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blog modoki

尾形さんと勇作さんの関係について。2019/11/18


勇作さんは、尾形さんを「兄」として慕ってはいましたし、確かに愛してはいました。
しかし、「尾形百之助」という人物そのものをきちんと「理解」出来ていなかったんじゃないかな、と思います。


理想の「兄様」像を思い描いて、なんというか、「兄」という偶像を崇めていたのではないか、と。
尾形さんが「人を殺しても自分は罪悪感など持たない」と言った際、勇作さんは「兄様はそんな人ではない」「人を殺して罪悪感を持たない人間が、この世にいていいはずがない」と言い、「尾形百之助」という人物を否定しました。
尾形さんのそういう「闇」の部分を正面からきちんと見て受け止めることが、「清い」勇作さんには出来なかった。

尾形さんや月島さんなどを見ていて思うのは、親から普通のまともな、必要な愛情を受けて育つことのなかった人間は、体が大人になってもずっと、心の中には「子どものままの自分」がいて、ずっと過去の記憶に囚われてしまうってことです。
私は両親から褒められたことがありません。頭を撫でて褒められたことはなく、抱き締められたこともありません。母親が私に向かって手を伸ばす時といえば、大抵は私を怒る時でした。
テストで満点をとっても、2〜3ヶ月かけて一生懸命練習した曲を発表会で演奏しても、家事を手伝っても、上手に描けたイラストを見せても、私の両親は褒めてはくれませんでした。
イラストを見せるといつも、「ここが変」「ここもっとこう描いたらいいのに」などと注文つけてくるような両親で、他人はいつも「上手だねー!」「なんでそんな上手く描けるの?」って笑顔で褒めてくれるのに、どうしてうちの両親はそれが出来ないんだろうか、といつもいつも疑問に思います。

食べ物や服など、物で不自由は特にはありませんでした。だけどきっと、心は不自由していたんじゃなかろうか、と……。愛情表現に乏しい両親のもと育ったので、いつも何かが欠けているような、そんな感じです。
愛に飢えている自分が子供にちゃんと愛情表現を示せるか自信がないので、結婚しても子供は欲しくない。子育てには不安しかない、と私が悩みを言うと他人はよく、「そんなことない。そういう事情を抱えているからこそ、自分の子供をきっと大事に出来る」と返します。
そうでしょうか? 私は、自分が愛されたいのに、たくさん愛情表現を受けたいのに、どうして別個体である子供に自分が愛情表現しないといけないんだろうか、と考えるような人間です。
外を歩くと、小さい子が母親から抱き締められて笑っていたり、わがままを言ったら困り顔の親から優しく対応されてる。そんな光景をよく見ます。それらを見る度に私は、微笑ましいという感情よりも、羨ましい・妬ましい・腹立たしいといった「嫉妬」の感情を強く覚えます。

同居猫のなすびくんにさえ、嫉妬します。父はなすびに甘く、鳴きながらせがまれると何度でもおやつを与え、抱っこして撫でたり、私の知らない部分を見せます。
毎日甘やかされ、愛情をたっぷり受けていて、平均通りならあと数年で寿命を迎えられるなすびくんが羨ましいです。

いつまでも過去に囚われていてはいけない、と頭ではわかっていても、心が追いつかなくて。心の中にいる「子どもの自分」が殻を破れず、成長出来ず、常に愛に飢えています。


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