03
あの日からしばらく経った今。
あのときのシリアスな空気はどこ吹く風の如く赤井くんはごく普通に、そう、今までの付き合う設定をする前に戻っていた。
本当にあのときの空気はどこに消えた。
「…赤井くん、いい加減にしてもらえる?」
「何をだ?」
バキッ、と鳴ったのは私が持つボールペン。
ボールペンを破壊する程度には意外に力があったんだな、と我ながらに思うけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。
今の状況を簡単に説明すると、休憩室にあるソファに座って書類を見ながらコーヒーを飲んでいたとき、赤井くんが幽霊の如くふらりと現れて私を持ち上げ、そのまま座ったあと自身の足の間に入れた。
つまり、私は後ろから抱き締められるような状態で、コーヒーと書類を片手に怒りでふるふると震えている。
ああ、周りの視線が痛い。
この状況で熱々のコーヒーを後ろの目付きが悪い男にかけてやらないだけの理性は保てていると思う。
誰か褒めて欲しいくらいだ。
けれどこの頂けない状況は、私とて早く切り抜けたい。
だから遠回しに離れろと言ったのだけど彼はいけしゃあしゃあと何をだと言ってのけた。
このコーヒー、投げても良いかしら。
「私は今、忙しいの。」
「俺に構わず、書類を見れば良いだろう。」
「よっぽどこの熱々のコーヒーを頭から飲みたいらしいわね。」
「………。」
流石の赤井くんも、熱々のコーヒーを頭から被るのは嫌らしい。
脅しのようにそう言えば、渋々と言った様子で私から腕を解いた。
その隙に赤井くんの足の間から離れ、赤井くんの横に座りなおす。
そして再びコーヒーを飲みながら書類を見ていたのだけど…赤井くんの視線が痛い。
チラリと赤井くんに視線を向けると、私が予想していたのとは違う、驚いたような目を私に向けていた。
…いったい、なんなのだ。
「…何。」
「いや…。随分と俺に心を開いたんだな、と思ってな。」
「誰がよ。」
「おまえが、だ。」
今度は私が驚く番だった。
赤井くんは何を言っているのだろう。
もう何年も付き合いがある赤井くんに対し、心を開かないも何もない。
赤井くんの言葉の意図が掴めず、何度目か解らないけれど書類に視線を移せば、「昔のおまえならこの場から立ち去るくらいはしただろうな」と言われた。
そう言われてやっと、少しではあるけれど赤井くんの言葉の意図が解った気がする。
確かに、前の私であれば即座に場を移すなり何なりしていただろう。
でもそれをしない、と言うことは赤井くんに対して前よりも良い感情を抱いている、と言うことになる。
「やっと本当に惚れたか?」
「…寝言は寝て言わないと、寝言とは言えないのよ。」
「そうだな。」
ああ、もう。
この場から離れてやろうか。
惚れたか?という質問に対し、はっきりと拒否することが出来ない自分に腹が立つし、何よりも楽しそうにクツクツと笑いながら「そうだな」と言う彼にも腹が立つ。
いろいろと言いたいことはあるけれど、それはコーヒーで流し込み、再度自分がやるべきことに視線を向けた。
…私は決して、絆されてなんかいない。