杉元のような尾形2020/01/10
法律というペナルティーがなければ、私は躊躇なく人を殺せるタイプの人間だと思います。
法律では、殺すと刑罰が与えられますよとなってはいますが、それはあくまで《ペナルティー》の提示であり、《人を殺していけない理由》にはなりません。
親が子供を叱る時に「怒られるからやっちゃ駄目」という言葉をかけるのでは教育になりませんよね。怒られるから駄目、では、「だったら怒られなければやってもいいんだ」と子供は判断するでしょう。
例えばスーパーで売り物の生魚を素手で触って遊んでいる際は、「お店の人に怒られるよ」ではなく、「お店の商品の状態が悪くなると誰も買ってくれなくて、お店が困っちゃうよ」みたいなことを言うのが理にかなっています。
それと似ていて、人を殺してはいけない理由として「逮捕されるから殺しちゃ駄目」という説明をすれば、「じゃあ逮捕されなければ殺してもいいんだね」と返されてしまいます。
「命は重いものだから駄目」という説明で考えてみると、命は全く軽くないのか?と私は思います。虫でも犬でも人間でも、命って簡単に奪えますよね。そういう意味では「軽い」とも言えるのではないかと。
二度と戻って来ないという意味では「重い」です。
命って、重いと同時に軽いんですよ。なので、「命は重いものだから人殺しは駄目」では、説明にはならないなーと。
キリスト教や仏教など殆どの宗教では、「人を殺せば地獄に行く」と教えています。
しかしこれも、地獄などの《あの世》が実在することは誰にも証明出来ません。あるかもしれないし、ないかもしれない。死んでみなければわからないことだし、死んだら何もわからないかもしれない。
人を殺したいという欲求をある程度抑制する力はあっても、信じていない人間からしたらなんの拘束力もありません。
私は20歳までは《神》というものを心から信じていましたが、今では神を信じる気持ちにはなれず、いるかどうかもわからないような曖昧な存在に振り回されたくないという思いが強く、よくサッカーの試合なんかで祈るようなポーズをとるファンを見る度に、「彼らは一体何に祈っているつもりなんだろうか」と、冷ややかな気持ちになります。
多分私は、神というものがそんなに好きではないんだと思います。
仮に自分が「ゴールデンカムイ」の世界に行けて、鶴見中尉側なり杉元側なりにつくことになって、成り行きで戦わないといけなくなったら、私はなんの躊躇いもなく相手を殺すでしょう。
なんの躊躇いもなく相手の顔面に拳を叩き込み、蹴り上げ、2本の指で目潰しし、倒れた相手の股間を思い切り踏み、刃物を相手の喉元に突き刺すかもしれません。
笑顔で話しながらお茶を淹れ、毒が入っているとも知らずに飲んで倒れた相手をじっと見つめ、息が絶えるのをただ見つめるかもしれません。(毒で弱る獲物が抵抗しなくなるのを集団で見守るコモドオオトカゲの如く。)
ここまで結構残酷な内容でしたが、私は恨んでいる相手だとかむかつく相手だとか襲って来た相手だとか、そういう理由がある相手なら殺せるのであって、何も恨んじゃいないその辺にいる無害な人間が相手だと、殺すことに意味が見出せないんですよね。
尾形さんがアシリパさんに言った、《殺す道理》です。道理がないと、私は人を殺すことに意味が見出せない。実行するための原動力がないと殺す気になれない。
相手を追い詰めるのはワクワクするし、正直、殺人に興味はあるので狙撃手には向いているのかもしれませんが……。
別に殺せなくたって、正当防衛というものをやってみたいですが、力を加減するのが苦手な私がやっちゃうと過剰防衛になりそうで不安だな……(笑)