「……みょうじ」
梅雨入り前のこの季節が、もしかしたら一年の中で一番好きかもしれない。太陽の光が交差する中庭を、鼻歌交じりで散歩する。誰かが私を呼んだ気がしたけど、それはたぶん勘違いだと思う。
「おーい、みょうじ!」
気付かないふりをして通りすぎたのに、叫ばれてしまうと立ち止まざるをえない。仕方なく声のしたほうへ振り向くと、長髪で、肌が黒くて、筋肉隆々の赤澤くんが立っていた。
「みょうじ。明日昼飯一緒に食わね?」
「え、あ、はい」
「っしゃ!さんきゅ!じゃーな!」
そんなこんなで名前しか知らない赤澤くんに流されるまま、一緒にお昼を食べる約束をしてしまった。
「あっちゃん、赤澤くんってどんな人?」
「何、好きなの?」
「違う!」
ついに約束の昼がきてしまって、中庭に向かう前に友人である木更津を捕まえる。どんな人、に対する答えをしばらく待っているのに、一向に教えてくれる気配がない。
「……教えてくれないんかーい!」
「え、その話まだ続いてた?」
「むしろ何待ちの時間だったの」
「で、そんなこと聞いてきた理由は?」
「スルーかい。まあいいや、っていうか理由って言ってもなぁ」
「ふーん、告られでもした?」
「いやそれも違うけど」
「つまんないなー」
面倒だ、とでもいうようにため息をつかれる。それでも必死に引き留めて、すがる思いで助けを求めた。
「日焼けと男の長髪と筋肉隆々な人は苦手なんだよー、絶対怖い人じゃんー」
「じゃあ断れば?」
「それも無理怖い勇気でない」
はいって言っちゃった、とうじうじする私を冷たい眼差しで刺してくる。容赦のないその視線に負けないように、私も目で必死さを訴え続けた。
「悪い奴じゃないよ」
「エピソードオブいい人プリーズ」
三秒ほど目を瞑って、何かを考えているそぶりを見せる。
「あ、カレーが好き」
絞り出したエピソードは欲しかった回答からかけ離れていて、全く参考にならなかった。
「なになに、カレー好きに悪い奴はいないってかー?ねぇあっちゃん、それ本気で言ってますかー??」
「うざ絡みしないでくれる?」
「今日お昼一緒に食べんだよね、だからあっちゃんも一緒に……」
「行かない。バイバイ」
寂しさと一抹の不安を抱えながらひとりで中庭に向かう途中、パックのジュースでも買おうと自販機に立ち寄る。緊張のあまりぼうっとする頭でボタンを押したからか、はたまた自販機会社の人のミスなのか、いちご牛乳になるはずだったそれには渋い文字で緑茶と書いてあった。
「お茶かー……マイ水筒に入ってるのもお茶だよ……」
「よ、よお」
「はいいいい!」
突然のことにびっくりするあまり、大きな声を出してしまった。声を掛けたほうもびっくりしたようで、少し申し訳なく思う。ゆっくりと顔を上げて視線を合わせようとすると、そこには思っていた通り赤澤くんが立っていた。けれどその赤澤くんの視線は、私の緑茶に向けられている。
「あ、俺も飲みもん買わなきゃ」
「……カレーじゃなくてお茶でよければこれどうぞ!」
「なんでカレー?」
しまった、話題に困った時の切り札出すとこ間違えた!慌てるあまりカレーと口走ったことを後悔しながら、緑茶を差し出す。なんでカレーって、そんなの当たり前じゃないですか。カレーがお好きなんでしょう?知ってます知ってます、カレー好きに悪い奴はいない説っていうのがあって、カレーは飲み物……じゃないな、それは緑茶か。こうして必死に話題を作ろうと考えて、はっとする。そもそもなんでこんなことになったんだろう。
「赤澤くんはなんで私のこと、その、お昼に誘ったのかな?」
「あ?」
「ひいぃ!申し訳ない!」
「……悪ぃ、怖がらせるつもりはなかったんだが」
えーと、と歯切れの悪い返事が返ってくる。ふたりとも依然として立ったままだったので、気持ちを落ち着かせるためにベンチへ座ろうと声をかけた。
「去年、委員会一緒だっただろ?」
綺麗さっぱり忘れていたけど、そういえば一緒だった。なんとなく怖そうな人だなと思って、彼の視界に極力入らないように行動していたっけ。
「それで、えーと、か、可愛いなと思ってて……」
わーわー、聞くんじゃなかった!というか私、委員会で何か可愛らしいことしたっけ。思い返してみると、配布するプリントをホチキスで止めたはいいものの全部同じページだったり、司会進行を任されたけどグダグダで結局後輩が助けてくれたり……駄目だロクなことしてない。むしろ可愛いところひとつもないよ。
「あの、私、口も態度も悪いし可愛いところなんてひとつも……」
ちらりと隣に座る赤澤くんを見ると、ごほん、とひとつ咳払いをした。
「知ってる」
さっき可愛いっていったじゃん!という言葉を飲み込めた私ってば大人だなー。
「俺、テニス部の部長なんだけどさ」
「はい」
「みーんな手のかかる、クセのある奴ばっかなんだよ」
「ああー……」
あっちゃんはああいう奴だし、友達じゃないけど観月くんもなかなか気難しい人だと噂で聞く。きっと他のメンバーも曲者揃いなのだろう、これには同意するほかなかった。
「でも、なーんか可愛いんだよな」
「……え?」
可愛い?確かに手のかかる子ほど可愛いっていうね。そう、そして私も可愛い、と。ははぁ、なんとなく読めてきたぞ。
「俺、みょうじのことほっとけねーんだよ」
「うん、それ思いっきり保護者目線だよ!」
「まあ、それだけじゃなくて他にもいろいろあってだな……その……」
今日会ったときから思っていたけれど、ずっともじもじしているのがなんとなく意外で、私が勝手に思い描いていた赤澤くん像とは全く違う。
「好き、なんだけど」
だって赤澤くんは長髪で、肌が日に焼けて黒くて、筋肉モリモリでやばくて、絶対にチャラい人なんだと思ってた。ずっとずっと、怖い人なんだと思ってた。でも今日少し話しただけで、その印象はふっとんでしまった。
「あー、ごめん今のなし!今は友達ってことでいい」
「……うん、わかった」
「でも俺、頑張るわ」
うん、とは言わないかわりに急いで口のなかに放り込んだおかずは、ごくりと喉を鳴らしながら胃のなかへ落ちていった。