ミョウジ家は加茂家の傍系であり、呪術界における地位は低くとも由緒正しい家柄である。ミョウジ家当主の一人娘であるナマエが三歳の頃には二つ歳上の加茂憲紀との縁談が持ち上がり、ミョウジ家を取り巻く勢力が先を見越してそれを後押しし、やがて正式に婚約が結ばれた。その一年後に憲紀が加茂家の嫡男として迎え入れられた為にミョウジ家に対抗する勢力が婚約の解消の話を出したが、ミョウジ家を支援する者たちがそれを許さなかった。ただ憲紀が加茂家当主になった際には婚約が破棄される可能性は十分にありえる。何故なら憲紀がナマエを嫌っているという噂が実しやかに囁かれているからだ。
その噂が本当ならば、許嫁という縛りだけがナマエと憲紀を繋いでいることになる。その繋がりが断ち切られないように必死にしがみつくしかない。

幼い頃から自分に優しく接してくれていた憲紀を心より愛しているナマエはそう考え、少しでも憲紀に気に入られようと彼を追って京都の呪術高等専門学校へと入学した。呪術師としてのナマエはまだ四級程度の実力ではあるが伸び代はあり、術師としての訓練を受け、憲紀が寮にいる時は必ず彼の好きなコーヒーを淹れて彼の部屋へ伺うことを日課としていた。

今日もいつものように漆塗りの角盆にコーヒーと、糖分補給用に買った飴玉を乗せ、憲紀の部屋の前にいた。

「憲紀さま、コーヒーを持って参りました」

ナマエは扉越しにそっと声を掛けた。

「ああ……」

部屋の中からは憲紀の、感情の感じられない低い声が響く。

ナマエは扉一枚越しに聞こえる憲紀の声に彼の存在を感じとり、それだけで胸の底から湧き上がる喜悦に身を震わせた。

「いつものようにお部屋の外の棚の上へ置かさせていただきます。冷めぬうちにお召し上がりくださいませ」

「さがっていい」

いつも通りのあしらう様な冷たい声に、ナマエは胸が締め付けられるようだった。

静かに憲紀の部屋の外に取り付けた簡易棚の上にお盆を置き、その場を後にした。

ナマエはある時から憲紀から嫌われていると感じていた。噂を聞かずとも、本人の態度からなんとなくそう感じ取れた上に理由も簡単に推測できた。ナマエの母親が憲紀の母親に嫌がらせをしていたことがあったらしいからだ。

それ故ナマエはいつか憲紀が加茂家当主になった時、婚姻の話は無効にされると覚悟している。憲紀が次代当主としての振る舞いを弁えていようと、自分との婚姻に責任を持つことはないだろうという考えだ。

しかし、ナマエにはどうしても憲紀を諦められない理由があった。それはナマエが幼少より憲紀のことを慕っているからだ。憲紀を想う気持ちが愛だと気がついたのはここ数年の話であるが、彼への気持ちが薄れることは一瞬たりともなかった。故に許嫁という縛りに縋って、憲紀がいつか自分を好いてくれるように努力している。それでわざわざ高専まで憲紀を追いかけてきた。本当は許嫁として必要なことを学び、丈夫な子供を産むために健やかに暮らすべきである。一歩間違えば子を産む機能を失うどころか命すら落としかねない場所へ来るべきではない。それをわかっていながらナマエがここにいるのは、やはり憲紀を心から愛しているからだ。



 ◇



数時間後。ナマエは、憲紀が盆に手を付けたか確認しに行くと、案の定簡易棚の上の盆はそのままの状態であった。

「お下げしますね……」

ナマエは沈んだ気持ちを押し込めて、なんとか感情を出さないように告げ、盆を手に取り食堂へ向かった。

過去一度も憲紀が盆に手を付けることはなかった為に、「いつか婚約解消される」ではなく、「いつ婚約解消されてもおかしくはない」とまで考えるようになった。

「またフラれたのカ?」

「あっ……メカ丸さん……」

食堂へと繋がる廊下の途中で現れたのは、ナマエより一つ学年が上の究極メカ丸だった。

メカ丸は機械仕掛けで出来た体から金属音を軋ませ、ナマエの顔と手に持つ盆を交互に見遣る。

「あはは……おっしゃる通りでまたフラれちゃいました……勿体ないのでいつも自分で飲んで飴を舐めます。メカ丸さんもご一緒いかがですか?」

「それはいいナ。飴は舐めないが気分転換に話すのも悪くなイ」

「ふふ。では、食堂へ参りましょう」

食堂へ着くと、メカ丸と向き合って座るナマエはすっかり冷めきったコーヒーを口につける。
シアトルからの空輸の豆をミルで挽いて淹れているだけあって、冷めても美味しく飲め、特濃ミルク味の飴は苦味の強いコーヒーによく合う。

「メカ丸さんはどうしたら憲紀さまの気を惹けると思いますか?」

黙々と飴玉を舐めきった後に、ナマエは密かな疑問を向かいに座るメカ丸に投げかけた。

「俺からすると十分気を惹けてはいると思うガ……それに加茂のことだから何か意図してそうダ……まァ、これだけ献身的なオマエを無視しているのも事実だナ。どうダ?少しそっぽを向いてみればオマエが如何に大切な存在であるかに気づくのではないカ?」

「……メカ丸さんはお詳しいのですね。モテそうです」

幼少から決まった相手がいて、およそ恋愛経験といえるものがないナマエからしたら、メカ丸の言葉には説得力があった。その為に出た素直な感想に、メカ丸は「ハ!?」と高音の機械音を短く響かせた。

「──こんな体の俺がモテるわけがないだろウ!」

「それは関係ありません。メカ丸さんはお優しい方です。メカ丸さんを好く女性は幾らでもいらっしゃると思います」

「……本気で言ってるのか?」

「本気です」

「……フン。俺の本体を見てもそう言えるかナ」

「問題は目に映るものではありません。大事なものはいつだって目には見えないと、確か高田ちゃんが仰ってましたよ」

「それはサン=テグジュペリだロ!?」

ナマエのうろ覚えの記憶にすかさずメカ丸から指摘が入る。

「そうでしたっけ?」

「東堂に洗脳されてるのカ?」

「かもですね。ふふ……あははは」

「フンッ……」

ナマエはメカ丸と顔を見合わせると、思わず吹き出して笑ってしまった。
メカ丸の間といい、指摘の言葉選びといい、全てが絶妙で面白おかしくなってしまったのだった。

暫くの間ツボに入ったのか、それとも未だに澱となって心に残っている寂しさを払拭する為なのか、ナマエはメカ丸が心配する程に笑い続けた。






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