コーラルピンク







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 色彩豊かな花屋の店先。興味深そうに眺める年若い女に声をかけたのは、その店の若い店員だった。

 「いらっしゃいませ。プレゼント用ですか、ご自宅用ですか? おすすめはコスモスです。秋ってかんじですよね」

 声をかけられるのが苦手なタイプもいるが、引き際を心得ている。たいてい、彼のまだ浅い経験数のなかでも、比較的そのままお買い上げいただくほうが多い。その理由はルックスの良さであることは自覚済み。客商売は夜の世界でも同じであるし、慣れたものだった。

 コスモスをメインにアレンジメントをした花束を売り、手慣れた中堅店員のような仕事さばきをしているが、店頭にたってまだ半月しか経っていない。
 温度管理のされたショーケースのメンテナンスをしていると、店先でじっと観察する女に気がついた。まるで参観日の日に教室の後ろから我が子を見守る親の眼差し。なんとも気恥ずかしく、ぶっきらぼうに錦山は尋ね人に声をかけた。

 「……なーに見てんだよ。早く入ってこいよ、水琴」
 「え? あぁ、ふふふ。サマになっててびっくりしたのよ。ついに、店頭デビューしたから様子見にきたけど、心配なさそう」
 「あったりめーよ。……ってのは冗談。裏で厳しく扱かれてた。あ、店長にはナイショな?」

 どうも見掛けは軟派に見えるから、繁華街の客引きみたいな真似はするなと事前の忠告を受けた。
 店主は虹川家の親戚筋の人間で、水琴は店きっての太い客。一方で、錦山が花屋に勤めだしてから彼目当てに通う顧客が増えた。コレに関しては、水琴にはナイショの話だった。

 きょろきょろと店内を見渡す水琴が、ただの参観に訪れたわけではないらしい。

 「花材か? 先週に仕様書はもらってるぜ」
 「うん。FAXで先に送っておいたのがあったと思うけど、追加しようとおもって……展覧会があってね。細かい調整をしてたら、もうちょっと欲しくなって」
 「はいよ」
 「ハロウィンだし、カボチャも意外といいかも」

 顎下に指をあててうんと頷く彼女は真剣な目つきだ。
 観賞用のかぼちゃ。ディスプレイ展示にはアクセントになる。変化球にはもってこいの花材といえた。
 
 「今日は遅いの?」
 
 仕事モードから一転、今日の今後の予定を尋ねた。
 伝票と仕様書に追加の分を書き加えながら、錦山は返事をする。

 「いや。いつも通り八時終わり。なんだ、メシでも行くのか?」
 「ううん。このままスーパーに寄って帰る。待ってるから。あ、晩御飯はカレーね。じゃがいもゴロゴロの。優子ちゃんがサラダ作るって。料理教室で習った……なんだったかな、難しいカタカナの名前をしててね。それもお楽しみに」
 「おう。楽しみにしとく」

 退院した優子はリハビリも兼ねて週に二日、料理教室に通い始めた。
 体力を戻すこと、入院生活中にはほとんど食事の楽しみがなかった反動と、社会復帰もかねて始まったメリハリのある日常のおかげで、優子の表情も前に比べてずっと明るくなった。

 「店長、花買って帰っていいっすか」
 「ああ構わんよ。……プロポーズか?」

 店じまい間際、錦山は花を買って帰ることに決めた。
 店長はバケツに入った花を選ぶ錦山を茶化した。

 「まだ早い……ほうだとは思うんですけど。……十二月まで待ってるのも野暮だなって」
 「君がしたいようにすればいい」

 定番だが、薔薇はどうだろう。
 幾重にも重なるコーラルがかった淡いピンクの花弁は、水琴にぴったりだと思った。強烈な血の緋色が、水に洗い流され濯がれていく気持ちのいい色だ。それは、彼女というよりも、彼女と自分。これからの関係性を象徴する色になりうるだろう。

 「これにします」

 薔薇の花束をたずさえて、帰ろう。
 きみの待つ、カレーのいい匂いを漂わせる小さな家に。
 

 『どうして、お花屋さんなの?』
 『なんでって……そうだな』

 夏の明るい夜の透明な青い光がカーテンを透け、室内を青白く照らしている。
 一つのベッドの中で素肌をくっつけあわせて、彼女は彼の更生への一歩目の動機について尋ねた。

 『…………ひまわり観察記録。最長開花期間、二十日』
 『え? ……ひまわり観察日記?』
 『あれをさ、思い出したんだ。……最長開花期間を調べたのは水琴だ。……一日も欠かさず朝、水やりをして。花が咲くまで他の奴は興味なかった。……お前だけなんだ、あのヒマワリを世話してたのは』
 『……大げさな。おじさんたちもお水をやってたわ。雨が降った日は水やりいらないし。あと、……ほら、一回だけあったの。朝寝坊した日が』
 『謙遜しなくていいんじゃねえか。……とにかく、真面目だったよ。その真面目な姿に、俺もならなきゃって……そういうことだ』

 豊かな髪に指を通し撫でる。
 むき出しの形のいい額に唇を滑らせれば、ほのかに漂う甘い匂いに吸い寄せられる。

 『退院祝い、なにがいいかな』
 『服とかどうだ。そうなると……俺じゃ頼りにならねえな』
 『三人で暮らすなんて、ヒマワリの頃みたい』

 ささやかな幸福。
 途切れたモラトリアムのサナトリウム。
 恩返しに生きるのも、決してつらいことではない。彼女と暮らす日々で知ったことだ。そして、強大な力を手に入れのし上がった世界を夢想して、この生活も手に入ったかどうかを想像する。

 罪に罪を重ね続ける。それで構わないと満足できるのは、自分だけだろう。自己中心的なエゴでしかなく、二兎を追うことも得ることも不可能だったに違いない。

 『足洗ったんだってな』
 『ああ。……妹のことでな。……俺は、降りちまった、おやっさんの背中にはとうてい……届きっこねえけどよ』
 『ああ、そうだな』

 桐生への面会に赴き、ただ一言『待ってるぜ、兄弟』と告げることが精一杯だった。
 彼はすべてを飲み下していた。実は冤罪だと言ってもいいものを、錦山を裏切ることをしなかった。そうして、その部分が多くの周囲から二人を比べる度量の広さというものだろう。錦山は認める。認めた先で、青い泥臭さを踏み越えられる。

 『……喧嘩の強い花屋の兄ちゃんだよ、俺は』

 桐生はフッと大人びた笑い方をした。
 ガラス越しの彼はやはり強くて、羨ましい幼なじみの兄弟だった。

 「ただいま」
 「……おかえり……ふふ。ありがとう。どうしたの?」

 玄関を開けて、彼女はコーラルピンクの薔薇にまず目を細めた。
 花束を受け取り、彼の告白に耳を傾けると、やがてその花と同じ色を頬に写し染めて。
 いつまでたってもリビングに来ない二人を心配して、顔を覗かせた妹が声をかけるまで。

 これが、錦山彰が歩みだした新しい人生だ。





   『落水、交わる緋色・了』


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