体だ。んでこの鎖は契約。人の形をして存在してるってことは呼ばれたんだろう?呼んだ奴が契約者で、鎖はそいつの霊力で作られた縛りだ。知らなかったのか?」


少年から聞かされた事実は誰もが初めて聞くものだった。何より、審神者が俺たちを顕現させたとき、誰一人としてそういうことを言っていなかった。言うべきことではない、と踏んで伝えなかったのかはわからないが、俺たちの本体にこんなふうに契約の鎖が巻かれているなんて初耳だった。
それに少年は俺たちがどういう存在なのかを既に知っているようだ。さも当たり前かのように俺たちを付喪神と称したのだから、必然的に少年の存在がどういうものであるのか、その答えは一つしかない。まさに思い描いていた答えを、訝し気に鶴丸が口にした。


「…君は審神者か?」
「さにわ?あぁ、それがここでの契約者の呼称なのか。いや、おれは審神者じゃない。まずその時間軸で生きてねぇ」
「?、どういう「そんなことより、コイツを早く連れて帰ってやれ。この傷は審神者じゃないと治せない」
「え?でもさっき…」
「あれはこの大地の力を借りただけの応急処置だ。こいつの傷はそんなもので治る代物じゃない。なにより刃が欠けちまってるぶん物凄く危ない」
「大地の力…?君が話す言葉は何が何だかさっぱりわかりゃしない」
「ちんたら喋ってる時間が今は惜しい。一分一秒でも無駄にできない。じゃなきゃ仲間が死ぬぞ。お前はそれでいいのか?」


そう言って鶴丸を睨んだ少年の気迫に、ここにいる全員が気まずそうに口を噤んだ。ならばすぐ帰ろう!と本来なら言うべきなのだろうが、そうして帰ったところで審神者が五虎退を手入れしてくれるとは思えない。
動こうとしない俺たちを見て、少年は首を傾げる。そりゃそうだ。仲間を助けたいはずなのに誰もがこの場から動こうとしないのだから。


「おい。何立ち止まってんだよ」
「………連れて帰ったところで、五虎退の傷を治す審神者はいない」
「は?嘘つくな」
「嘘じゃないさ」
「審神者がいる限りお前らがいるんだ。お前らが消えない以上、審神者が存在しない理由にはならない」
「違う。そういう"いない"じゃない。審神者はいる。が、きっと五虎退のことは治してはくれんだろう」
「意味がわからんな。どうしてそう思う」
「そういう主だから、としかこちらも言えんな」


鶴丸の言いたいことを理解したのか、少年はあからさまに苛立ちを露わにした。そうして少し悲しそうな目をして、細く小さく「ここも向こうも変わらないな」と言った。
少年の言う"ここ"が今だったとして、少年の言う"向こう"とはどこを指しているのだろうか。さっき言っていた時間軸が関係しているのだろうか。
そうして深いため息を一つ吐いた少年は「しょうがねぇ」と言って五虎退のそばでしゃがんだ。そうして俺を視界に入れた少年は、しばらく俺をじっと見つめた。


「?」
「今からこいつを助けようと思う。ただ、その間おれは無防備になるだろうから、もし敵が来たら任せていいか?」
「そ、れは構わないが…助けることができるのか?」
「なに。おれはただ手を貸してやるだけだ。助かるかどうかは、こいつの行きたいって思う気持ち次第だ」
『だめでち!』
「!?」
『あんまりここで関わりを持っちゃだめでち!マスターはお人好しすぎでち!この子は審神者に任せるべきでち!』
「うっせぇスー坊。おれがやると決めたんだ。口出しすんな」
『あーまたそうやって突っ走る癖ほんと治したほうがいいでちよ。リヒトに怒られても知らないでち!』
「はん。別にそんなこと怖かねぇな。目の前で死にかけてる奴がいて、おれが助けられるんなら助けて何が悪い。リヒトなんか関係ないね」


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