約束された赤い糸





「行かない」
「…………」


仕事終わり、たまたま会った慶ちゃんにいつものバーに行かないかと誘われた私の返答はノーだった。目の前の慶ちゃんは微妙な顔をしている。


「理由は聞いても?」
「なんとなく察してるくせに」
「まぁな。でも確信はない」


最近仕事が忙しくて連絡は取っていても貴臣くんにも羽鳥くんにも会えていない。慶ちゃんに会ったのだってそう。
私は全員と昔から付き合いがあって所謂幼なじみ。積もる話もあれば情報屋としての話もしたいわけで。会えて嫌なわけがない。

でも行きたくないのには理由があった。


「亜貴か」


ぐっと声が詰まる。
亜貴本人にばれてるかどうかは知らない。けど慶ちゃん、きっと羽鳥くんも感づいてるだろうなとは思っていた。貴臣くんは鈍感な所が否めないのでわからないけれど。


「泉さん、だっけ。いろいろ聞いたから」
「あー……羽鳥か」


最近羽鳥くんから知らされたこと、それは泉さんの存在で。
私と同い年の女の子らしい。はっきりモノを言える子で、亜貴と対等に接し、亜貴と同じ、どこまでも真っ直ぐな子。
話を聞いた時は正直戸惑った。亜貴と対等に接することが出来る人が現れるなんて、思ってなかった。それが親族でも、幼なじみでもない、初めて会って数ヶ月の他人に。

私が亜貴に対して恋心を自覚したのはいつだったか。
デザイナーに対しての真っ直ぐ過ぎる思いを目の当たりにして、側で脆く繊細な部分を支えてあげられたらって思うようになったのは。
でもこの気持ちを打ち明ける勇気は生憎持ち合わせていない。幼なじみというこの絶妙な関係。気持ちを打ち明けたとして、でももし壊れたらと思うと、それだけで何かが破裂しそうだった。
打ち明ける勇気もない、関係を壊したくないこのエゴが自分を縛り付けて、余計に行きづらく会いにくい今を作ってしまっている。
亜貴の彼女でも何でもないただの幼なじみである私が、この気持ちを表に出してはいけない。


「……いまは、」


気持ちが落ち着くまで会いたくない、そう告げようと思った時に慶ちゃんの携帯が鳴る。
慶ちゃんは悪いと一言告げて電話に出れば、どうやら相手は貴臣くんのようだった。


「ああ、桧山くん、ごめん……うん、いまから向かう。……そう、名前ともちょうど会ったし、連れていく」
「ちょっと慶ちゃん!?」
「それじゃ」
「……私行かないって言った」
「聞いたな。ま、亜貴とマンツーマンじゃないんだし、嫌なら途中で抜ければいい」


慶ちゃんはそう言って私の鞄を奪い取ってしまった。人質ならぬ物質ってわけだ。こうやってさらりと荷物を持ってくれるこの人は本当どこまで男前なんだか。
私は溜息をついて、すたすたと歩いて行く慶ちゃんの後を追う。


「まってよ慶ちゃん」


大丈夫、何年私は片想いをしてきたと思ってるの。何年隠してきたと思ってるの。久しぶりに会うからって何か大きく変わるわけじゃない。大丈夫。そう自分に言い聞かせて見慣れた道を進んだ。


「あれ、名前ほんとに来たんだ」
「来たか2人とも」
「ひさしぶり、貴臣くん。羽鳥くんも」
「桧山から名前が一緒に来るって聞いたから、てっきり行かないって槙の前で駄々こねて来ないかと思ってたのに」
「なんでちょっと当たってんのよ……」
「名前のことなら何でもわかるよ」
「はいはい」
「ほんとなんだけどなあ」


相変わらずな羽鳥くんをあしらって、目線だけで亜貴を探してみた。なんだ、今日はいないのか。安心したようなそうでないような。
まあいいか。そう思って慶ちゃんの隣に座った途端、閉めたはずのドアが忙しなく今一度開いた。
そしてその向こうには、例の彼が私を見て驚いた顔を覗かせていた。


「おどろいた、名前じゃない。久しぶり」
「……亜貴、久しぶり」
「なに、その変な間は。久しぶりにあったって言うのに。仕事は?落ち着いたの?」
「べつになんでもー。仕事はやっと落ち着いた。従業員が頑張って働いてくれてるのに、私が休むわけにはいかないからね。亜貴お酒なに飲む?」
「今日は車だからいい。長居するつもりもないし」


いつも通り。幼なじみの皆と集まって交わすお酒。
やっぱりこの空間は私の人生にとって大事なもので、失くしたくないもので。


「ふーん。仕事、順調なんだ?」
「お陰様でね。もう少しでみんなのお手伝いも復活できると思うよ」
「無理をしないようにな。お前は誰かの為に動く時、その加減を知らんからな」
「そんなことないって。ありがと、貴臣くん」


そこからは他愛もない会話が続く。
久しぶりに会うからか、どうやら亜貴がこの中の誰より心配してくれていたようだ。普段悪態ばっかりつくくせに、なんだかんだで世話焼きな所は何も変わっていない。
仕事はどう?無理して体調の壊さないようにね。なんて。
何気ない一つ一つの言葉が私の体に染み渡る。
にやけた顔をお酒のせいにして飲んでいたら、遠くでドアの開く音がした。


「……あの、神楽さん」
「え……ちょっと、なんで君がここにいるわけ」


彼女に目線を向ける亜貴を見て、どくんと大きく心臓が動いた気がした。脳に電撃が走る。本能が告げる、泉さん、絶対この人だ。
亜貴が席を離れて、彼女の元へ向かう。
そういえば羽鳥くんから亜貴のお仕事を手伝っていると聞いた。書類を手にしているようだし、もしかしてそれ関連だろうか。
目線をお酒に向けて耳を澄ましても、会話はこちらまで聞こえない。
ふとそちらへ視線を向ければ顔を赤くして、彼女と話す亜貴が目に映る。握ったグラスの中の氷が大きくからんと揺れた。


「……名前」
「あー、うん、うん。ごめん慶ちゃん、明日も仕事だし、そろそろ帰るね」
「わかった。送るから、先に外で待ってろ」
「ごめん、ありがと」


貴臣くんと羽鳥くんにごめんねと伝えて、亜貴には帰ると一言だけ、すれ違いざまに告げ外へと足早に向かう。亜貴とは目を合わせられずに。

大丈夫と思っていたのに、やっぱりいざ目の前にするときついものがある。ああ、今度ひとりでお酒片手に失恋パーティーでもしようか。肩にかけた鞄を握る力が強くなり、少しずつ目の前がぼやけて足元がおぼつかない。
外に出ればなんだか余計に悲しさが増してきて、ついに涙が溢れ出てしまった。
こんなに私、涙脆かったっけ。おかしいなあ。
慶ちゃん早く来ないかなあ遅いなあなんて、溢れ出た涙を拭って待っていたら足音が近づいてくる。


「慶ちゃん遅かっ、」
「名前」


振り返った先にいたのは慶ちゃんではなく、さっきまで彼女と話していた亜貴だった。


「なんで……」
「慶ちゃんに言って代わってもらった」


代わってもらったって、どういうこと。
他にも込み上げた私の思いは、言葉に成ることもなく喉の奥で詰まる。一度は上げた顔を下げて、何も言えずに握り締めた手元を見つめた。……目線を合わすことが出来ない。


「あのね、」
「……うん」
「いいよ、そのまま聞いて。何を勘違いしてるのか知らないけど、名前が思ってるような関係じゃないから、彼女とは」


思わず目を見張る。私が、思ってるような関係じゃないなら、亜貴が彼女に対して赤くなってたわけじゃないってこと?
なんだか頭がぐるぐるとこんがらがってくる。


「でも、亜貴の顔、赤かった」
「なっ……!?見てたの!?うっわもうほんと最悪……。や、違うから。あの子に何かをまあ言われたんだけどそうじゃなくて……ああもう。………“例の名前さんに会えたみたいですね、良かったです”って言われただけ」


最後のそれは、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で。でも私の耳にはちゃんと届いた恥ずかしさを含んだ亜貴の声。
私に言うのが恥ずかしいってことは、図星だったから?


「仕事の話が終わったから元の場所に戻ろうとしたら名前は擦れ違うし、なんだかいつもと様子がおかしかったから、慶ちゃんに聞いたら何もわからなかったのかって言われるし。何もわからないなら追いかけるなって言われて、」
「…………」


じゃあ亜貴は、なんで私があの場から逃げ出したのか、わかってるからここに来てくれたことになる。
恥ずかしさからか一気に捲し立てた話が途中で途切れたかと思うと、亜貴が優しく私の手に触れてきた。そして少し緊張しているような手つきでそっと握り、俯いた私の額に亜貴が自身の額をこつんと合わせる。


「…………正直、甘えてるとは思う。この関係に。……でも僕らはさ、いい大人な訳じゃない?ましてや一般人が語る普通とは違う世界で生きてる僕らには、中途半端な事がもう許されなくなってくる。だから、」


握った手が離れて、つぎは私の頬に触れる。
促されるまま顔をあげれば、少し赤くて、すごく優しい顔をした亜貴がそこにはいて。
ああ、別の意味でまた涙が溢れそう。


「ずるい言い方だとは思ってる。でも、ちゃんと迎えに行けるまで、待ってて欲しい。名前には僕の隣で笑っててほしいって、これからもずっと、そう思ってる」
「…………ばかあき。早く来てくれないと私拗ねるから」


耐えきれることなく溢れ出た涙を、亜貴はそっと口付けた。
ずるい男に捕まったもんだと思う。でもいいや。きっと、ううん。必ず迎えに来てくれるから。


「あんまり待たせたら慶ちゃんとこ行っちゃうからね」
「言ってれば。慶ちゃんだってそんなことされたら困るに決まってるし」
「そんなことないもん」
「はいはい。家まで送るから、ほら、早くおいで。名前」


私は少し赤くなった亜貴の顔を見上げながら、優しく差し出された手をそっと握り返した。





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