あの先輩が学園にいることを知ったのは、実技訓練で裏裏山から帰ってきた二日後だった。妙に周りがそわそわしているな、と思ってい組の二人に問いただしていたところに、ふらりと先輩が現れたので原因の追及はすぐに終わった。っていうかい組の奴ら、知ってて黙ってやがったな。許さん。

「もーそんな拗ねんなよー。ほら、有名な団子屋の草餅買ってきてあるから。な?これ食って機嫌直せって!うまいぞ?」
「そんなことで私の気が直るとでも!?草餅はいただきますけど!勿体ないですから!」
「三郎が食べなければ勘右衛門にあげるだけだからどっちでもいいんだけど」
「私が!全部!食べますっ!」
「なんと。三郎がそんなに草餅が好きだったとは。知らなかったなぁ。覚えておこう」
「あぁーもぉー!別にそこまで好きとかそういうのじゃなくて!そういうことは覚えなくて結構ですから!もっとこう!そうじゃなくて!」
「どうどう…茶でも飲んで落ち着きなさいな。折角一緒にいるのにお前の機嫌が悪いとおれが悲しいだろ?」
「………はぁ」
「なんだそのため息は」

わかってない。この人は本当にわかってない。私がどれほど尊敬して慕っているか。それはあのアホの勘右衛門じゃ比にならないくらいだというのに。
もちゃもちゃと草餅を食べ、先輩の淹れたお茶で一息つきながら、改めて目の前にいる名前先輩を存在を噛み締める。出来ることなら先輩が学園に帰ってきて一番に会う後輩でありたかった。
聞くところによるとそれが叶ったのは新しく入ってきた一年生だというではないか。心底羨ましいと同時に腹立たしい。新入生じゃ先輩の凄さを知らないから、いかに特別な存在に一番に会えたかという重大性を理解できない。あぁ勿体ない。草餅を食べないこと以上に勿体ない。
しかも新入生を数に入れないと考えてもその次に会った人物が保健委員長の善法寺伊作先輩だなんて。不運だ不運だと口では言っておきながら、かつてない幸運じゃないか、と悪態をつきたくなる。願わくば善法寺先輩の今年一年分の幸運が、その一回で使い切ってますように。

「で?次はいつ行かれるんです?」
「もぉーーー、三郎までそれ言うのか?」
「何言ってるんです。学園にいる時間のほうが短いくせして」
「拗ねんなって」
「拗ねてませんって」
「それ兵助にも言われたんだけど?そんなに出て行ってほしい?」
「はぁ?その逆ですけど」
「えー?どのへんがぁー?」
「先輩がいつ出ていくのかがわかれば、その分先輩がいる期間を悔いのないように過ごせるじゃないですか。別に先輩が出ていくことに関して文句を言うつもりはありませんよ。それは私だけじゃなく兵助たちも同じですし。出ていった先で何をしているのか余計な詮索はしませんが、この学園のためになることなんでしょう?それくらいわかってますよ。だから我儘言って引き止めて、先輩を困らせるようなことはしたくないんです。早く行かせたら、その分早く帰ってきてくれるって知ってますから」

そんなこと言葉にしなくても、先輩ならわかっていると思っていた。だけどこうして心底わかってないという顔をされると、ついムキになって言い聞かせたくなる。
私たちがこうしてるから、先輩はこうしてほしいとか、そういう見返りを求めているわけじゃない。本音を言えば行ってほしくない。ずっと学園にいて私たちのことを見ていてほしい。けれどそれは先輩のためにはならない。
まやかしという幻術をかけ続ける精神面と、それを維持していく高度な技術が必要なんだ。たくさんの知識を身に着けて成される幻術で、私たちは生かされているのだ。重すぎる使命を託している自覚はある。こちらが頼んだことではないにしろ、それをやってのける先輩だからこそ、慕われ、敬われ、必要とされるのだ。
茫然と私の言葉を聞いていた先輩は、次第に口を覆い顔を俯かせた。時折聞こえる鼻をすする音に、もしかして泣かせた!?とありえない状況に焦った私だったが、先輩が顔をあげたときに私の顔になっていたから嘘泣きだとすぐにわかった。まぁ私の顔、というより雷蔵の顔なんだけれど。

「もっと驚けよ」
「見慣れすぎて驚きようがありませんよ」
「つまんねぇ」
「手札が少なすぎじゃありません?」
「ふーん、そういうこと言っちゃう?じゃあこれ…だーれだ?」

ばばっと作りかえられる様子に、相変わらず手際がいいと感心する。まだまだこの先輩から盗める技術がありそうだ、と笑おうとしたとき、さっきまで雷蔵だった先輩の顔が変わった。ニヤニヤと意地の悪い笑い方から一遍して、雰囲気を整えた先輩はコホンと一つ咳払いを落とす。

「どうだ?これなら驚いただろう?」

顔も声も、それは私だった。
雷蔵の姿を借りた私ではなく、化けの皮を剥がした本来の私がそこにいた。初めて私の顔を借りて妖者の術を見せてくれた低学年のときの顔ではなく、ちゃんと歳をとり、今の私の素顔がそこにはあった。
思わず自分の頬を触ると、鏡のように同じ動きで頬を触る先輩の手。顔の表情も、きっと先輩が今見ている私の表情に合わせているんだと思う。言葉が出ないくらい、驚いた顔をした自分がそこにいる。
鏡なんてないのに、まるでそこに一枚の鏡を隔てているかのように、気付いたら先輩の着ていた緑色の制服ですら青いものに変わっていた。夢か幻を見ているかのようだった。そこまで思ってようやくはっとする。なるほど。してやられた。

「くそっ!引っかかった!」

振り払うようにばちん!と痛いくらいに両頬を叩いた。瞬間、霧がはれていくように目の前の私がすぅっと姿を消していく。
いつの間に幻術をかけられていたのか、全然わからない。ニヤニヤと笑いながら草餅を食べる先輩を見つけ、悔しそうに睨みつける私に今度はけらけらと声を出して笑い出す。

「いつ!いつですか!?」
「そこはほら、自分で考えてごらんよ」
「くっそーーー!すっげぇ悔しい!」
「あはは!おれはすっげぇ楽しい!」
「………草餅は先輩も食べているから違うとして」
「はたして本当にそうかな?三郎のだけ普通のじゃなかったかもしれないのに?」
「いえ。雑味がなかったので草餅は普通の草餅でした。と、すればお茶か」
「ほうほう」
「お茶なら多少の味が誤魔化せる。が、幻術をかけるとなるとそれ相応の量がいる。苦味はあったがお茶の苦味に間違いはなかった。そう考えると…草餅もお茶も幻術をかけるまでの私の気を引く道具にすぎなかったというわけか。ならば残るは咳。最初の変装は本当。その次からですね。私が動揺した瞬間にかけたんでしょう?」
「なんとまぁ…兵助といい三郎といい、お前たちは年々賢く鋭く成長してくれる。本当に頼もしく飽きない後輩たちだ。大正解だよ」
「はぁ…何故見破れなかったのか…」
「そこは落ち込む必要はないぞ三郎。このおれがかけるんだ。騙されて当然だろう?」
「それは…そうですけど…。悔しいことに変わりありませんよ」
「うんうん。だがその後が大事だ。いつ、どこで、どのきっかけでかけられたのか。それを考えて答えを導き出せる頭があることは誇っていい。それは幻術にかけられたとわかっていても、簡単にはできないことだからな」

そういってにこり、と笑うと私の頭を撫でた。お菓子で機嫌を直そうとしたり、褒めるのに頭を撫でたりと、やることがいちいち子ども扱いで嫌になるが、先輩の言う通りだと思った。
むしろ先輩の高度な幻術を目の当たりにできたことを誇るべきだと思えた。この学園にかけながらも、こうして他の幻術も使えるとは。ある意味これ以上先輩の凄い部分を見たくない気もする。

「しかし名前先輩。最初の変装が本当に先輩がしていたとして、どうして今の私の顔を知っているんです?」
「あー、それはだね。昔の三郎を思い出して、今ぐらいに成長していたらこんな感じかなぁって作ってみたんだ」
「つまりはあてずっぽう、と?」
「それは違う!限りなく事実に近い予想さ!」
「良いように言ってますね」
「でも似てたろう?だから動揺して幻術にかかったんだからおれの勝ち〜」
「か、勝ち負けの話じゃありません!そもそも勝負をしていたわけじゃないですし!先輩が勝手にかけたんでしょう!?」
「三郎はおれが認めた天才だから見破れるかなーって思って」
「なっ!?そ、そうやって私の心情を揺らしてまた幻術をかけるつもりですかっ!?」
「もー、素直に嬉しいって言えよー」
「なら普通に褒めてくださいよっ!」

ぎゃんぎゃんと騒がしく突っかかる私にそろそろ先輩が面倒くさくなってきたころ、雷蔵と八左ヱ門がばたばたとやってきたことで私と先輩の時間は終わった。
さぁて、後から来たこの二人がいつ先輩の幻術にかかるのか見物だな、と笑った私も一緒にかかっていたのはまた別の話だ。ほんと、いつか見破ってやる!

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