06





「はい名前」
「……なにいきなり」
「いいから」


昨日の夜。
亜貴に死ぬ気で時間を空けてと連絡が入り、諸々と立て込んでいた私は、文字通り死ぬ気で仕事を切り上げることができた。
そして私はいま、亜貴のアトリエに来ている。辿り着くやいなや大きな紙袋が渡されたかと思えば、こちらが口を開く暇もなく奥の部屋へと押し込まれてしまった。
どこか納得の行かないまま、行き場のない気持ちをぶつぶつと呟く独り言は、誰に聞こえるわけでもなく亜貴の部屋に吸い込まれていく。
ぶっきらぼうに渡された紙袋の中身を出して見れば、ひらりと広がる、


「浴衣……」


濃紺をベースにピンクの花があしらっている、なんとも夏らしい浴衣だった。それはとても可愛らしく、かつシンプルなデザイン。恐らく亜貴がデザインしたものだろう。
中には浴衣と帯だけしか入ってなかったから、装飾や下駄は亜貴の手元にあるとみた。そして着て出てこいってことだ。


「なんとか着れた……浴衣、新しくデザインしてくれたんだ」
「せっかくだしね。……うん、似合ってる」
「ありがとう、すっごい嬉しい……!あ、帯みて、変じゃない?大丈夫?」
「大丈夫。じゃあ次、ここ座って」


亜貴の手には櫛とスプレーが握られていて、デスクの上には装飾品がいくつか飾ってあり、どうやら亜貴がいまからヘアメイクしてくれるようだ。
慣れた手つきで私の髪の毛を触れば、その綺麗な指から流れる動作はまるで魔法みたい、なんて。
アップかダウンか、でも浴衣だしアップにしてくれるのかな、とか色々期待していれば、さらさらと触っていた手がぱたりと止まる。


「あき?」
「……ハーフアップかな」


そう呟いたかと思えば、さらりと髪を掬われ口付けられる首筋。
予想していなかった出来事に、びくりと肩が揺れる。私の体は椅子に固定されたかのように動かない。抵抗出来ずにいれば、確実に吸われた感覚だけがそこに残っていて。


「……ねえ、そこ見えるんだけど」
「ぎりぎり襟で見えないし、今日は髪を下ろすから大丈夫」


なにがぎりぎり襟で見えないだ、全然大丈夫じゃない。今日は浴衣だから良いかもしれないけど、これで数日は襟元の広いTシャツは着れないし、ラフな格好をするにも首元を気にしなければならない。髪の毛だって気軽にあげることも出来なくなってしまう。こんな暑い日が続くというのにだ。
ご機嫌な様子で前髪をいじる亜貴を睨んでいれば怖くないから、なんてキスまでされてしまう始末。
ああもう、勝てない。


──────────


からんからんと、下駄でリズムを刻みながら連れてこられたのは、お祭りで賑わう神社だった。落ちてきた陽に対して、提灯が明るく周りを照らしている。
綺麗な光景に見とれていれば、背後から聞きなれた声が私を呼んだ。


「あれ、名前?」
「げっ……」
「はーちゃん!」
「神楽も。2人とも浴衣似合ってるね」


振り返ったそこに居たのは、はーちゃんこと大谷羽鳥。特技は女の子の扱い、なんて豪語するノリの軽いフェミニストだ。仕事中なのか、服はまだ見慣れたスーツを着ている。


「お仕事中?」
「あともう少しね。名前はお祭り、神楽と来たんだ。忙しそうだったから今年は忘れてるかと思ってたよ」
「実際忘れてたんだけど、亜貴が連れて来てくれたの」
「そっか、よかったね。浴衣は神楽のデザイン?」
「だったらなに?」
「ふーん……もしかしてその花の柄、ブーゲンビリアかなあと思ってさ」
「っ!……なんでわかるわけ」
「そりゃあね。ま、神楽らしいんじゃない?花の種類も、花言葉も」
「うるさいんだけど。早く仕事に戻れば」
「はいはい。じゃあね名前。夏祭り、楽しんできて」
「うん、ありがとう。はーちゃんもお仕事がんばってね」


はーちゃんと別れ、いま着ている浴衣を改めてまじまじと見る。ブーゲンビリア……名前だけ聞くとそういった類いに詳しくない私はぴんとこない。でもはーちゃんがああ言って、亜貴が少なからず動揺を見せたということは、確実に何かがあるわけで。


「花の意味」
「えっ?」
「気になるんでしょ?」
「教えてくれるの?」
「…………やっぱり教えない。家に帰ってからでも調べたら?すぐ出てくるから。それよりほら、行くよ」


さりげなく繋がれた私の右手が熱い。これは私じゃなくて、きっと亜貴の熱。
それに気づけば、なんだかそれさえも楽しくて、嬉しい気持ちにさせてくれる。なんて夏祭りマジックなんだろう。私は堪えきれなくて思わず笑ってしまった。


「……なに笑ってるの」
「なんでもなーい。あ、私わたあめたべたい!」
「ちょっと名前、」
「亜貴はたい焼き……あっ、少し離れたところにある」
「僕の話聞いてる?」
「たい焼き食べないの?」
「……食べるけど」


わたあめ、りんご飴、チョコバナナにたい焼きとフライドポテトにエトセトラ。
普段口にしないような食べ物も、夏祭りの雰囲気にあてられて食べたらなんだかいつも以上に美味しくて。水風船や、射的とかで遊んじゃったりもして。亜貴は呆れた顔をしながらも、私に付き合ってくれた。
祭りの最後に亜貴と見た大きな花火なんて、綺麗以外の言葉は出てこなかった。

右手には亜貴とつないだ手、左手には水風船がゆらゆらと揺れている。普段は車での移動が多いから、たまには夜風に吹かれて、歩きながら帰るのも悪くない。
からんからんと軽快なリズムが鳴り響く。


「ありがとうね、連れてきてくれて」
「どういたしまして」
「すごく楽しかった。やっぱりいいね、こういうのも」
「……また、」


亜貴とつないだ手が、少し強くなる。


「また、来年も来ようか」
「ほんと?」
「名前が来たいって言うなら、連れて行ってあげる」
「じゃあ、約束ね。来年は私もちゃんと日にち調べておく」
「来年は慶ちゃんたちにも声かけようか」
「いいね!みんなで来たい!」


私たちは限られた時間を今は生きてる。
願わくば来年も、再来年も。その次も。亜貴の隣で笑っていられますように。
きらりと光る夜空に向かって、そっと心の中で祈った。





その日の夜。寝る準備も全部済ませた私は、ベッドに寝転がりながら、ふとお祭りでの会話を思い出す。そうだ、ブーゲンビリアの花言葉。
ベッドサイドで充電していたスマホを手繰り寄せ、忘れないうちに検索する。
そして、検索サイトで出てきた情報が本当なら、これはとんでもなく嬉しい意味が含まれているではないか。
私はスマホを握り締めたまま、ぼすりと枕に顔を埋める。なんだか首に付けられたキスマークが、再び熱を持ったような気がした。
明日は改めてお礼を言おう、そう心に決めて、冷めやらない熱を抱えたまま、この後なかなか寝付けない夜を過ごすのであった。















ブーゲンビリア(ピンク)
誕生花:7月20日
花言葉:情熱、あなたは魅力に満ちている、あなたしか見えない。
















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