(※大人になってる)
金曜日の夜に残業だなんて、本当についていない。肩をぐるりとまわし、今週の疲れを少しでも解消しようとしてみる。当然それだけで癒えるはずもなく、いつものようにさっさと家に帰って晩酌をし、泥のように眠ろうと決めてオフィス街をのろのろと歩いていた。
「あれ?もしかして、なまえ?」
ふいに声を掛けられて、取り繕う間もなく顔を上げた。ひどく疲れた顔をしていることだろう。
「どちら様でしょうか」
「金ちゃん、って言えば思い出す?」
金ちゃん、金ちゃん……。それを聞いて、屈託のない笑顔でまわりを明るくする小さくてパワフルな男の子を思い出した。あの金ちゃんと、大人びた雰囲気に似合わない、いたずらっ子のように笑うこの人がほんの少し重なる。
「ええ!?」
あの頃のような天真爛漫さの影は見え隠れするものの、昔と今の姿が全く結び付かない。何よりも同じくらいだった身長が、私より何十センチも高くなっていふことに驚きを隠せなかった。
「うそやん、金ちゃん?だって!」
「背も伸びて髪も黒いって?」
社会人やからなー、なまえは綺麗なったけどすぐわかったで。息をするように吐き出されるお世辞に、思わず照れてしまう。
「いつからそんなたらしになったん」
「ははは、いつからやろなー」
私は外部受験をしたので、高校からは別の学校に通っていた。そこからテニス部の集まりに参加できる時はしていたものの、金ちゃんとはタイミングがいつもずれてついに会うことはなかった。そうか、いつまでも子どもではいられないか。成長した金ちゃんがなんだか眩しくて、目を見て話すことが難しい。
「せっかくやし、これから一緒に飯どう?」
頷くことしかできなかった私を気にするふうでもなく、金ちゃんはお気に入りだという店へ案内してくれた。バーというほど敷居は高くないが、一人では少し入りづらい、小洒落た雰囲気のお店。なんの躊躇もなく足を踏み入れる金ちゃんとは対照的に、おどおど着いていくことしかできない。金ちゃんが注文してくれた料理が届くと一気に気が緩み、緊張していたことがまるで嘘だったかのように大酒を飲んだ。
「なまえ、めっちゃ飲んでるけど大丈夫なん?」
「私、お酒強いから平気」
「そ?ほんならええけど……」
心配そうに見つめる金ちゃんの瞳や気遣いに、大人の男性が垣間見えて思わずどきりとする。そんな自分に驚いて、気が付けばいつもよりもはるかに早いペースで飲んでいた。
「なまえ、そろそろ起きな電車なくなるんちゃう」
「んー、だいじょーぶ……え?電車なくなんの?」
勢いよく顔をあげると、頭がくらりとした。あれ、私、寝ちゃってたのかな。
「よしっ、帰ろか!」
「ん、駅まで送るわ」
席を立った瞬間、頭がぐらりと揺れる。自分ではまっすぐ歩いているつもりなのに、思うように足が進めない。金ちゃんが肩を支えてくれて、ようやくまともに進むことができた。
そんな調子だったので駅についた時には最終電車もとうに発車していたが、どうでもよかった。今はただただ眠い。
「あー、なまえ、家近い?」
ううん、タクシーで帰ると高くつくから、カラオケにでもいく。そう言いたいのに、頭がぼんやりとして呂律もうまくまわらない。首をふるふる、と横にふることで精一杯だった。
「んーとね、あー、ごめんー」
へらりと笑いかけると、眉間にしわを寄せ、険しい顔をした金ちゃんが目に入る。可愛い後輩の金ちゃんにこんな顔をさせてしまったと思うと、申し訳なさから泣きそうになった。
「年上やのにごめんね」
情けないことに、私はひとりで立つことすらままならなかった。金ちゃんの手はいつの間にか腰に添えられていて、そのままタクシー乗り場へ移動する。どこに行くのだとか、ありがとうだとか、うまく言えずに私はされるがままだ。
「〜〜まで、お願いします」
近くにいるのに、どこか遠くで金ちゃんの声が聞こえる。ふたりでタクシーに乗り込んですぐ、私は意識を手放した。
「なまえ、ここで降りるで」
「んー」
支えられているからこけることはなかったけど、足元がおぼつかない不安から私は金ちゃんの服をぎゅっと掴んだ。エレベーターに乗ると、腰にまわる腕にぐっと力が込められる。どうしたの、と言おうとして顔をあげると、こちらを見ずにまっすぐにドアを見つめる金ちゃんが見えた。
エレベーターのドアがあくと、行こ、と小さな声だけが聞こえる。私はそれに素直に従っていると、がちゃり、と鍵の開く音がした。やはり夜はどこか肌寒かったので、室内に入れてほっとした時だった。
「なまえはホンマにあほや」
そう聞こえたと同時に、私の身体は金ちゃんに抱きすくめられていた。 うん、ごめん。そう伝えたいのに、私の小さな謝罪の声はかき消されてしまう。金ちゃんの身体がすっと離れたかと思うと、私の身体が宙に浮いた。ああ、これがお姫様だっこってやつか。
しばらくするとふわふわした場所に身体が落ちていって、その衝撃と私の重さで何かがきしむ。ぱさりと布が落ちる音がしたと思ったら、ごく近くに暖かい温もりを感じて、少し肌寒かった私はそれに腕をからめる。びくりとそれが揺れたので、私は驚いて薄く目をあけた。
「キスしていい? 」
私はそれを理解するよりも早く、再び瞼を下ろして意識を手放した。
ぴぴぴぴ、と鳴る電子音に勢いよく飛び起きる。
「わ、今何時?遅刻!?」
慌てて身体を起こそうとしたら、横からすっと伸びてきた腕に閉じ込められた。
「なまえー、今日は土曜日やぁ」
もうちょっとだけ寝ようや、という声が聞こえて軽くパニックに陥る。え、私、一人暮らしやんな?っていうかここうちじゃない!どこ!誰! ぱっと顔をあげると、昨夜の記憶が徐々に蘇ってくる。そういえば、私、金ちゃんと……。そこまで思い出して、今度は自分の衣服を確認する。よし、ちゃんと着てる。
「金ちゃんごめん!私なんも覚えてなくて。ほんまごめん!」
思っていたよりも大きな声だったが、それに動揺することもなく金ちゃんは目をつむったままだ。
「んー、なまえがおはようのチューしてくれたら教えたるー」
は、と固まっていると、しびれを切らした金ちゃんと目が合って、起こしていたはずの身体が再びベッドへ沈みこむ。
「してくれへんの?」
金ちゃんに押し倒されているせいで、顔を背けることもできない。
「なまえ」
耳元で響く落ち着いたその声を聞いて、もう逃げられないと思った。
「大事にするから、お願い」
そう言ってあの頃とは違う色気を含んだ笑みを浮かべて私の返事を待っている。この瞼を下ろしたら、きっと。