松葉色の軍服に身を包み、腰までの短い同色のマントを翻しながら本部の薄暗い廊下を歩く青年は、少し険しい顔をしていた。隠しきれない緊張を顔に出したまま、青年は目的の扉の前まで来ると、二回ノックをした。扉の前で自身の部隊名と名を言えば、中から威圧的な声で「入れ」と短く、簡潔に返ってくる。青年は先日の戦闘でミスをしたことや、今までの生活態度を思い出し、どんな叱責をされるのかと無意識に胃を抑えた。
見た目通り重たい扉を開け、デスクで肘をつきながら書類を見る男を視界に入れ、即座に姿勢を正し敬礼をする。そうしてデスクへと近づき、後ろに手を組んで立ち止まった。

「望月大佐、お呼びでしょうか」
「まずはこれを見ろ」

望月大佐と呼ばれた青年の上司である男は、今しがた自分が読んでいた書類を青年に手渡した。すぐさまお叱りを受けるつもりで覚悟をしていた青年は、肩透かしをくらい、少し呆けたまま書類を受け取る。渡されたのは分厚い紙の束だった。

「それはほんの一握りに過ぎない」

望月の言葉に今度こそ首を傾げ、書類の内容に目を通した。そこには時の政府が管理する様々な本丸の現状が記されていた。ますます意味がわからなくなり、青年は困惑の色を隠すことなく望月へと視線で投げかけた。

「お前には別の任務についてもらいたい」
「別の任務…?時空隊としてでしょうか?」
「まぁ、そうだな」

歯切れ悪く頷かれた言葉に、青年は更に困惑した。その理由として、青年が配属する時空隊という組織の任務にあった。
時空隊とは、時の政府が管理下に置く軍隊の呼称であり、生身の人間のみで構成されたその軍隊は、現代における時空の歪に稀に現れる時間遡行軍や検非違使を討伐する集団のことである。青年はその時空隊の、一から五まである部隊の一番隊に所属し、更に大尉としての地位を築いていた。
刀剣男子がいない現代において、彼らの存在が現代の秩序と安寧を守っていた。その時空隊としての責務と、この本丸の状況が書かれた書類と、自分に告げられた別の任務がどう繋がるというのか、青年は考えあぐねていた。

「時空隊の一番隊を率いる名字大尉を引き抜くのはこちらとしてもかなりの痛手であり、できれば私も反対したいくらいなんだが…更に上がな、もう放置できるレベルではないと言うのだ」
「はぁ」

いまいち意味のわかっていない青年を置いて、望月は苛立ちを露わにしながら話し出した。

「散々自分たちが放置しておいて、その尻拭いを押し付けてくるとは遺憾極まりない。その上名字大尉を出せとのご指名だ。うちに半端な強さな奴はおらんが、お前は周りより頭二つ分飛びぬけている。だからこそ一番隊の大尉として申し分ない働きをしてくれているのはわかっている。だが今はそれが仇となったようだ」
「あの…?」
「つまりだ。上が言いたいのはこうだ。審神者が不在の本丸及び、審神者がいる本丸への監視、介入、一掃をせよとの命だ」
「監視、介入、一掃…」

望月の言葉を聞き、青年は改めて手元の書類へと視線を落とした。そこには審神者として存在する者のユーザー名とID、所持する刀剣の数と種類、登録開始日と最終ログイン日などなど。時の政府が管理するそれらの情報がざっくりと記されていた。

「今でこそ少なくなったが昔はブラック企業だのホワイト企業だの言っただろう?あれと同じでそういう本丸がある。審神者の人間性がどれだけクズだろうがどれだけ清かろうが、なんせ適正さえすれば老若男女問わず誰でもなれるのが審神者だ。上に立つ人間の色でその本丸の色も変わる。当然だ」
「………」
「審神者になった以上、課せられるものがある。刀剣に宿る付喪神を顕現させ、時間遡行軍や検非違使と戦わねばならない。それが審神者の適性を持つ者が、審神者として生きる条件になるのだからな。けれど審神者も人間だ。飽きもすれば中だるみもする。そうして審神者としての使命を怠った者の所為で、この現代に時空を超えて時間遡行軍や検非違使が現れるようになったのだ。自分たちが生きる世界を、自分の怠慢が原因で脅かす羽目となる。本末転倒もいいとこだ。そんな不真面目な人間と真面目な人間が生きるこの現代を、我ら時空隊が必死こいて守るのもおかしな話だがな」

そう。審神者とは、時の政府が管理する亜空間にて本丸を築き、刀剣男子を顕現させ、歴史改変をもくろむ歴史修正主義者と、その両方を敵視する検非違使を討伐しなければならない。
適正されすれば誰でもなれるのが審神者であるが、誰でもなれるからこそ、審神者の使命を軽く見ている者が圧倒的に多いのだ。ゲーム感覚でやっている者がほとんどだろう。現代における時空隊の戦闘はゲームじゃないというのに、ゲーム感覚でやっている審神者たちを守るべく隊員が命を削ることを、望月は良く思っていなかったのだ。
けれど青年はそんな望月の怒りを理解はできても賛同こそはしなかった。何故ならば、青年は戦えればそれでいいと思っている人間だったのだ。戦いに身を投じることで生を感じ、生きている幸福を噛み締め、生死を直面した後に吸う煙草が格別に美味く、その瞬間を味わうためだけに生きてると言っても過言ではなかった。

そんな青年に白羽の矢がたち、ここに呼ばれたのだ。
世で言うホワイトすぎる本丸、ブラックすぎる本丸、放置された本丸。それらの本丸を管轄する審神者への指導、または強制解除、闇落ちしている付喪神の更生、使われなくなった刀剣の一掃を任されることになる。
望月に呼ばれた理由が怒られるものではなかったにせよ、これはこれで受け入れ難い、と青年は眉間にシワを寄せた。そこでふと、青年に疑問が生まれた。

「一つよろしいでしょうか?」
「なんだ」
「一掃とありますが、これは刀剣たちを刀解するということでしょうか?」
「そうだ」
「私にできるので?」

そもそも刀解も顕現も審神者でないとできるものではない。刀剣の真似事はできても、審神者の真似事をするにはまず適正がないと意味がなかった。しかしそんな青年の心配は一瞬で杞憂に終わった。

「なんだ?お前知らなかったのか?審神者としての適性がある者しか軍には入れん。なろうと思えば時空隊全員、審神者になることもできるぞ」
「えっ!?そ、それは、じゃあ、望月大佐もなれる、ということでしょうか?」
「そうだ」
「ええっ!?大佐がっ…!?審神者にっ…!?」
「何を驚く。時空隊に属している時点でお前もなれるんだから私もなれるだろうが。そもそも適正検査を受けたことすら忘れているのか?」
「ハッ!」

あまりの衝撃で青年は今の今まで忘れていたことを思い出した。青年が十六歳の頃、学校教育の一環として審神者の適性検査を半強制的に受けていたことを。当時、青年は審神者という職種に一切興味がなく、良いイメージすらもなかった故に断っていたのだった。

「お前は審神者になれると言われ、それを望んだか?」
「…いいえ」
「つまりそういうことだ。否と言った者の内、霊力が高く見込みのある奴だけを引き抜き、軍人へさせるのが私の務めだからな」
「そうだったんですか…初めて知りました…」
「それは私の台詞だ。よくもまぁ審神者や政府の仕組みを知らずに今まで来たものだ…」
「戦えればそれでよかったので!」

そういって無害そうに笑った青年を見て、望月は一つ深いため息をこぼした。時空隊の一番隊の大尉を務める名字名前という男は、その端正な顔立ちからは想像できないほど戦闘狂の一面を持ち合わせていた。
一番隊は別名『首切り』と呼ばれており、その名の由来はこの青年の戦い方にあった。相手の懐へ入り込み、即座に首を切り落とす。返り血が青年に降り注ぐ前に、また別の首が飛ぶ。そうして青年の通った道には首のない屍が連なっていくのだった。

そんな実力を持つ青年を選んだのは政府だ。ただの本丸へ指導に入るだけならば他の時空隊の隊員でもできるであろう。だが、闇落ちした、または闇落ち直前の付喪神を相手にするならば、生半可な強さはいらなかった。ある意味正しい人選であるが、その正しさ故に望月は気に入らないと苛立つのだった。

「審神者って男もなれたんですね。てっきり女しかなれないと思っていました」
「なれるなれないに性別も年齢も関係ない。が、今は10代から30代の女性が大半を占めている。まぁ、刀剣たちも男だ。華がなければやってられんだろう?」
「まさか上にそんな配慮ができたとは…」
「中には物好きが間違いを起こすこともあるがな…。そういうのを取り締まり本来の形へと修正するのがお前の仕事だ。歴史修正主義者がいるんだ。本丸修正主義者がいてもなんらおかしくはないだろう?」
「何上手い事言ってるんです。若干ドヤ顔するのやめてくれません?」
「上司に向かってその態度…先日の戦闘でのミスを叱られたいとみる…」
「すっ、すみませんでした!!」

望月は確かに別の任務を与えるために青年を呼び出したが、先日の戦闘で青年が犯したミスを咎めることも忘れていなかった。覚悟が緩んだときに突かれた痛い場所に、青年は背中に嫌な汗をたらしながら、どうにかこの話題から意識を逸らす策を考えていた。

「そっ、そういえば一掃と称して刀解した刀剣の記憶はどうなるのです?自分がいた本丸の記憶を全部忘れさせるのでしょうか?」
「………、それは追々サポート役に聞いてくれ。私も詳しいことは知らんのでな」

あからさまに話を逸らした青年に、しばらく鋭い目を向けていたが、お互い忙しい身であるため、くだらない会話を長引かせる気にはなれなかった。
望月が顎で後ろをさしたため、青年は思わず振り返った。そこにはいつからいたのか、大層美しい毛並みをした狐が静かに鎮座していた。その存在の気配に気付けなかった悔しさが青年の心にじわりと滲み出たが、どこか「なるほどな」と妙な納得をした。審神者をサポートする"こんのすけ"とは姿も形も違い、政府を補佐するこの狐は、気品にあふれていた。

「初めまして。わたくしは名字大尉の補佐をするよう使わされました九尾狐の内、二を司る者"如月"でございます。詳しいことはわたくしからお話し申し上げます」
「と、言うことだ。どうだ?引き受けてくれないだろうか?」

こんのすけが人語を話せるのだから、この狐もまた人語を話せて当然である。が、青年はあまりにも流暢に喋る狐をまじまじと見つめていた。
望月の言葉にはっとなり、自分がこの任務を任されるために呼ばれたにせよ、まだ意見を言う権利があるのだと理解した。

「…一番隊はどうなるのです?」
「別の任務とは言ったが何も一番隊を脱退しろとは言ってない」
「両方をこなせと?」
「そつなくできるであろう?」
「買い被りすぎですよ。私一人にそこまでの技量はありません。一番隊の皆がいてくれたからこそなんですから」
「ではお前が決めるがいい。しばらく空ける自分の場所の代理を立てても構わん。そこは好きにしろ」
「いいんですか?」
「それくらい許されるだろう。なんせ、尻拭いだからな」

そう言って青年越しに狐を睨む望月に、気まずそうに黙りこむ狐を見て、こちら側がある程度優位にあるのだと直感した。ならば少しくらいの我儘なら許されるであろうと踏んで、青年はしばし考えた。
名指しでくる命令なのだから、できないことはないのだろう。それを上司である望月が了承し、話を持ち掛けてきたのだから、その期待には応えたいと青年は思った。
決心がついたのか、目深に被った制帽の奥に潜む青年の瑠璃色の瞳が、ぎらりと光った。

「時空隊が一番隊、名字名前。この任務、受けさせていただきます」

姿勢を正し、目の前の望月に敬礼をする。
そんな青年の背中を見た狐があからさまに安堵の息をはいたのを聞き、狐からは見えない場所で望月と青年が口の端を僅かに上げた。世間ではそれを"悪い顔をしている"と言うが、二人のそれはほんの一瞬の出来事であった。

「では早速、本丸へ行ってきます」

そう言って踵を返した青年は、颯爽と部屋から退出していく。突然のことにしばし呆けたままの狐だったが、先ほどの青年の言葉をかみ砕き、慌てて青年の後を追うように部屋から出ようとした時だった。

「お前たち政府にあいつの手綱が握れるとは到底思えんが、まぁ好きにするがいい。せいぜい振り回される覚悟でもしておくんだな」

今度こそ隠すことなく見せびらかせた意地の悪い笑みに、これまた狐も隠すことなく威嚇するように「肝に銘じておきましょう」と笑って部屋を後にしたのだった。

ALICE+