08





「はーちゃん!」
「早かったね。ゆっくり来てもよかったのに」
「私が待つならともかく、相手は待たせたくないの」


クラッチバッグを片手に、ストールだけ巻いた格好ではーちゃんにエスコートされ、そのまま助手席へとお邪魔する。
どこに行くかを聞いてもお楽しみ、だなんて言ってはぐらかされるから、聞くのもやめて流れる景色をぼんやりと眺めた。
はーちゃんの運転で辿り着いたのは、テラスがあるシックなカフェ。ちょっと奥まったところにあることと、たぶん平日なこともあって人はまばらにしか見られない。


「今日は気温もちょうどいいし、どうせなら外でと思ったんだけど、どうかな」
「すごく雰囲気がいいし、ここならインスピレーションが舞い降りてきそう……!」


テラスに座り、いつもより少し甘めのコーヒーを頼んで、せっかくなのでスイーツも注文した。
まずコーヒーをひと口。風が気持ちいいテラスで小さなスケッチブックを取り出す。ペンをくるくると回しながら、ひたすらそれと睨めっこ。
はーちゃんにお話とかあんまり出来なくてごめんねって言えば、仕事をしてる名前を見るのは好きだから、なんて返ってくる。なんて人だ。
たまには、外でこうやって仕事をするのも悪くないなあなんて思いながらふと顔を上げた先に、見慣れた人が歩いていることがわかる。


「あき、」
「ん?どうかした?」
「…………」


私の小さな独り言に反応してくれたはーちゃんに返事も出来ず、目線の先にいる亜貴と、亜貴の隣にいる女の人を見つめた。
今まで可愛いモデルさんとか、綺麗なアシスタントさんとか、たくさん亜貴の近くにいた人を見てきた。だけど今、目線の先にいる女の人は、何かが違う気がして。


「…………」
「名前、」
「……えっ、あ、ごめん。なに?」
「何か見つけた?」
「ううん、なにも」


嘘だ。咄嗟に嘘をついてしまった。亜貴から目線を外したものの、手は進まないし、目の前のはーちゃんの視線にも耐えれなくなった私は、手元のスケッチブックをぱたんと閉じた。


「あれ、やめちゃうの?」
「ちょっと休憩。ケーキ、食べようと思って」
「……そっか。ここのスイーツ、すごく美味しいからおすすめだよ」
「ほんと?いただきます」


うん、美味しい。はーちゃんが言うだけある。
ケーキはすごく美味しいのに、心はどこかずっしりと重たいまま。
さっきまで湧いてたデザインも、さっきの光景が目に焼き付いて離れなくなって、感情という名の波にかき消されてしまった。
普段ならあんまりなんとも思わないのに、今回ばかりは謎のもやもやが私の邪魔をする。


「……名前、」


手元ばかり見ていたせいか、目の前に来るまではーちゃんに気づかなかった。ふと視線をあげればそこには整った顔が近くまで来ていて、なんだろう思った矢先、はーちゃんの綺麗な指が私の顔の近くにあった髪に触れる。


「クリームついてた」
「恥ずかし、 ありがと」
「普段ならそんな事しないのに、そんなに神楽が気になる?」
「……なんだ、気づいてたの」
「名前のことならなんでもわかるよ。まあでも、心配はいらないんじゃない?」
「それってどういう、」


意味、そう尋ね終わる前に、遠くの方からこつこつとテンポの速い靴の音が聞こえてくる。音が近づいたかと思えば、はーちゃんと私との間に勢いよく何かが遮り、それは大きな音と共に机を揺らした。


「わっ……!?」
「ちょっと」
「やあ神楽。早かったね」
「何名前にちょっかい出してるの。人のに手を出す趣味でもあったわけ?」
「ひどいなあ。俺はただ、名前とのティータイムを楽しんでただけだよ」
「はあ?なにそれ、」
「神楽こそ、名前というものがありながら他の女の子とデートするんだ?」
「ふざけたこと言わないで。羽鳥と違って僕は仕事だから」
「人聞き悪いな」
「もう神楽さーん!いきなり置いてかないでくださいよー!」


私とはーちゃんの前を遮ったのは、亜貴の手だったようで。
言い合いが始まったかと思えば、先程亜貴の隣にいた女の人が追いかけて来た。
見た事も会った事もないその人に、どきりと心臓が跳ねる。


「うるさい、君は黙ってて。羽鳥こそ、いきなり連絡してきたかと思えば名前に何をしたの?答えによっては、羽鳥でも許さないから」
「何?もしかして、神楽にはキスでもしてるように見えた?少し遠かったもんね、こっちに気付いたのも俺が連絡してからだったし」
「……何が言いたいわけ」
「いやあの亜貴、落ち着いて。わたし何もされてないから。一旦落ち着こう?ね?はーちゃんも煽らない」


雲行きが怪しい会話をなんとか亜貴を宥めれば、どこか納得のいかない表情で今度は私を見つめた。
私はなんとなく目を合わすことが出来なくて、私の視線はテーブルのスケッチブックへと移る。


「名前は?なんで羽鳥とこんな所にいるわけ?」
「えっと……仕事が煮詰まったって話をしてたら、はーちゃんが連れてきてくれた」
「……ふーん」
「神楽は仕事ってことは、情報屋としてってこと?」
「それ以外に何かある?」
「ああああなんだかすみません、今回はどうしても神楽さんの御力が必要で……ところでこちら方は、」
「僕らの仲間だよ、玲ちゃん」
「こんにちは、名字名前と申します」
「泉玲です、はじめまして!神楽さんにはお世話になってます」


軽くお互いの自己紹介が終わったところで、泉さんのスマホが着信を知らせる。泉さんは少し失礼しますと一言添えてこの場を離れ、少し流れる沈黙。
名前はわかったけど、結局の所関係性が不明のまま。スーツをきっちり着ているし、モデル……ではない、と思う。私は電話している彼女の姿をじっと見つめた。


「……」
「気になる?」
「……はーちゃんも知ってる子だったんだ」
「一応ね。でも情報屋として、だけかな」
「そうなの?」
「神楽もね」
「当たり前でしょ。あの子がマトリじゃなかったら、こうして情報提供することもなかったよ」


亜貴が大きなため息とともに言った言葉に目を見張る。
マトリ。それは麻薬取締官の俗称。
ああなんだ、やっと繋がった。どうやら私の早とちりだったようだ。仕事、そうか。
そう言えば貴臣くんから聞いたことがあった。スタンドとしてマトリに協力をすると。亜貴とはーちゃんは所属してないから、都度必要な時には情報屋として関わることがあるとかないとか。
謎が解けてあからさまにほっとしたのがばれたのか、はーちゃんと目が合ったかと思えばぱちりとウインクひとつ。
そっか、はーちゃんはわかってて亜貴を煽ったんだ。


「はーちゃんにはお見通しだね」
「それほどでも」
「何の話?」
「なんでもなーい」
「あの、お話の途中にすみません……私はこれで失礼しますね、戻るよう指示があったので。神楽さん、お時間ありがとうございました!」
「はいはい」
「じゃあ俺、玲ちゃんを近くまで送ってくるよ。神楽、名前のことよろしくね」
「言われなくても」


はーちゃんと泉さんを見送ったあと、流れる沈黙。亜貴は無言ではーちゃんが座っていた椅子へと座った。
亜貴は黙ったまま、私を見つめる。
スケッチブックの上に置いた自分の手に視線を落としながら、私は意を決して口を開いた。


「……ほんとはね、ちょっと不安になった」
「不安……?泉のこと?」
「いつもの仕事相手でも何でもないような人を連れてると思ったから。でも、はーちゃんに助けられちゃった」
「……本当、ばかだね名前は」


そう言って亜貴は私の手を解いて、亜貴の綺麗な手と絡み合う。
いつの間にか強く握っていた私の手のひらは少し赤みを帯びていた。


「Revelとしての仕事のこと、言えなくてその…………ごめん。別に隠してたとかじゃない。急だったから言うタイミングがなくて」
「うん、わかってる。亜貴、隠し事とか得意じゃないもんね」
「一言余計なんだけど。……とにかく、あの子とは仕事上でしか関わったことない。ていうか、仕事以外で関わりたくないし。あと、僕がこうやって触れたいと思うのは、」


名前だけだから。


「…………」
「…………なんか言ったらどうなの」
「……やっぱりすきだなって、おもって、た……あーもうケーキ食べよ!」
「なにそれ」


恥ずかしそうに、嬉しそうに笑う亜貴。
ただ美味しかっただけのケーキが、この時ばかりは、何故かさっきより甘く感じた。





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