胃薬ください
風見さんから訊いた話しによると、どうやら今回の任務には女が必要になる場面も出てくるらしい。
だから経験値の浅い新米公安捜査官の私を選び、学ぶ場を設けてくれたとのこと。
降谷さんの素晴らしいご考慮と期待に応えられるようがんばれよ、と言われたがそんな重圧押し付けられて出来るわけあるか。
あんたががんばれよ…いや他の女性捜査官選んでくれよ要らないご考慮と期待だわ。
風見さんは別件があるとかで、私は風見さんに手渡されたメモにある住所に向かって電車と徒歩で向かう。
え、車は持ってないのかって?
免許こそはあるけど、買って1年か2年で盗まれたり壊されたりしてたら2度と乗るかって思うでしょ。
道はいつでも渋滞するような奴だし。
つまりこれも不幸体質が故。
それなら人にどんなに押し潰されてもほぼ確実に時間通り到着する電車の方が、安心と信頼があって頼りになる。
「…ここか。」
やっとの思いで到着したのは、喫茶店ポアロというお店。
地味に蒸すこの暑さに、今にも倒れてしまいそうになる。
これくらいで倒れてたら、降谷さんからはしこたま怒られるんだろうけど。
いや、そもそも私なんかが倒れたら人様の迷惑でしかないし、邪魔だ邪魔だと邪険に扱われ、まるでゴミを見るような鋭い目で見られるのがオチなんだ。
私ってそういうもん。
「はあ」と大きな溜息とも捉えられる呼吸をして、落ち着かせる。
遅いって降谷さんに怒られるのかな。
でも遅れたのは遅延で3分だけだし…歩くのが遅いのはいつものことだから許してほしいけど、降谷さんには関係ないよなあ。
言い訳するより、睨まれたらとにかくただひたすらに謝ろう。
それの方が攻撃が少なく済む。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「………あ、その、い、1名…です…。」
…この人は、誰だろうか。
多忙を極める上司、降谷さんとエンカウントすることは非常にレアではある。
けれどあの初対面時、それから捜査中のインパクトはかなりデカいから印象にはそれなりに残っていて…。
だからこの人、誰だ?
カランと聞こえの良いベルが鳴ったと思えば、私を出迎えてくれた男性店員が目の前にやって来た。
その男性店員こそが、恐らく降谷さん。
何故恐らくとか、誰だ、と言っているか疑問だと思うけれど、目の前にあるあの笑顔は確かに作り物だけど全部違う。
降谷さんのときの、あの高圧的な空気が一切ないし…なにこれ怖い。
ビクビク怯えながら案内された席に腰掛ければ、それと同時に「怯え過ぎだ。自分の立場に自覚を持て」と冷めた声で言われて一気に目が覚めた。
いや目はもともと覚めてる。
目の前のこの黒い褐色肌で金髪の人が降谷さんだと確信した、の間違いだ。
こんなの誰だって怯えるわ。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、その…アイスコーヒーを…ブラックでお願いします…。」
「かしこまりました。」
まあ降谷さんに怯えるなとは言われたけれど、私のこんな態度は性格が絡んでいるんだから勘弁してほしい。
酷いときは不審者の自覚はあるので、それは怒られても良いけど。
いやでも、何度でも言うけどこんな降谷さん見たら誰だって怯えるわ。
コーヒーを待っていると、カランと再び入り口のベルが音を鳴らした。
今は客の出入りが少ない時間帯だろうに、どうやらそこそこ繁盛しているらしい。
入り口に立っているのは、身体からして恐らくは高校生だろう。
制服に身を包み、誰かを探すようにキョロキョロと周りを見渡している。
高校生は男の子で、なかなかのイケメンだし探しているのは恋人かな。
容姿はたまに褒められるけれどこの性格のせいで恋人なんて出来た試しのない私からしてみたら、羨ましい限りのことである。
リア充は全員滅んでしまえばいい、とイベントごとに思う非リア充代表だ。
「おや、新一くんじゃないか。」
「お久しぶりです、安室さん。」
…ん?
安室さん、とは。
どうやらあの青年は降谷さんの知り合いらしく、降谷さんは「新一くん」と彼の名前らしき単語を口にした。
けれどその「新一くん」の口からは、「安室さん」と言う聞き慣れない名前が出る。
よく解らないけれど、潜入時の降谷さんの偽名なのだろうか。
そこでふと、思い出す。
大きな組織と対決する際、降谷さんは別人に成りすまして喫茶店でアルバイトをしており、そこにはそのまま落ち着くまで籍を置いているのだ、と。
誰から聞いたんだっけ…あ、教えてもらったとかじゃなくて、そこらへんで話していた公安の人の会話が耳に入って来ただけだった、そうだそうだ。
私なんかとまともに話してくれるのは、今はまだ風見さんくらいしか居ないんだってこと、忘れていた。
寂しい社会人である。
「お待たせしました。アイスコーヒーのブラックです。」
「あ、ありがとうございます…。」
いや、それにしても。
上司に(状況が状況とは言え)コーヒーを淹れてもらうだなんて恐れ多い。
私が降谷さんにコーヒーを淹れて差し上げなければならない立場なのに、今頃降谷さんの腑は煮えくり返っているだろう。
ああ、恐ろしい…。
私なんかのためにこき使ってすみません。
遠慮がちにアイスコーヒーにストローを刺せば、不意に向けられた視線に気付いてそちらに視線をズラす。
ああ、降谷さんが私を見てる。
おまえコーヒーなんて呑気に飲んでないで状況を察しろ、と思っているのかな。
役立たずな上に空気も読めないでごめんなさい、がんばって察します。
ストローを刺したあと、飲まずに手を膝の上に置いて大人しく降谷さんの命が下るのを待っていると、目の前に至近距離で例の高校生の顔が入り込んで来た。
いや、これどんな状況…。
私なんか見ても何もないです。
お金だってそんなに持ってないし、役立たずな私は安月給なんです、だからカツアゲされてもあなたが困るだけですよ…。
「コーヒー、飲まないんですか?」
「…あの、その、もっと冷えてから飲もうかと…思いまして…。」
「おや、ぬるかったですか?それはすみません。冷たいのに変えますね。」
「(ひぃい…!)全然!そんなこと!ないので!どうかお構い無く…!」
青年…もとい新一さんにコーヒーを飲まないのかと聞かれ、アイスコーヒーにストローを刺して飲まないのもおかしな話だと思って適当に返すと、降谷さんにそれを拾われて背筋に冷や汗が伝う。
どうしてこんなことだけ拾うのだ…。
私みたいな存在は、全員忘れてしまえば良いのに…世知辛い。
仕方なく空気を読めるよう気を配りながらコーヒーを飲む、という、不器用でポンコツな私には果てしなく難しい行動に出なければならなくなってしまった。
降谷さんは新一さんと楽しそうに談笑しているから、そこまで気を配らなくても良さそうではあるけど…。
ああ、困った、放置されることは万々歳だけど、これはこれで困った…。
誰か私に空気を読めるようになる機械を発明して、買わせてください。
キリキリ…と胃が音を鳴らしたような幻聴すら聞こえてくる。
降谷さん、どうしたら良いのか教えてください、ほんとマジで…。
というか安室って、あんた誰だよ…。