最近強く深く掘り下げてる言葉2019/12/28
愛情のない親が交わって出来る子供は 何かが欠けた人間に育つのですかね?
この言葉、私は理解出来ます。恐らくほんの一部でしょうが……。
全く愛情がないわけではないにしろ、愛情を感じられないんですよね。
街中で、母親が自分の子供を笑顔で抱き締めているのを見かける度に私が感じるのは【微笑ましさ】ではなく、【羨ましさ】【妬ましさ】【腹立たしさ】なんです。
西条八十(さいじょう やそ)という詩人が作った詩で、「蝶」というものがあります。
やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人に私は何を持つて行かう。
たぶん私は懐から
青白め(あおざめ)、破れた
蝶の死骸をとり出すだらう。
そうして渡しながら言ふだらう。
一生を
子供のやうに、
さみしく
これを追つてゐました、と。
西条八十、と聞いても恐らく大半の方はピンとこないでしょう。「東京音頭(プロ野球のヤクルトスワローズが応援歌として使用している曲)」や「蘇州夜曲」の作詞者、と聞けばわかるくらいの人物だと思います。
この「蝶」という詩は初めて読んだ時、それは衝撃的でした。ストンと落ちるというよりも、毒針のようにスッと心の臓に刺さる感じ。(毒は毒でも、一種の心地の良さを感じる類のものです。)
追っても追っても、抱き締められたかった幼少期や、褒められたかった幼少期はどれもこれも過去のもので、必死にひたすらに追い続けてようやく捕まえたと思ったら死骸の状態で。
私は常日頃から、自分は善人だから天国に逝くと考えている人ほどイカれていると考えています。それから、人間は皆、等しく地獄に下れば良いと考えている私もイカれてる。
よく、映画や漫画なんかで非道なことをやる相手に向かって主人公が、「あなたたちは人間じゃない」って啖呵を切るシーンが登場しますが、私は極悪非道なことをするのもまた人間だと考えています。
自然界の他の動植物たちを見てみて下さい。「相手を苦しませたいから」という理由で寄生したり殺したりする生き物はまず、いませんよね。それら動植物は皆、「自分が生き残るため」「自分の命を次に繋ぐため」行動しています。
「相手の苦しむ顔が見たかったから」「仕返しをしたかったから」「見ていて腹が立ったから」といった自己中心的な理由で相手を痛めつけたり殺したりするのは、人間だけです。
今の人類が今ここまで生き続けているのは、過去に他の生き物たちを殺して生き残っているからだ、と私は思います。進化論が本当ならば、最初は微生物みたいな存在だったのが紆余曲折を経て猿のような生き物になり、それが更に人間に進化していく過程で、自分たちに危害を及ぼすような他の生き物を出し抜き、時には殺して、そうして現在の人類が生存競争を生き抜いた。
そんな大昔じゃなくても、私たち人間は、肉を食べるために鶏・牛・豚を生存競争から隔離して繁殖させ、殺して食べています。海や川を泳ぐ魚を捕獲し、冷凍し、時にはまだ息があるうちに包丁で切ったり煮たり焼いたりし、食べています。
自分たちの生活が便利になる代償として、地球上の様々な生き物が命を奪われ、生活を奪われ、毎日どこかで絶滅しています。
そんな壮大な話じゃなくてもっと身近な話で考えるなら、例えば夏〜秋頃になって自分の腕に蚊がとまったら、迷わず殺しますよね。
何が言いたいかと言うと、「殺す」という行為と無縁の人間は存在しないってことです。仏教の教えでは、殺生をすれば地獄に逝くそうなので、それなら人間は全員地獄逝きだなーと。「いやいや、自分は肉や魚は一切食べていませんよ」という人であっても、それならそれで植物を殺して食べていますよね?
ここで「植物は痛みなど感じないからノーカウントでしょ」って考えたとしたらあなたはきっと、野原で綺麗な花が咲いていてもまるで雑草と同じかのように遠慮なく踏み潰して歩けますって人でしょう。こちらからはもう何も言えません。
「お花を踏むなんて可哀想!」って考えた博愛なあなたは、「花と食べる植物とは別物なんだから」と分けて考えることはきっとしないでしょう。(花を摘み取る行為も、華道で花の茎を針に挿し込む行為も、等しく「お花が可哀想!」って思われることでしょう。)
まあ、色々長々と綴りましたが……………………要は私が地獄に下る際は是非、両親もご一緒に。