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落ち着いた雰囲気を持つバーに来たのは、だいたい数分前だったと思う。
クラッシュアイスは、まだ溶けていない。
3分の1ほど残っているヘネシーを一気に体内へと流し込み、バーテンにライを頼む。
普段ブランデー派の私ではあるが、たまにウィスキーを飲むこともある。
その場合はいつも、苦味のあるライを好んで飲んでいた。
「待たせたな。」
しばらくライを飲んでいると、やっと待ち合わせをしていた人物が現れる。
チラリと視線を投げ掛けたあと、視線を前に戻してもう一度ライを口に含む。
反応を見せない私に苦笑いしたあと、彼…赤井くんはバーテンにスコッチを頼んだ。
赤井くんはスコッチを。
私はライを飲んでいたとき、ふと赤井くんが流れる沈黙を破った。
「組織の末端の女に近付き、そこから潜ることにした。」
「へぇ…。よく調べたわね。」
「簡単だ。その末端の女は、自分が組織の一員だという自覚が薄過ぎる。」
「そう。」
赤井くんが私に告げたのは、組織への潜入の仕方だった。
女を使う、と言うことは、それなりの近付き方がある、と言うこと。
まあ、予想でしかないけれど…。
たぶん彼は、恋人を装ってその組織の末端と言う彼女へ近付くつもりなんだろう。
そんな演技力があるだなんて、驚きだけど。
「その彼女には、恋人になるために近付いたりするの?」
「ああ、そのつもりだ。その方が早い。」
「そう…。」
それとなくどうやって近付くのかを訊いてみると、私の予想通りのことを口にした。
確かに、その方が赤井くんの言うように手っ取り早くことは進むだろうけど。
「そう」と答えたきり、再び沈黙が広がる。
私には、赤井くんがふたりの女を相手に出来るほどの器量があるとは思えなかった。
赤井くんが彼女を組織の穴とするならば、赤井くんの穴は私の存在だろう。
それなら、私がすることはひとつだった。
「赤井くん、私とは別れましょう。」
「…なに?」
そう、私がすること、と言うのは、赤井くんと別れる、ということだった。
赤井くんを見ることなく別れを告げると、彼からは不機嫌そうなトーンで「なに?」と一言で告げられる。
私の判断に不満を抱いている、ということ。
チラリと赤井くんに視線を向けると、赤井くんは不機嫌さを隠さずに、みるからに不機嫌そうな表情を浮かべていた。
彼の表情が予想通り過ぎて、思わず笑ってしまいそうになる。
「あなた、変なところで真面目で不器用だもの。今のままじゃ恋人だなんて、上手く演じることは絶対に無理よ。」
「…はあ。本当におまえは…。」
−−−俺よりも俺のことを解っている。
諦めに似た溜息を零し、そう呟く赤井くん。
その様子を見るからして、赤井くんは私の提案を飲んでくれるということだろう。
私からしてみたら、この関係はもともとは仮初めのモノ。
赤井くんがどう思っているかは解らないけれど、どのみち赤井くんが組織に潜入をしてしまったら、初めの頃と大差ない日常へと戻っていたのだ。
今さら特に思うことはない。
あの日あのときは誤魔化した。
このままで良いのか。
そう問われたとき、私にはどちらとも答えようがないと思ったから。
好きかどうかは解らない。
でも、赤井くんに死んでほしいだなんて思えないほど、大切な存在にはなっていた。
大切な存在を恋人以外に例えられるのなら、彼は特別大切な"友人"だろう。
少しの穴で、彼を追い詰めたくない。
私はもう、誰も失いたくはないのだから。
- FBI編 - fin