07





今日は朝からついてなかった。
通勤時には事故渋滞に巻き込まれ遅刻するし、出社出来たかと思えばミスが発覚してそれのフォローに追われ、ひと段落つけるかと思いきや電話ラッシュに急遽入った打ち合わせにてんやわんや。

今日は厄日かと怨みながらお昼を食べる暇もなくばたばたとしていれば、追い討ちかと思うくらい最後の最後にはうちの男性スタッフの不注意で、スタッフが持っていたフレグランスが私へとぶちまけられた。
亜貴が付けている香りとはまた違うメンズの匂いが、私にまとわり鼻につく。


「もっ、申し訳ございません……!」
「……フレグランスにしろ何にしろ、何かをしながら廊下は歩かないようにしてくださいね」


思わず溜め息をつきたくなったけれど、部下の前でそんなことは出来ない。吐き出すはずの空気を飲み込んで、クリーニング代がどうとか言われたけど、その後のやりとりが面倒だったこともありお断りした。軽く注意だけして、何事もなかったかのようにその場を後にする。


「……くさ、」


嗅ぎなれない匂いが鼻についてとれない。この香りはムスクだろうか、よりにもよってきつめの匂い。やな感じだ。シャツは洗うよりもう捨ててしまおう。

誰もいない廊下。溜め息が大きく響く。
ふと腕時計を見ればもう16時前。溜め息が止まらない。
お昼を食べるのは諦めよう。デスクの引き出しにお菓子があったような気がするし、今日はそれで済まそう。ああ、仕事が終わらない。
仕事の優先順位を組み立てながら歩いていれば、角でまた誰かとぶつかる。


「ごめんなさ、」
「名前?」
「あき、なんで……」


ぶつかった相手は会社にいるはずのない亜貴だった。
ふと視線を下に向ければ、手元の大きな鞄が目に入る。亜貴と打ち合わせの予定があったのは頭に入ってたけど、そうかもうそんな時間なのか。もう頭の中はごちゃごちゃだ。


「ごめん、まだ資料持ってきてないから、先に会議室に行って待っててくれる?」
「…………」
「亜貴?」


返答のない亜貴に疑問を感じて名前を呼べば、眉間にはそれはそれは深い皺が刻まれた。
聞かずとも機嫌がよろしくないことが見て取れる。


「えっと……」
「なにその匂いなんでそんな男性ものの匂いがするの匂いがつくくらい近くにいたわけ」
「あー…、これはスタッフが持ってたフレグランスが、」
「むかつく」
「ちょっと亜貴……!?」


息継ぎもなく早口で喋り出したかと思えば、勢いよく腕が引っ張られた。亜貴は私の意見など聞くことも無くずんずんと進んでいく。
こうなった亜貴は私の手など離してくれないだろう。まあいいか。この後会う予定があるのは亜貴だけで、他は事務作業だけだったし。

進んだ先はモデルが使うメイクルーム。
有無を言わさずメイクルームの中にあるシャワールームへ連れてこられ、しかも服ごと流れるシャワーの中へと突っ込まれた。


「わたし替えの服持ってないんだけど」
「替えなら用意してあげるから、さっさとその匂い落としてきて。じゃないと打ち合わせ始めないから。……もしもし、ああごめん、僕だけど、ちょっと頼まれてくれる?」


亜貴は濡れる私なんてお構い無しにどこかへ電話を始めてしまった。恐らく替えの服の手配だろうか。
もくもくと湯気で曇りだしたシャワールームからは、亜貴の姿はもう見えない。
替えの服を用意してくれるならいいかと、呑気なことを考えながら早くこの匂いを消してしまいたかった私は、ありがたくシャワーを浴びることにした。

ごちゃごちゃしていた頭は、シャワーを浴びたらなんだかすっきりしたような気がした。
シャワールームを出れば、ご丁寧に袋から出した状態で服が置かれていた。少し気になっていた下着もちゃんとある。ありがたい。
ドライヤーで髪の毛を乾かしていれば、がちゃりとドアが開いて鏡越しの亜貴と目があう。


「名前、」
「亜貴」
「仕事で着れそうなシャツとパンツは僕の方で用意したけど、下着はさすがに別の女性スタッフに頼んだから。適当に理由をつけて着替えが必要だって言って、新しいの買ってきてもらった」
「そっか、わざわざありがとう」
「なんできっついムスクの匂いなんかしてたの」
「ああ……スタッフがフレグランスを開けながら歩いてたみたいで、それがぶつかって私にかかったの。でもありがとう。亜貴が連れてきてくれなかったら、多分家まであのままにしてた」


髪の毛が乾いたことを手櫛で確認して、振り返れば至近距離に亜貴がいて思わず後ずさる。反射的に後ろに下がっても、背中には洗面台がぶつかるだけだった。
亜貴は何も言わず私に近づいて、私の首元へと顔を埋めた。ふわりと亜貴の匂いが鼻腔をくすぐる。
私の腰に手を回すと同時に、私も亜貴の首へと手を回した。亜貴の匂いが、すごく私の心を落ち着かせる。


「まだ会社なのに素直だね」
「それぐらい今日は疲れた」
「そう」


亜貴だってわかってて甘やかしてるくせに、なんて思いながらも彼は詳しく聞くことはせず、私に触れるだけのキスをくれる。
この後の打ち合わせはなんだか上手くいきそうな気がした。





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