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名前は久しぶりに鍛練もなく任務もなく、自室でのんびりしていた。新しい料理に挑戦しようかとSNSを巡りながら机に本を広げていると、ノックが控えめに3回鳴る。
誰かが訪ねてくる時は大抵先に連絡をくれるというのに、名前のスマホは何も知らせていない。
不思議に思いながら扉の方へ向かい扉を開ければ、任務に出ていた恵がそこに立っていた。
任務が終わってすぐに名前の部屋に来たのか、頬には煤埃がついている。名前は躊躇うことなくそれを手で拭い、恵を自室へ招き入れた。


「……ただいま、名前。ごめん、連絡してない」
「いいよ、おかえり。とりあえず入んなよ」


恵の手を引き、取り急ぎ扉を閉める。
どことなく不機嫌なような雰囲気を感じながら、座るように恵を促した。
名前は2人分の緑茶をいれて、ベッドを背もたれにしている恵の隣に座る。


「熱いから気をつけてね」
「……ありがとう」


恵の態度に対する心当たりがない名前は、とりあえず恵が話し出すまではそっとしておくことを決め、広げていた料理の本を手に取った。
その時、机に置いておいたスマホの通知音が静かな部屋に鳴り響く。ショートメッセージの音だ。
すると、表示される通知を目にしたのか、カップを手にしていた恵が勢いよく机にそれを置き、名前のスマホを奪い取る。慣れた様子でロックを解除し、ショートメッセージのアプリを開く。
特に咎めることもなく、恵にスマホを好きにさせて名前は料理本を見続けた。
急ぎの案件なら電話が来るだろうし、友だちならアプリの通知音がなるはずだ。ショートメッセージの通知音ということは、対した関係でもないということ。
特に気にもせず本に目を落としたまま、恵に問いかけた。


「何か書いてあった?」
「……名前」
「なに?」
「これ、補助監督志望から?」
「誰……?」
「草賀って名前」


メッセージの送り主は、先週会った補助監督志望の男子高専生からだったようだ。
少し前、彼は呪霊による被害者だった。その時に呪術師の存在を知り、この機関を知った。術式は持っておらず視えるだけだった彼は、それがきっかけで補助監督を目指し転校してきたらしい。


「ああ。そうそう、補助監督志望の子だ。そういえば電話番号だけ交換したんだっけ」
「なんで」
「中学が一緒だったっていう話からその流れで。でも番号しか教えてない」


本来であれば御三家である名前は学校に通わなくても問題はない。過去、小学校に通うはずだった時間のほとんどを五条の中で過ごした。
だが、悟自身の経験からか、中学校の3年間は悟の手配で一般の学校に通わせ、現に今も高専生として学生生活を送っている。
中学当時は恵は埼玉に住んでいて、名前は東京。もちろん学校は別で、恵がこの名前の同級生を知っているはずはなかった。


「先に言っとくけど、草賀くんが視えることは知らなかったし、何なら番号を交換するまで下の名前も知らなかったレベルの同級生だから」
「じゃあこのメッセージはなんだよ」


表示されたメッセージを読めば、会えて嬉しかっただの、もっと話がしたいだの、明らかに名前を誘っている内容がそこには書いてあった。
確かに高専内で偶然鉢合わせした時、そんなことを言われたような気がしなくもない。だが、対して興味のない名前にとって、交わした言葉すら明瞭には残っていなかった。


「単純に知り合いに会えて嬉しかったんじゃない?適当に会話したからあんまり覚えてないや」
「そんなやつがこんなメッセージを送ってくるかよ」
「……何?やたら突っかかってくるじゃん」
「…………別に」
「草賀くんに何か言われたりしたの?」


名前がそう問うと、恵はぐっと唇を閉ざした。どうやら当たりのようで、恵はスマホを置いて視線を落とす。
恵が珍しく連絡を寄越さずに任務が終わって名前の部屋に直行し、どことなく不機嫌な雰囲気の原因はこれかと、名前は納得した。


「恵」
「…………」
「恵」
「……なに」
「おいで。ぎゅーしよう」
「…………」
「来ないの」
「歳上面すんな」
「わっ!」


そんなことを口では言いつつも、勢いよく抱きつく恵に耐えきれず、名前は恵共々後ろに倒れた。クッションがあることくらい、恵は把握済みだったのだろう。痛くはなかったが、予想よりもあった勢いに名前はけたけたと笑う。
そんな名前のことなどお構い無しに、彼女の首筋に顔を埋める恵。
名前は硬そうに見えて、柔らかい彼の髪の毛に手を通しながら大きな背中も撫でる。


「よしよし、可愛いね」
「ガキ扱いもするな」
「あんたは脇腹を揉むんじゃない」
「腹出してる方が悪い」
「いや出してないわ。恵が手を突っ込んでんだわ」


じゃれついてくるところを見ると、本気で怒っていたり拗ねている様子ではないことがわかる。
ひとまず名前は安心して、恵から事の発端を聞き出す。話を聞けば、どうやら今回恵の任務に、現場の見学ということで草賀は補助監督と同行していたそうだ。
やたらと草賀からの視線を感じてはいたが、恵は特に気にすることもなく、淡々と任務を遂行する。
その途中、ふと2人になるタイミングで草賀が名前の話を振ってきたのだと言う。


――伏黒くんは名前ちゃんと付き合ってるの?
――……なんですかいきなり。つか、あんたに関係ないでしょ
――関係あるよ。中学校の時から片想いしてた子だから
――はぁ?
――同じ中学校だったんだ。まさかここで、再会できるなんて思ってもなかったよ
――そうですか
――で、さっきの質問だけど
――気になるんなら本人に聞けばいいんじゃないんですか
――……そうだね
――教えてもらえるといいですね?センパイ


恵は事のあらましを話終えると、先程より強い力で名前を抱き締める。鎮火せずにいた気持ちが、思い出すことでまたじくじくと心を蝕むような気がした。
名前はそんな恵の様子を察して、撫でることをやめて彼を抱き締め返す。


「…………ただの嫉妬。俺の知らない名前の過去を知ってるあいつはたかが3年だろ」
「うん」
「確かに名前が好きだって自覚するのは遅かったけど、俺の方が長く一緒にいるのにって思った」
「そうだよ。そんな3年間より、恵やみんなとの時間の方が何倍も大切だし」
「わかっててもムカついたんだよ」


恵はそう言うと首筋に埋めていた顔を上げて、名前の顔の横に肘を置く。息もかかるその距離に視界が恵で奪われると、噛みつくようなキスが降ってきた。
普段は恵と名前のどちらも知る人物としか基本的には顔を合わせないため、こんな風に感情を剥き出しにする恵は珍しいなと名前は思う。

満足するまで好きにさせていれば、突如首筋に唇の感触が襲った。このままでは痕をつけられてしまう、焦った名前は思わず体を捩る。


「めぐみ、それはだめ」
「ぎりぎり見えないところだったらいいかなって」
「だめ」


わかりやすく恵が舌打ちをすれば、満足したのか自身の体を起こして名前の体も起こす。
名前は服装を正すと、恵が自分の足の間を無言で叩くので、そこにすっぽりと座り込んだ。
恵が後ろから名前を抱え込むと、スマホの画面が名前にも見えるように恵が草賀への返信画面を開く。


「何て返すの?」
「名前だったら、きつく返すとしたら何て返す?」
「えー、そうだな……」


名前自身の世界に必要ないものは、全てにおいて興味がない。名前の言う世界とは、恵がいて、悟たちがいて、五条名前を形成する空間を指す。
そしてそれは同時に、名前の世界にいない人間に対して、どう思われようとも関係がないということ。


「……恋だ愛だなんて言う暇があったら、死なない努力をした方がいいんじゃない?」
「……」
「って悟くんなら言う気がしない?」
「五条先生かよ。まあ確かに言いそうだけど」
「でしょ」
「じゃあそれ採用で。あとは適当に付け足しとく」
「お好きにどうぞ。……まあでも、中学が恵と同じだったらそうだな、不良どもを一緒にぼこるのはありかもね。津美紀には怒られるかもだけど」
「その話はやめろ」
「ええー?面白かったよ?健康優良不良少年ズ横断幕に吊るされ事件」


迷うことなく綴られる言葉に目を向けながら、津美紀から聞いた恵の話を思い出す。
なんとまあ恵らしい話だと、当時は笑ったものだ。


「返信が終わったら、ここから食べたいもの選んでよ。新しい料理を作ってみたいんだよね」
「材料は?」
「これから買い出しだから大丈夫!」
「じゃあ一緒に買いに行くか」


恵は名前に返事をしながら草賀への返信を終えると、任務でもない内容が端末にあっても不愉快なだけだと、メッセージごと削除を選択。
とりあえず着替えてくると言いながらスマホを名前に返して、彼女の部屋を後にした。





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