俺より一つ上のミョウジ先輩はどこか抜けてる癖に先輩風を吹かせてくる面倒くさい人だ。
自分から用事があると言って話しかけてきた癖にその用事が何であるかを忘れるし、一緒に出かければ目を離した隙に迷子になる。それだけならまだいいが、こっちが探して見つけたのにも関わらずに「もう恵くん!どこ行ってたの!」と、俺を迷子扱いしてくるのだからタチが悪い。
いっそのこと首輪を付けてリードを引いた方がいい気もするが、一応は二級術師として活躍する先輩だ。術師としては尊敬できるところは辛うじてあるし、ミョウジ先輩はリアルに猫っぽいところがあるから首輪にリードは生々しい。
ミョウジ先輩は顔の作りが小さく、少し吊り上がり気味の瞳は大きくて丸っこい。性格は自由気ままで身勝手なところがある。猫耳でも付ければ、ほぼ猫だ。招き猫のように両手を丸め、「にゃぁー」と鳴く姿が容易に想像できる。
「伏黒、何ほんのり笑ってるのよ。きっしょ」
新宿サザランテラスのとあるカフェにて。アイスコーヒーを片手にスマホを弄ってると、向かいの席に座る釘崎が引いたように顔を顰める。
笑ってるつもりはなかった為に反射のように「あ?」と聞き返すが、釘崎は「『あ?』じゃねぇわよ。口の端が緩んでるって言ってんのよ」と、決めつけてくる。
「別に笑ってねぇよ」
「笑ってるか俺は見てなかったけど、伏黒のスマホ画面は見てたぜ?なんか『新宿ペットショップ』で検索してた」
俺の隣に座る虎杖が、俺のスマホを指差しながら釘崎にチクる。
「何アンタペットでも飼うの?既にワンワンいるのに欲張りねー」
「式神はペットじゃねぇし、その呼び方はやめろ」
「で、マジにペット飼うの?」
虎杖が隣から身を乗り出して聞いてくる。
釘崎も興味があんのか「どうなの?」と乗ってきた。
何故こいつらは俺がペットを飼うのかに興味を持つのだろうか。
「飼わねーよ。ただペット用品が売ってるとこ新宿にあんのか調べていただけだ」
「そりゃ、あるだろ」
「そりゃ、あるわよ」
「まぁ、百貨店があるならありそうだな」
事実、検索結果にそう出てきた。
だからといって、本当にミョウジ先輩用の首輪とリードを買うわけではないが。ただ興味本位で調べただけだった。
「そういえばさー、真希先輩がさ──」
釘崎はアイスカフェラテの入った容器を傾け、ストローで中をかき混ぜながら話し出す。
もう俺への興味は失せたようだ。
どこか安堵した気分になり、スマホの画面をロックしてテーブルにおき、ボーッと店のガラス窓の外を眺めていた。
サザランテラスはこうして落ち着けるからいい。新宿駅の東や西なんかはごちゃごちゃしていて人口密度が高く、息苦しい。一方こっちは土地が広く使われていて歩道が広く、通りすがりに人と肩がぶつかることもない。──まぁ、店内は町家のような間取りだが。
硝子窓の外をせかせかと通り過ぎるのはスーツやビジネスライクな身綺麗な格好をしたお一人様が多く、時折カップルが仲睦まじく肩を寄せ合いながらノロノロと歩いている。
俺もミョウジ先輩とこういうところを一緒に散歩するのもいいかもしれない──
「いやいやいやいや……」
何故かガラス窓の向こうのカップルのように、突如自分がミョウジ先輩と歩いているところの映像が脳内に流れ込んできて戸惑った。
「なに伏黒?どうしたの?なんか今日きしょいわよ……」
「伏黒、疲れてんのかー?お、あれナマエ先輩じゃね?」
「あ、ホントね……って、あの隣の男誰!?」
虎杖と釘崎が身を乗り出して窓の外を注視する。
二人の言う通り窓の外にはミョウジ先輩がいて、その隣には肩くらいまである長い金髪をオールバックにした知らない男がいた。
男はミョウジ先輩の腰に腕を回し、顔を近くに寄せて話している。
それを目にした瞬間、カッと頭に血が上り、後頭部がズキズキと痛み出す。
全身を負のエネルギーが循環し、感じたことのないタイプの苛立ちが募っていく。──なんなんだ、これは。
「何あれ?先輩ナンパされて困ってる感じじゃない?」
「行ってくる」
ミョウジ先輩を助ける為に席を立つと、「あ、じゃあナマエ先輩のことよろしくー」と釘崎が軽いノリで言う。
「先輩大丈夫かなぁ、なんか腰撫でられてね?」
「うっわ。ホントだ。やっぱ、私がいってあの男ぶん殴ってやるわ」
「オマエらが来るとややこしくなるからそこで待ってろ」
虎杖と釘崎にそう言いつけて、店内を出た。
わざわざ柵や手すりに沿って階段を降りる手間を省く為に呪力で柵を飛び越えて地面へ着地し、ミョウジ先輩の元へと急ぐ。
「あ、恵くん……!」
ミョウジ先輩は俺を見るなり、驚いたように元々丸っこい瞳を更に丸くする。
一方ミョウジ先輩の腰を抱く男は居心地の悪そうにミョウジ先輩から手を離すが、近くに留まり、こっちの様子を窺っている。
あわよくば連絡先だけでも聞こうという魂胆だろうがそうはさせない。
「俺の知り合いに何か用ですか?」
「あ、えっと、この人が勝手に付いてきただけで、私が別に迷ってたわけじゃないよ!野薔薇ちゃんに送ってもらった地図があったから余裕だったし!本当だよ!」
俺が聞いているのは男の方だが、ミョウジ先輩はいつものように屁理屈をこねて自分の失態を隠そうとする。
「は?いや、俺が道教えてあげてたんだけど……?」
「そんなことはどうでもいいんです。この女性に用があるんですか?何もないならさっさと離れてください」
「……チッ」
男は舌打ちすると、踵を返して逃げるようにその場を去って行った。
俺に言われたくらいで諦めるなら最初からミョウジ先輩に絡むなよと思うが、非術師相手に殴り合いになるのは避けたかったからあっさり手を引いてくれたのはよかった。
とはいえ、これでこの問題は解決とはいかない。
先程の男を見た時から募っていた怒りはまだ収まってはいないし、ミョウジ先輩に自衛させる為にも色々言わなくては気が済まない。
「で、なんであんな男と一緒にいたんですか?」
「だから、あの人が勝手についてきたの!」
「どうせスマホ見ながらうろうろしていたんでしょうが。迷っている女性に声をかける男は多いので、話しかけられてもこれ幸いと道を聞いては駄目ですよ。特に先輩は方向音痴ですから変なところに連れ込まれでもしたら危ないです」
「私方向音痴じゃないし、変なところに連れ込まれても強いから平気だよ!」
「先輩の強さは知っています。でも、油断は禁物ですよ。相手が非術師とは限りませんし、仮に非術師だろうと不意打ちでもされたら……」
「もー!恵くんは私の親でも先生でもないんだから怒らないで!私の方が先輩で、私の方が強くて、私の方が方向感覚いいの!」
「ミョウジ先輩が先輩であること以外違います」
「違くない!」
「……これ以上言っても埒があかないと思うのでもう言いませんが……そもそも、どうしてここにいるんですか?」
「野薔薇ちゃんに誘われてだよ。これからカフェで季節のドリンク飲んだら、アプリ会員限定の化粧品のサンプル貰いに行くんだ」
そういえば、さっきミョウジ先輩が釘崎から地図を送ってもらったと言っていたのを思い出した。
釘崎のやつも、ミョウジ先輩が方向音痴なのを知っているはずだが、集合場所が迷子になりにくいサザンテラスの方だから油断していたのだろう。
釘崎はミョウジ先輩の方向感覚の狂いっぷりを過少評価しているな。
「次から釘崎に地図を送ってこられても、駅まで迎えに来るように頼んでください」
「もう言わないって言ったのにまだ言うの?私迷子になってないし、ならないもん」
ミョウジ先輩は拗ねたように頬を膨らませる。
これが歳上のする態度だろうか。ある意味五条先生よりタチが悪い。いや、五条先生と比べたらなんだって比較対象の方がマシになるか。
「俺はミョウジ先輩を心配して言ってるんですよ。目を離したらすぐいなくなるし、今日なんかは変な男に捕まるし、大体あんなに触られてたら少しは抵抗しようとは思わないんですか?仮にも術師でしょう」
思い出すだけで、また頭に血が上ってくるし、胸の辺りがモヤモヤする。
俺ですら触れたことのないミョウジ先輩の体にああもベタベタと触れるとは──いや、そこは関係ない。俺が怒っているのは、ミョウジ先輩に危機感がないことだ。
「仮にも?私は超超特別一級術師ほぼ内定の天才だよ!だから、保護対象の非術師に手は出さないの」
「先輩が存在しない超超特別一級術師ほぼ内定の天才ということは認めますから、自衛はちゃんとしてください」
「自衛してるって。もう、本当になんでそんなにうるさいの?恵くん、私の親でも先生でもないのに」
「だから、ミョウジ先輩が心配だからです」
「ふーん?なんで心配なの?」
「なんでって言われても……」
確かに「なんで?」と聞かれると、何故なんだろうか。何故ミョウジ先輩のことがこんなに心配になるんだろう。これが虎杖や釘崎ならここまで心配はしないはずだ。
「──心配だからじゃないですか?」
「トートロジーって知ってる?」
「急に知能上がるのやめてください」
「じゃあ、なんで心配なのかちゃんと教えてよ!」
「……よくわかんないですけど、見てて危なっかしいというか……ミョウジ先輩が傷つくのだけは嫌というか……」
「私は後輩くんに心配されるような情けない先輩って言いたいわけ?」
「違います。先輩は情けないんじゃなくて単純に危険意識が薄いんですよ。自覚してください」
「……恵くんなんかフンだ!」
ミョウジ先輩はプイっと顔を背けて、来た道を戻っていく。
もう俺と話し合う気がないらしい。
「ちなみにカフェはこっちが入口です」
やっぱり、ミョウジ先輩はカフェの入口を勘違いしていたようで、ほんのりと頬を赤く染め、またこっちに戻ってくる。
こういう時のミョウジ先輩は本当に可愛いと思う。──ああ、だからだろうか。俺はいつもミョウジ先輩のことばかり目で追ってしまうところがある気がする。
「フンだ!恵くんたちにドリンク奢ってあげようと思ってたけど、やーめた!」
と、俺をチラリと見てまた顔をプイと背ける。
まるで子供じみた態度には辟易する。
「俺たちもう自分で買ってるんでそういうのいいです」
「もー!恵くんって先輩を立てること知らないんだから!」
これでも先輩を立てている方だと思うが、常に先輩風を吹かせたがるミョウジ先輩からしたらそうは見えないのだろう。
だがこっちからしてみれば、ミョウジ先輩こそ俺を立ててくれていないと思う。
俺はミョウジ先輩より世間を知っていると思うし、ミョウジ先輩を守る力だってある。もっと頼って欲しい。わからない時にはわからないって素直に聞いて欲しい。
「先輩だって、俺を立てることしないじゃないですか。そんなに俺は頼りないですか?」
「別にそんなことないよ。恵くん、しっかりしてるし」
「じゃあ、俺を頼ってください」
「でも、私の方が先輩……」
「俺は後輩とか先輩とかじゃなくて、一人の人間として先輩に頼られたいんです」
「……もしかして、口説いてる?」
「は……?」
思わぬ切り返しであった為に、ミョウジ先輩の言う"口説く"の意味がわからなかった。
「あ、わ、私の勘違いか。じゃあ、いいや!なんでもない!」
急に胸の前で手を振って否定する先輩の焦りようが酷く、その様子から漸く"口説く"の意味がわかり、瞬間、胸のモヤモヤの正体が何であるか閃いた。
「待ってください!」
背を向けて先へ行ってしまおうとするミョウジ先輩を呼び止めた。
「なに?」
「たぶん、口説いてます……」
「……そんな中途半端な言い方して私に投げないでよ」
そうは言いながらも、ミョウジ先輩は酒でも飲んだみたいに顔を赤くさせ、その所為で俺の方まで意識して顔が熱くなってきた。
俺が今までミョウジ先輩ばかりに気を取られていたり、その辺を歩くカップルを見てミョウジ先輩と並んで歩くところを想像していたりしたのは、恐らくミョウジ先輩のことが好きだからだろう。
「俺たった今気が付いたばかりで……俺、たぶん先輩のこと好きです」
「たぶんってなに?」
「じゃあ、好きです」
「じゃあってなに?」
ここまで問い詰められると答えにくいものがあるが、流れ的に誤魔化せる雰囲気ではない。
照れるし恥ずかしいしで、あんまりハッキリとは言いたくないが、簡潔に「好きです」と伝えた。
「……そ」
「そって、返事はしてくれないんですか?ここまで俺に伝えさせておいてそれはズルいですよ」
「だって、こういうのどうしたらいいかわからないし……」
「じゃあ、俺に聞いてください」
「……どうしたらいいの?」
「俺のことが好きなら、ずっと俺と一緒にいてください。好きじゃないなら、今まで通りに接してください」
「……じゃあ、恵くんとずっと一緒にいる」
「先輩、俺のこと好きだったんですか?」
「だって、好きか好きじゃないかって聞かれたら、好きだし……」
「……これ、誰に告白されてもオッケーだったパターンですか?」
正直かなりへこむ回答だ。
確かにミョウジ先輩から好意を寄せられているとか感じことはないが、だからといって「どちらかというと好き」みたいな返事は酷い。
「それは違うよ!高専の中で恵くんが一番好きだし……一番かっこいいと思うし……一番一緒にいて楽しいし……一番ガミガミうるさいけど……私も好きだよ」
ミョウジ先輩はごにょごにょ口の中で喋るように色々並び立てた後、好意の言葉を最後に付け加え、はにかんだような笑顔を俺に向けてくれた。
面と向かって好意を伝えられたのが照れ臭く、目線を地面に落とした。
「あの面子の中で一番って言われてもそこまで嬉しくないんですけど……俺にそれなりの好意があるならまぁいいでしょう……ってミョウジ先輩?」
また目を離した隙に先輩がいなくなっていた。
目線を上げると、ミョウジ先輩はカフェを通り越した先の方をきょろきょろしながら歩いている。
人との会話の途中で消える上に目の前にある目的地に気がつかない不注意さ──手がかかることも含めてミョウジ先輩のことが好きだが、真剣に首輪とリードの購入を検討しようと思った。
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