委員会の活動が終わったその足で、私は彼の部屋を訪ねていた。六年長屋の一番奥にあるその部屋は、他より少し狭い一人用の部屋だった。
そこが突き当り、という作りになっている故か、必然的に彼に用がある者しかそこへ行かない。そのためか廊下にまで彼の私物が置かれている始末だ。古びた本が数十冊と、彼の趣味である夕顔の弦が長屋を支える柱に巻き付かれている。
完全にこの辺一帯が彼の私物化となってはいるが、誰も彼のすることに口を出す者はいなかった。それはこの学園の教師でさえ、彼に行動の規制を背負わせてはいない。その理由を私たちはちゃんと知っているし理解もしている。だからこそ文句を言う者はこの学園に誰一人としていなかった。

「名前、私だ。入ってもいいか?」
「仙蔵?…あー、待ってくれ。戸の前をちょっと片すよ」

声をかけると何やらごそごそと戸の前で動いているようだ。どうせ読み散らかした本を適当に端に寄せているだけであろう。それは片すとは言えないのだけれど。

「やぁやぁ待たせてすまない。入ってくれ」
「では失礼する」

そう言って開けられた戸の向こうは、やはり私が想像していた通りの散らかりようだった。ふと見た戸の隅には今しがた避けただけであろう本が無造作に積まれており、今にも崩れそうな傾きだった。

「名前、少しは片づけたらどうだ?」
「え!これでも片付いてるほうなんだけど!」
「…これでか?」
「………やっぱり汚い?」
「綺麗とは言えんな」
「…わかったよ。次の休みに片づけるとしよう」
「たまには一人でやってみたらどうだ?どうせまた留三郎に手伝ってもらおうと考えているのだろう?」
「え!なんでわかったんだ!?」
「何年お前と一緒に過ごしていると思っている。それくらい猿でもわかるわ」
「それは言い過ぎだ。おれに失礼だ」
「む?あれはなんだ?」
「おい無視か」

むくれた顔で視線を寄越す彼の向こうで、何やら大きい布の塊が見えた。私の視線の先を追うように彼が振り返り、その塊のことを言っているのだとわかった途端、急に表情がいきいきと輝きだす。

「これか!いい目の付け所だ仙蔵!これはクッションと言うんだ!」
「くっしょん?」
「この間第三共栄丸さんの護衛で貿易商と取引したときに教えてもらったんだ!海の向こうで発祥したものでな!実際はこちらでいう座布団のように縦横と同じ寸法で作られているんだが中身が違うんだ。おれたちのは綿を詰めたりするが、クッションとやらは羽毛を使うんだそうだ。もうふっかふかなんだ!一目で気に入ってな!さっそく作ったんだ!」
「ほう。外国のものか。してその中身も羽毛なのか?」
「いや、さすがに羽毛をこれだけ集めるのは苦労するし、なにより鳥の毛を毟るのは好きじゃない。だから綿と余った生地を詰め込んだんだ。大きさもおれ専用に大きくしたんだ!これいいぜ〜!うつ伏せも仰向けもこれ使うと寝心地いいんだ!もたれて本を読んでるとすぐ寝落ちしてしまうくらいにな!仙蔵もやってみ!ほら!」
「どれどれ…」

言われるがままにそのクッションへともたれてみる。私の体を包み込むようにゆっくりと沈んでいくそれは、丁度良い固さであり、沈みすぎない場所で止まってくれる。なるほど、これはいい。
座布団のように真四角ではなく、いびつな丸い作りのそれは、私の両腕を回しても届かないほどの周囲だった。試しにうつ伏せになって本を読む姿勢に変えると、これまた良い高さとなる。寝落ちしてしまうのもわからなくもない。

「どう?どう?」
「悪くない。しかし少し大きすぎないか?私にはこれより一回りくらい小さいほうが合っている気がする」
「作ってやろうか?」
「いいのか?」
「まだ綿残ってるし、いるなら作ってやるよ」
「ではお願いするとしよう」
「おう!」

嬉しそうに笑う彼を見て私もつられて笑ったが、私が彼の部屋を訪れた目的を思い出し、それどころじゃないんだったと打ち明ける。

「そうだ。談笑しに来たのではないんだった」
「え?そうなの?」
「お前に聞くことがあってここに来たんだ」
「なんと。んで?」

私の話を聞きながら手の届く範囲で少しでも本を片そうと動くが、ある一冊の本を見つけた瞬間その手は止まった。次第に一枚、また一枚とめくり始め、私の話を聞く気がないらしい。なんとも不愉快な態度である。
だかそんな彼の気を一瞬でこちらに引くことができる話を私がしようとしていることに気付いてはいまい。さて、彼は一体どんな顔をしてくれるのか、非常に楽しみだ。

「お前の弟の伝七のことだが、なかなか素質があるではないか。私の言うことを素早く理解する頭もあるし、礼儀もちゃんとわきまえている。いい弟だ」
「………は?」

ん。なかなかいい表情ではないか。本を読んで聞き流していたであろう私の声が、彼の鼓膜に留まったようだ。思惑通りだ。

「ん?」
「え?ちょ、えっ…?」
「なんだ」
「おれ仙蔵に弟がいるって言ったっけ?」
「…ふむ。聞いた記憶はないな」
「だよな。なのになんで名前までも知ってんの?」
「さぁ、何でだと思う?」

にやりと笑った私を見て彼は様々な思考を巡らせたのだろう。そうして一つの答えに辿り着いたのか、茫然としながら「まじか」とだけ呟いた。
そんなに弟がこの学園に入ったことが意外だったのか、そもそもなぜ身内であるはずなのに入ったことを知らなかったのか。目の前で「最悪だ…」と落胆の色を見せる彼に私は不思議に思わざるを得ない。

「知らなかったのか?身内なのに?」
「だって実家に帰ってないし…帰っても弟には会わないし…」
「何故?」
「何故って…」

言い渋る彼の様子を見て、私は先日の顔合わせの時を思い出した。
黒門伝七と名乗った弟に、その場にいた全員が驚きを隠せなかった。彼と同じ黒門という姓を名乗り、彼を思わせる似た容姿に、初めて彼に弟がいたことを知った。たまたま同じ姓だったのならば、そこまで驚く必要はなかったが、同じ血を分けた実の兄弟となれば話は別だ。
"あの黒門名前の弟"という衝撃に、しばらくの間伝七は質問攻めにあっていたが、彼のことを答える伝七の様子は言いたくないような素振りを見せていた。まさに、今の彼と同じように言い渋る姿は本当にそっくりだ。

「おれ、苦手なんだよなぁ。あいつのこと…」

酷く情けない声と表情で言った言葉は、言い渋っていたわりに大した理由じゃなかったことに、私は呆れてため息一つで返した。
それに焦ったように聞いてもいない言い訳を並べ始めたものだから、これは長くなるな、と思いクッションとやらに身を預け聞き流すことにしよう。寝落ちして目が覚めたら終わっていることを願って。

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