心が伴うまで

(高専時代)




硝子は治療で席を外し、傑も任務でいない。
教室には自ずと任務のない名前と悟のふたりだけ。
そんな空間に、突如と爆弾が落とされる。


「名前ー」
「なに?」
「来週末、ス◯バの新作飲みに行こうぜ」
「来週末はだめ」
「えーなんで」
「お見合い行けって言われてるから」
「………………は?」


少しずれたサングラスの向こう、綺麗な蒼がこれでもかと見開かれ名前の方を見ていた。
思考回路がショートしたのか、それ以上何も言わなくなってしまった悟。
名前が悟の名前を何度呼んでも反応がない。面白くなった名前は、悟の頬を軽くつねってみる。


「これが男の肌かよむかつく……すべすべじゃん……」
「…………名前」
「ん?」
「お見合いって、なに?」
「結婚相手を探す場……?」
「そうじゃない。なんで名前がお見合いすんのって話」
「ああ、そっち」


彼女の話はこうだった。
いいとこのお家の坊っちゃんが若いうちから嫁探しをしていると名前の家、つまりは名字に話が来たらしい。その坊っちゃんと名前は歳も近いこともあり、親はしつこくその縁談を薦めた。
とりあえず会って見初められたらラッキーだとでも思っているのか、何度名前が断っても諦めることを知らない。とにかく会ってみろの一点張りで、こちらの話を聞く耳も持たなかった。

その理由は、名前の両親は名前を自分の子としては育てては来なかったからだ。名字が育てたのは我が子ではなく、呪術師。
幼い頃から鍛練をさせ、自分達の将来の保身のために名前を育ててきたのだ。
だからこそ、この話を無駄にしたくないのだろう。


「最終的に断ればいいかと思って、さすがに鬱陶しくなったから思わず首を縦に振ったんだけど」
「相手は?どこのやつか知ってんの?」
「聞いてびっくり。なんと禪院だったんだよね」


けらけら笑う名前だったが、悟は良くは思っていなかった。
禪院は未だ男尊女卑が強く残り「禪院家にあらずんば、呪術師にあらず。呪術師にあらずんば人にあらず」なんて言葉があるくらいだ。
名前が禪院に入ったとて、未来は約束されないだろう。それを知って縁談を薦めたのか。
悟の表情が、サングラスの向こうで曇る。


「……名前はそれでいいの?」
「よくはないけど……傑に彼氏の振り頼んだら断られたし、とりあえず行くしかないかなって」
「えっ!?彼氏の振りってなに!?」
「彼氏いたら行かなくて済むかなって思って」
「俺は!?声かけられてないんですけど!」
「いや、五条家に対してその嘘は代償がでかすぎるでしょ」


絶句する悟を前に、名前は「何言ってんの?」という顔で悟を見つめた。
確かに名前の言うことに間違いはない。呪術界において、御三家の名前が大きいことは事実。
禪院が嫁探しという名のお見合いをしているように、悟だってそういう話がなかったわけではない。
でもそれが、名前に来るとは悟は思いも寄らなかったのだ。


「……わかった」
「何が?」
「俺に任せろ」
「だから何を?」


悟と噛み合わない会話に首を傾げていると、彼はニヒルな笑顔を浮かべてこう言った。


「そのお見合い、ぶっ壊してやるよ」










それから。
悟にお見合い用の着物を仕立ててもらって以降、何を聞いてもはぐらかされるばかり。
もとより名前は、禪院とのお見合いがうまくいきさえしなければ、後はどうとでもなるかと思っていたため深くも聞かなかった。
彼はぶっ飛んだ性格ではあるものの、名前のことを思って動いてくれているのはわかっていたからだ。
きっと、悪い方向にはいかないだろうと。

お見合い当日。
嫌味な程晴れた空に、名前は眉間の皺を深くした。
いつの間にか悟の話に加わった硝子にメイクを施してもらい、傑にヘアセットをしてもらった。高専を出るまで悟とは会わなかったが、恐らく何かしらの準備をしているんだろう。
悟に仕立ててもらった着物を弄びながら、名前は人通りの少なそうな縁側に腰をかける。
しつこかったために頷いたお見合い。面倒であることに変わりはない。ついた溜め息は、まるで悟の瞳のように綺麗な空の蒼へと消えた。

両親だとか、禪院だとかの問題はさておき。呪術師である自分に、結婚だなんだというのが必要なのか、名前は甚だ疑問でしかない。
いつ死ぬかもわからない毎日を過ごしているというのに、そんなに力を持った跡継ぎが必要なのか。
呪術師の家系とは言え、大した力もない名字に話が来るくらいだ。恐らく高専から情報をもらって、優秀な世継ぎを産むかもしれない女を片っ端から探しているんだろう。そう考えると吐き気がした。

またひとつ溜め息を吐いて、そっと目を閉じる。これが終わったらハイカロリーのスイーツでも食べに行こう、そう思っていたとき。
ぎしりと音を立て、縁側に誰かがやってきた。
無意識に感じとった呪力に、名前は勢いよく顔をあげる。


「悟」
「よっ、名前。着物似合ってんじゃん。さすが俺」
「ありがとう。ていうか、なんで悟も着物なの?」
「似合う?」
「似合うけど」
「なら着た甲斐があった。よしじゃあ行くか」
「どこに?」
「お見合い」


悟に手を取られ、勝手知ったる様子で屋敷を歩き、名前をとある部屋へと連れていく。
彼が勢いよく襖を開けたその先には、両家が揃って顔を突き合わせ座っている。その場に居ないのは、禪院の坊っちゃんくらいだった。
両家はこちらを見て、驚きを隠せない様子が見て取れる。名前は心情を察した。襖が勢いよく開いたと思ったら五条の嫡男がいるなんて、誰が予想できたというのか。
名字側はわなわなと口を震わせ、禪院側の人間は眉をつり上げこちらを睨んだ。


「やあやあ皆様お揃いで!」
「……ご、五条、悟様……!?」
「お、さすがに俺の事は知ってるか」
「五条の嫡男が何しに来た」
「……禪院の端くれが、俺に舐めた口を聞くんじゃねえよ」


悟の言葉により、空気の重さが一変するのを肌で感じる。
昔から五条家と禪院家が仲が悪いことは噂程度には知っていたが、本当なんだと悟の後ろで名前が感嘆の声を小さく漏らす。
しんとする空気の中、悟が繋いでいた名前の手を引き、両家の前へと押し出した。


「んじゃ本題。こちら、本日の主役の名字名前ちゃんでーす!」
「…………こんにちは」
「その胸元の紋は……!」
「あ、気づいた?これ、五条家御用達の所で仕立ててもらったんだよね。名前のために。どういう意味か、わかる?」
「…………貴様」
「賢い禪院ならわかるよね?」


首だけ振り返り悟の方へ顔を向ければ、真っ黒なサングラスは下げられ、普段は隠されている瞳を露にしていた。
すっと細められた双眼で、両家に鋭い視線を送っている。


「…………どっから名前の情報を手に入れたのかは黙認してやる。だが今後、名前にちょっかいをかけるようなことがあれば、俺が許さない」










悟と両家、一悶着の後。
名前は禪院の坊ちゃんと会うこともなく、お見合いはなかったことになった。
迎えの車が来るまで、先程までいた縁側へと戻ってきた。2人の手は、繋がれたまま。


「悟」
「なに?」
「今日はありがとね」
「話を持ってきた両親には、申し訳ないことしたって思う?」
「……思わないかな。そもそも向こうが勝手に持ってきた話だし。それに両親っていう認識はあっても、それ以上の感情はもう持ってない」
「そっか」
「ね、お礼はなにがいい?」
「……なんでもいいの?」
「私ができることなら」
「…………じゃあ、名前が欲しい」


緩く繋がれていた手が強く握られ、真っ直ぐな蒼に射貫かれる。名前は瞬きを繰り返し、悟を見つめ返した。
いつものようにへらへら冗談を言っている顔ではなく、真剣な面持ち。どういう意味かと聞き返す前に「そういう意味」なんだと名前は直感する。
悟はふっと表情を柔らかくして、名前の頬を両手で包んだ。


「俺、名前が好きだよ。今回、お見合いをぶっ壊すって言ったのも半分は俺のため」
「さとるの、」
「……あーあ、告白なんかもっと先の予定だったのに。ある意味禪院のせいだし、禪院のおかげかも。ムカつくけど。だって名前、気づいてなかったでしょ」
「……………………」


悟からの好意に全く気づいてなかった名前は、ぽかんとして言葉が出てこない。
呪術師として、同期として、友だちとして。これからも、生きてる限り4人で歳を重ねていくのだと漠然と思っていたからだ。
それに幼い頃から呪術師として育てられた名前には、好きだ愛だの感情は未だ持ち合わせていなかった。


「名前の過去は知ってるし、俺と一緒でそういった感情が欠けてることも理解してる」
「…………」
「でも、そんな俺でも。情報じゃなく心で″好き″を理解したのは、名前のおかげだよ」


幼い頃から呪術師として育てられた悟もまた、人間として欠けたものが多すぎた。
そんな穴だらけだった心のピースを埋めてくれたのは、他でもない同期の存在。
そして、悟の中で紙の上の情報でしか知らなかった恋愛感情を心で感じたのは他の誰でもない、名前の存在だった。


「すぐに答えを出さないで。俺の気持ちをしっかり噛み砕いて飲み込んで、いっぱい考えてよ」
「…………うん」
「そんで名前が俺の事を好きだって思ったら、その時に返事ちょーだい」
「私が好きだってならなかったらどうするの?」
「その時は硝子と傑と名前と俺の4人で、ずっと楽しく生きてこーぜ」
「いまと変わんないじゃん」


名前がくすくすと笑っていると、ふいに悟の顔が近づく。頬に柔かい感触が触れたと思えば、先程より近い距離で、蒼い瞳が名前を映した。


「お、お手付きだ」
「俺の優しさで唇はやめてやったの。頬っぺたなだけマシ」
「そういう問題じゃない気がする」


眉間に皺を刻む名前の顔を見て、今度は悟がくつくつと笑い出す。
名前の頬から悟の大きい手が離れることはないまま、今度は額が合わさった。


「…………ねえ名前。早く、俺を好きになって。名前が好きだって言ってくれたら俺はいつでも、俺の全部を名前にあげるから」


額から伝わる熱に、どきりと名前の心臓が跳ねた気がした。
そんな鼓動を誤魔化すかのように、頬を包む悟の手に名前の手を重ねる。

今はただ、今はまだ、この熱に浮かされよう。情報に心が伴うまで。








back