「善法寺先生、またあの人来てますよ」
ナースにそう言われて受付の小窓から待合用のソファーを見ると、丁度大きな欠伸を隠さずにした彼の姿が目に入った。腕時計を確認すると13時を過ぎた頃だった。よくもまぁ飽きもせず僕とご飯を食べたがる奴は彼くらいだ、と小さく笑みがこぼれた。
そんな僕の仕草を見て彼が来たことを知らせてくれたナースがくすりと笑った。
「ここは私が片づけておきますから、先生はお昼に行ってくださいな」
「え?でも…」
「ほらほら、お友達がお腹をすかせて待っているんですから」
「あ!ちょっ!」
そう言ってナースに背中を押され、診察室から追い出されるように外へ出た僕を見つけ、彼が嬉しそうに近寄ってきた。複雑な顔をして診察室を繋ぐ扉を見る僕に「気をきかせてくれたんだろ?」と優しい声色で僕の肩を軽く叩いた。
「いい助手じゃねぇの」
「…うん」
「ほら飯にしよう伊作。とりあえず午前の仕事は終わったんだしさ」
「うん。今日は何処で食べる?」
「あったかいところ」
「なら中庭だね」
再び欠伸をして歩き出す彼の背中を追いながら、もうすっかり慣れた新しい職場での日々を実感していた。
彼と再会したあの晩から、僕の人生はがらりと変わった。
今まで勤めていた総合病院の院長から突然通達があった。まさかクビだろうか、と恐る恐る話を聞いていると、何故か警察病院へと転勤になったのだ。
警察病院の院長さんが僕を引き抜きたいと申し出たらしく、これまた何故か警視庁の松本警視という人も一緒にお願いしにきたらしいのだ。何がどうなってそうなったのか、話の全貌をあまり理解してないまま、あれよあれよという間に僕の転勤が決まり警察病院の内科へと配属された。
そのことをすぐに彼と留三郎に話すと、二人とも顔を見合わせて笑い、悪戯が成功したような顔をした。まさか、と思って問いただすと、彼はあっさりと真実を話してくれた。
僕と彼が再会し、病院で治療を受け一晩入院した次の日、彼は留三郎を連れて病室へやってきた。彼だけじゃなく留三郎にも会えたことに、バラバラになって欠けていた心が全て元通りになる音を聞いた。
三人で肩を抱き合いながら昨日散々流した涙で六年は組の絆を確かめ合った。僕が退院する夕方までずっと病室で語り合ったにも関わらず、まだ話し足りないと意見が合致したため彼の家へ行き杯を酌み交わしながら盛大に盛り上がったのはまた別の話だ。
それからの彼の行動は早かった。
僕が勤めていた総合病院を調べ、顔馴染みであった警察病院の院長に話をつけ、断られないように警視の存在まで持ち出した彼の行動の裏には留三郎も一枚噛んでいたらしい。
何よりも一番効き目があったのが、『時友名前の推薦』ということだった。その言葉さえあれば警視の存在は必要ないといっても過言ではないが、もしもの時のために、と彼によって用意された駒だったのだ。
色んなところで名を轟かせている彼は、もちろんこの病院内でもすこぶる有名だった。中でも一番有名な話が彼がまだ捜査一課ではなく、組織犯罪対策部に居たときの話だ。
当時東都湾の近隣でヤクザ同士の抗争があった。その仲裁と民間人が被害を受けないよう守備を任されていたのが彼の班だった。結果から言うと、ものすごい速さで抗争を鎮圧させ、その大多数が逮捕される始末となった。
彼はその時の抗争で傷を負った者たちを全員警察病院へ送り、一人一人病室で事情聴取を行い、更生できそうな者にはチャンスを与えるという所業を行った。その内のある人物を彼が熱烈に口説き落とし、現在彼の家でたった一人の使用人として彼の留守を守り続けているって噂だ。ま、その噂が本当であることを知ってるのは僕と留三郎くらいだろうけど。
彼の手腕は警察内部じゃ飽き足らず、この病院内の人たち、果ては抗争の中心にいた者たちにまで広まっていった。
面倒見がいい彼のことを邪険にする者はおらず、皆何かしら彼に恩恵を受けているのだとわかった。彼が無意識に手渡すそれは、きっと何人もの命や人生を救ったのだろう。
あの晩僕にしたように、この先も彼は同じように誰かを救い、その感謝の意に気付かないまま先を進んでは振り返らない。けれど時折足を止め、僕や留三郎が追いつくのを待ってくれる。そうして近づくとようやく首だけ振り返り、ゆるりと笑うのだろう。
その行動はきっと、僕と留三郎にしかしないことを僕たちは理解していた。その特別視が酷く嬉しく、贅沢なものだと思う。彼が面と向かって愛情を与えるのは、この世界では僕らだけなのだから。
そんな彼、時友名前の推薦という形でこの病院へ転勤してきた勤務初日では、噂を聞きつけた人たちが僕を一目見ようと押しかけていたことを思い出す。その状況に困り果てた時、さっきのナースがみんなに喝を入れて一掃してくれてたっけな。あの時の彼女は普段からは想像できないほど般若のような顔をしていた気がする。
「今日は留三郎も来るはずだったんだけどさ、急に仕事が入っちゃって」
中庭について木の影になっているベンチへと腰をおろした。
彼が持ってきた包みを開けながら言った言葉に、鑑識官である留三郎に仕事が入ったということは…、とまで考えて彼を見た。
「なら名前も仕事じゃないのかい?」
「ん?私はいいの。優秀な奴は他にもいるんだし、そいつが行けばいい話だから」
「また駄々をこねたな?」
「………だって。伊作とご飯食べたかったんだもん」
「可愛く言ってもダメ。また目暮警部に迷惑かけてるじゃないか」
「ちゃんと謝ったよ?事件内容も大したことなかったし。私が出る幕じゃなさそうだったから。適材適所ってやつだよ」
「全く…名前は本当に自由人だなぁ」
「違う違う。優先順位が極端なだけさ」
そう言って僕を見てにっこりと笑った彼に、そこまで言われちゃしょうがないと観念した。
「愛されてるなぁ僕」
「あれぇ?今頃気付きましたぁ?」
「ふふ、そんなの、随分昔からとっくに気付いてたよ」
僕の言う"昔"の意味を理解した彼は、懐かしむように目を細めて笑った。木々が作る影の中、葉と葉の間から差し込む光が彼の灰白色を照らしきらきらと反射させた。
いつだったか彼と一緒に学園長のお使いという名目の任務に出かけたとき、休憩と称して腰をおろした木々の下で見たあの光景が目の前にあった。あの時は食堂のおばちゃんに作ってもらったおにぎりを頬張っていると、実習帰りの留三郎と出くわして結局三人で任務を達成させたんだっけ。
懐かしいなぁ、と思いを馳せながらサンドイッチを頬張っていると、彼のポケットから携帯の着信音が聞こえてきた。
「あ、留三郎だ。ほんとこいつ空気読みすぎだろ。あの時と一緒かよ」
そう言って留三郎からの電話に出た彼の先の言葉に、僕と同じことを考えていたんだと知った。あの時のように留三郎も合流、とはいかないけれど、僕らの間にあるは組の絆が今もなお健在なことに心底嬉しく思う。
それだけで午後からの仕事だけじゃなく、明日、明後日、明々後日、その先の未来がたとえどんなものであったとしても、希望を捨てずに生きることができる気がした。それはあの頃の六年間のようだと感じた。
僕がそう考えているのならば、この二人も同じように考えてくれているのだろうか?
幻世の海に沈む
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