真夏の夜。とある駅の待合室に京都の呪術高専の生徒八人と教師が閉じ込められていた。

生徒たちは歌姫に連れられて府外まで慰安旅行に行く予定だったのだが、移動中に激しい雷雨に見舞われ、列車が復旧するまで待合室に避難することにしたのだった。

幸いそこは『汽車待ちの湯』という温泉があり、他に客もいなかった。
全身雨に濡れてしまったナマエは二、三年生の女性の先輩たちと温泉に入ることにした。

ナマエは脱衣所で濡れた制服を脱ぐと、中に着ていた下着まで濡れていることに気が付いた。

「下着や靴下もびしょびしょです……」

「それね。私は替えの分余分に持ってきたからいいけど」

隣で真依が、脱いだ制服を綺麗に折りたたみながら言う。

「わたしは持ってきていないです……」

「コンビニで買えるんじゃない?旅館の近くなら売ってそうだし、売ってなくても今日持ってきたものを穿いて明日そのままでもよくない?」

西宮が首に付けたチョーカーを取りながら提案するが、ナマエはコンビニの下着は気が進まず、とりあえずは持ってきた替えの下着で済ませようと考えた。

脱衣所から浴場へ入ると、中はこじんまりとしていて、浴槽が一つと洗い場が四つしかない。

「高専の大浴場の方が広いね」

西宮がかけ湯の為に、桶にお湯を溜めつつ辺りを見渡す。その隣で真依も「そうね。まぁ雨水流せるだけマシよ」と、シャワーで頭から雨水の汚れを流していた。

真依たちとは反対の洗い場でナマエは持参したボディネットでミニボトルのボディシャンプーを黙々と泡立てていて、その隣で三輪はボディシャンプーを慎重に一滴ずつ手の平に垂らしていた。

そんな折に隣の浴場から男性の低い声が響いてきた。

「おい、東堂!ちゃんと体を洗ってから入れ!」

「ちゃんと洗ったじゃねーか」

「それで洗ったうちにはいるか!」

「うるせぇな。俺は上がった後に足の指の先まで一本一本丁寧に洗うからいいんだよ」

「どういう理屈だ!」

憲紀と東堂の声だった。
ナマエは憲紀が隣の浴場にいるとわかり、胸を高鳴らせて耳をそば立てた。

「声聞こえてきちゃうんですね、ここ」

三輪が声を潜めて後ろを振り返る。

「みたいね。最悪だわ」

「テンション下がるねー。一緒にいる新田君かわいそー」

「わたしは憲紀さまの声を聞きながら温泉に入れるのは幸せです」

「そういうネタはもういいから」

憲紀関連の話を真依に冷たく流されるのはいつものことなので、ナマエは気にせず、隣の浴場から憲紀の声が聞こえないかと期待しながら体を洗い続けた。

汚れを洗い流して温かい湯に浸かると、移動で溜まった疲れが癒されるようであった。
ナマエは肩まで湯に沈み、男湯の方を見つめた。憲紀もこちらを意識しながら湯に浸かっているのだろうか、と男湯の方が気になって仕方がない。

「自由に会話したいけど隣に男子いると思うと話せないね」

西宮は男湯の方へちらと視線をやる。

「私は別に気にしないけど。むしろあっちの声が聞こえてくるのが気色悪い」

「わたしは聞きたいです」

心底嫌そうな顔をする真依に対し、ナマエは顔を輝かせる。

「アナタ、本当に東堂先輩化してるわね……」

「まぁ、声を落とせばいいんじゃないですか?それか興味を持たれない会話をするとか?」

呆れる真依に、真面目な三輪は対処法を提案してみるが、「わたしは興味を持たれたいです」とナマエが話をややこしくする。

「ナマエちゃん、いつもよりなんかおかしくない?」

「確かに今日は気分が高揚しております。皆さんと初めての旅行でドキドキしています」

「そういえば、新と行った合宿で散々だったらしいわね。担任教師はまだ謹慎中?」

「来週謹慎が解けるそうですよ。色々ありましたが、名古屋合宿は今では良い思い出です。東京の方とも知り合えましたし」

「あ、なんかニット帽に全身スウェットの人だっけ?かっこよかった?東京にはデンマークの長身クウォーターイケメンがいるんでしょ?その人だった?」

西宮が食い気味に聞いてくる。「長身イコール西宮好みの筋肉質体型」とはならないが、興味はあるらしい。

「わたしが会った方はその方ではないと思います。なんて言いましょうか、東京というイメージにぴったりな方でしたね」

「ふーん。で、かっこよかったの?」

「後ろ髪の長さが憲紀さまに近くて良いと思いました」

「あ、うん……」

「ナマエは憲紀芸人でもやってるの?」

「芸人……?」

「多分真依が言った意味は、ミョウジさんは加茂先輩をテーマにトークしてるってことです」

真依の言葉の意味がわからず首を傾げるナマエへ、すかさず三輪が解説をいれる。

「あ、たまに新くんがそんなことを仰っている気がします。真依さんも新くんみたいに面白い表現をなさるのですね」

「アナタと話すと調子狂うわ」

真依の平常運転である嫌味も相変わらずナマエには通じず、真依はため息をつく。

それからナマエは先輩女性といつも通りに他愛無い話をして、会話もそこそこに温泉から上がると、脱衣所で替えの下着がないことに気がついて膝から崩れ落ちるほどのショックを受けた。

「どうしましょう……!替えの下着を忘れてしまいました……!」

ナマエは脱衣所へ持ってきたボストンバッグの中身を何度も確認するが、やはりそこには用意したはずの下着がなかった。

「私の下着は貸さないわよ?」

「ナマエちゃんがノーパンとか加茂君が知ったら卒倒するよ」

「ノーパンはまずいですね……明日出かける用の私服もスカートですか?」

「はい……ですが、丈が膝下なので多分大丈夫です。皆さん、明日用の私服に着替えますか?」

「撥水性がいいとはいえ、制服は濡れてて気持ち悪いから私は私服にするわ」

「私もー」

「私も私服にしておきます」

「では、わたしもそうします」

ナマエは仕方なくブラジャーだけは付けて、濡れた下着は穿かずにワンピースを着た。下が何やら風通りがよくてスースーするが、下着が乾くまでの辛抱である。

「ノーパンナマエちゃん、スカート捲れないようにね」

「はい。できれば、その呼び方は……」

「大丈夫。流石に加茂君の前では言わないから」

「ノーパンナマエ、ベビーパウダー貸して。湿気すごいから髪に使いたいのよ」

「お二人とも意地悪です……どうぞ」

西宮も真依も揶揄っているだけとわかってはいる為、ナマエは頰を膨らませつつも化粧ポーチから取り出した真依にボディ用ベビーパウダーを手渡し、自分はヘアメイクを直すことにした。

ナマエは身支度を整えると、スカートを押さえながら真依たちと待合室に戻った。

待合室は大きな長机が二つと長椅子が四つあり、今はその長机が一つにくっつけられ、四方に長椅子が並べてある状態だ。男子三人が既に私服に着替えて各々離れて椅子に腰掛けていて、変装をしているメカ丸は濡れてしまったマスクと帽子は取り、代わりにタオルを頭からすっぽりと被っていた。歌姫はタオルを肩に掛けたまま女生徒たちを呆れ顔で出迎えた。

「アンタたち遅いわよー。客室にも露天風呂あるのわかってるの?私はこれから入ってくるから、風邪引かないように髪はちゃんと乾かしなさいよ」

歌姫は呆れたように言う──と、その時窓の外が白く光るのとほぼ同時に激しい雷の音が近くで鳴り響き、待合室の照明が全て落ちた。

「えっ、なに停電?ちょっと皆動いちゃ駄目よ!」

「はーい。っていっても、スマホあるし」

既にスマホを手にしていた西宮がスマホのライト点灯機能で辺りを照らす。が、次の瞬間には電池切れになり消灯した。

「桃ったら移動中に動画観過ぎなのよ。私のスマホなら……なんであと十パーしかないわけ?」

どうやら真依のスマホも電池がないらしい。ナマエも自分のスマホを手探りで鞄から取り出したが、普段スマホをあまり使わない為に昨日充電したきりで、残りの電池量が二十パーセントを切っていた。

「充電器は勿論使えないし、ポータブル充電器持ってる人いるー?」

「俺持ってますよ」

そう声を上げたのは新で、スマホのライト機能で辺りを照らす。

「じゃあ、私は駅員さんに状況を聞いてくるから、アンタたちは外に出ないで大人しくしていてね。喧嘩は駄目よ」

歌姫はそういうと自分のスマホで辺りを照らしながら駅長室へ行ってしまった。
残った生徒たちは各々動き、ナマエはスマホの光を頼りに先程憲紀がいた方へ向かうと、憲紀もスマホを片手にナマエを探していたようでなんとか合流することができた。

その後、駅長室へ行った歌姫は駅員と補助電源のある配電施設へ行くといい外へ出て行ってしまい、待合室に残された生徒たちは新の音頭で怪談話をして時間を潰すことにした。
四つある長椅子に二人ずつ腰かけ、ナマエは憲紀の隣に座った。

「呪術師の俺たちがただの怪談話だと盛り上がらないので意味がわかると怖い話でいきたいと思います」

暗闇の中、新がいつもより声のトーンを抑えて話し始める。気分を盛り上げる為にスマホ禁止ルールにした為、時折窓のブラインドから漏れる雷の閃きによる光源を除けば部屋は真っ暗であり、それっぽい雰囲気に呑まれて怖くなったナマエはこっそりと憲紀に体を寄せた。

「でも仮装怨霊がいたらと思うと結構コワいけどね」

「確かにテケテケとかに追いかけられでもしたら恐ろしいですもんね」

「呪霊が人に近い程私も不快感が凄いわ」

西宮の言葉に三輪、真依の二人が同調して話の腰を折るが、まとめ役の得意な新は「まぁ、仮装怨霊の話もいいですが」と当たり障りのない言葉で一旦話を本筋に戻そうとする。

「今夜話すのは意味のわかると怖い話の中でも──」

「そもそも意味がわかると怖い話ってのを知らねぇよ」

漸く話が進むと思えば、今度は東堂に話を遮られる。

「そのままの意味です。一見普通の話に聞こえるんですけど、怖い意味が隠されてるってことです。例えば、『五人で隠れんぼをしたら、たった三分で五人全員が見つかってしまった』というストーリーを聞いてどう思います?」

「たった三分で五人も見つけてしまうなんて鬼役の方は相当足が速くて賢いです。鬼役が本当の鬼だったってことですか?あ、鬼役は実は特級呪霊だったとかですか?」

特級呪霊が鬼役だったら、と想像して怖くなったナマエはまたも憲紀の方へ距離を詰めつつ、新に聞く。

「ええっと、俺の意図とは違う回答ですけど、ある意味それも正解なような……?」

「三分ではなく、一時間程にすればよかっただろう。例題があまりよくない」

新の出した例題の意図を理解しているらしい憲紀が新に指摘を入れる。

「すんません……」

「一時間も鬼役の方が探し続けるなんて可哀想です……」

話しの流れから鬼役が人間であることを察したナマエは今度は違った方向へ想像を膨らませて同情気味になる。

「……三十分ならどうです?」

「三十分でしたらちょっと長いくらいですね。ですが、そしたら何が怖い話になるのですか?」

「ナマエちゃん、ウケる」

「新が全部ストーリー言って、ナマエが答える形式が一番面白そうね」

西宮と真依に茶化され、ナマエは自分だけが新の話した内容について理解できていないことに気がついた。

「もしかして、わかっていないのはわたしだけですか?」

「そんなことはないですよ。それにナマエさんの回答はなかなか面白いと思います」

「じゃあ、ナマエちゃんの大喜利を楽しむ会で」

「大喜利なら得意だ。新田よ、さっさとお題を出せ」

「話が妙な方向へいってないカ?」

「ですね……」

まとまりのないことで教師陣が頭を抱える京都校の生徒たちはその本領を発揮して当初の予定を狂わしていく。彼らに対して割と"まともである"と教師たちから思われているメカ丸と三輪は半ば呆れていた。

「憲紀さま、先程の隠れんぼのお話を教えてください」

ナマエは憲紀の腕にそっと触れ、顔を寄せて小声で聞く。

「参加人数は五人。内訳は見つける側が一人、隠れる側が四人。つまり見つかった総数は四人のはずだが、五人全員が見つかったということは一人増えているということだ」

「あ、人が増えている系統の怪談は聞いたことがあります。わたしだけ気がつかなかったなんて恥ずかしいです……」

「口語だとわかりづらいこともあるだろうから仕方ない。それに今のは例題が悪かった」

二人の時は勉学についてナマエに厳しい憲紀であるが、先程ナマエが大勢の前で的外れなことを言ってもナマエを庇い、こうしてフォローしてくれるのは、ナマエには頼もしく感じた。
益々憲紀へ好意を募らせるナマエは憲紀の方へまた一段と距離を詰めた。

「では、結構有名なやつから話しましょうか──」

横槍ばかりが入るその場をなんとか取りまとめた新が話し始める。

「皆さんは『赤い部屋』という話をご存知ですか?これは一人暮らしをし始めたばかりの人の話ですが──」

新の話すストーリーは短く、一分もしないうちに終わった。今度はナマエもストーリーに隠された意味がわかり、少し怖くなって憲紀の腕にくっつく程に体を寄せた。
なんとなく、いるはずもない何かの気配を背中に感じ、時折部屋を照らす雷の閃光や低く轟く音に不安になる。

「ナマエ、近いのだが……」

憲紀に嗜めるように言われ、ナマエはチクリと胸が痛む。暗がりでよく見えないといえど、人前だから体裁が悪いのだろうが、頼っている時に嫌がられるのは傷つくものだ。

「ごめんなさい……ですが、怖くて……」

「……」

長机の下、膝に置いていた手に憲紀の手が重なるのをナマエは感じた。温泉で温まったからだろうか、いつも以上に憲紀の手が温かく感じる。
ナマエは黙って憲紀の指に自らの指を絡ませ、恋人繋ぎをして握り返した。
いつもは他の仲間たちの前では互いの体に触れないようにしている為か、真っ暗の中といえど、皆の前で手を繋いでいるというだけでナマエは背徳感に胸を高鳴らせた。

ナマエと憲紀の間に漂う甘やかな雰囲気を他所に、新の話について他の生徒たちはやっぱり人間が一番怖いと言ったり、実は呪霊だったのではないかと冷静に分析したりと意外と盛り上がっていた。

憲紀との接触や、仲間の話し声が聞こえてくると不安が和らぎ、余裕がでてきたナマエは今なら憲紀と二人きりになるチャンスだと閃き、憲紀の耳に唇を寄せて「憲紀さま、こっそり抜け出しませんか?」とできる限り小さな声で囁いた。

「どうしてだ?」

憲紀もナマエの耳に唇を寄せ、囁き声で聞き返す。ナマエはそれを擽ったく感じるが、近くに仲間たちがいる手前、なんとか気持ちを抑えて冷静を装った。

「二人きりになりたいからです……だめですか?」

「……構わない」

ダメ元で誘ったのだが、憲紀は意外なことにすんなりと誘いを受けてくれた。
二人で息を潜め、音を立てぬようにその場を離れ、手探りで空いている部屋に入り込んだ。

部屋の扉を慎重に閉めて二人きりになると、ナマエは憲紀に抱きついた。いつもと違い、常に同じ空間にいたにも関わらず、仲間たちがいる手前触れ合うことができなかったので、ずっと我慢していたのだ。抱きしめる腕に力を込め、憲紀の体の感触や匂いを静かに感じていた。

そんな甘えたがりのナマエの背に、憲紀も片腕を回して背を撫で、手探りでナマエの顎を掴み、口づけた。

角度を何度も変えて啄むような憲紀の口づけは次第に深くなっていき、ナマエの息を奪っていく。
息が乱れるにつれて緩むナマエの唇の合わせ目は憲紀の舌で簡単にこじ開けられてしまう。するりとナマエの口内に忍び込んだ舌はナマエの歯列をなぞり、内頰を抉り、敏感な口蓋を這う。

「んっ……ふっ……」

「あまり声を出すと、外に聞こえてしまう」

憲紀は唇の接合を解くと、ナマエの耳に唇を押しつけて囁く。

殆ど何も見えない程に暗いと神経が研ぎ澄まされ、憲紀の声がいつもよりクリアにナマエの耳に滑り込み、脳に直接響いてくるように感じてしまう。ナマエはぞくぞくとした甘い痺れを背筋に走らせ、下腹を疼かせた。

ナマエが肩を震わせながら頷くと、再び憲紀に唇を求められ、それに喜んで応じた。憲紀の舌に自分のを絡め、舌先を擦り合わせ、濃密なキスを飽くことなく繰り返していく。

そっと憲紀の手がナマエのスカートの中に潜り込み、柔い腿を弄り始めると、ナマエは重要なことを失念していたことに気がつき、上げかけた悲鳴を口の中で噛み殺してスカートの中を弄る憲紀の手を止めたが、既にもう遅かった。
憲紀の手はじかにナマエの秘処に触れていて、憲紀の指先が動揺したようにぴくり、と跳ねた。

「まさか、下着を穿いていないのか……?」

憲紀はナマエのスカートから手を引き抜き、狼狽えたように聞く。

「こ、これは違うのです……!替えの下着を忘れてしまって……雨に濡れた下着しかなくて……!」

「どうせいつも濡れているだろう。今すぐその濡れたものでもいいから穿いて欲しい。何も穿かないのは流石に許容できない。一体何を考えている?」

「いつも濡れてなどおりませんし、ちゃんと考えております……!」

「私が触る度に既に濡れているではないか」

「そんなことは……ありますけれど、憲紀さまを感じなければ濡れることはありません!」

「ならばこの慰安旅行中は常に濡れていることになる。それならその濡れた下着を穿いても変わらないだろう」

「一体どのような理屈ですか……!」

「どうして頑なに下着を穿きたがらない?」

「違うのです!穿ける下着がなくて……!」

気がつけば、互いに声を落とすことを忘れて言い合いをしていて、それに気がつかれたのか、部屋の扉が叩かれた。
憲紀が出ると、そこにはスマホのライト機能を使って辺りを照らす新がいた。

「お取り込み中すんません。罰ゲームで二人を探しに来ました……喧嘩してはったんですか?」

「悪いが、今重要な話をしているから出直してくれ」

「あ、はい……」

新は特に食い下がることもなく戻っていった。罰ゲームで探しに来たというからには、憲紀とナマエが二人していなくなったことは皆気がついているのだろう。
憲紀がそれに触れず、ナマエとの話を優先するあたり、ナマエが下着を穿いていないことを余程許せないらしい。

そう考えたナマエは憲紀の為に折れることにした。

「濡れた下着を穿くことにします」

「ナマエがわかってくれたようでよかったよ」

憲紀とのちょっとした言い合いはナマエが折れることで幕を閉じ、ナマエが憲紀と部屋の外に出たところでちょうど停電が復旧したらしく、蛍光灯に光が灯り、室内機が稼働し始める音がする。

ナマエも憲紀も何事もなかったかのようなすまし顔で一旦席に戻ったが、やはり二人していなくなっていたのは全員わかっていたようで周りからの視線が痛い程突き刺さる。

「加茂君、ナマエちゃんと抜け出してイチャイチャしてるのかと思えばお説教してたってガチ?ナマエちゃんが可哀想だよ」

どうやら西宮は新から、一方的にナマエが怒られていると聞いたらしい。実際に部屋の中で起こっていたことを正確に知られるよりはずっとマシだが、憲紀が責められるのは困ったものである。

「ナマエが悪いのだから仕方ない」

「ナマエちゃんが何をしたの?」

「西宮には関係ないだろう。首を突っ込むな」

「感じワルっ」

「あの、私ちょっとお化粧を直して参ります……!」

三年の二人が自分のことで険悪なムードになるのに居た堪れなくなったナマエは旅行用のボストンバッグを手に取り、逃げるように脱衣所に着替えにいった。

ナマエが濡れた下着を穿いて待合室に戻ると、憲紀と西宮はまだ喧嘩が続いていた。
ナマエは長机の近くで突っ立って、淡々と言い合いをする二人をどう宥めようか悩み、一番頼りになりそうなメカ丸と三輪へ視線を送るが、メカ丸には「オマエから言エ」とでもいうように、憲紀の方へ手を差し向ける仕草をされ、三輪には困ったような笑みを返された。

「大体私はナマエには優しくしているつもりだ」

「でも、ナマエちゃんが入学した当初は引く程厳しかったよ」

「確かに。自分の立場を利用して弱い女の子を虐めてる男って感じで不快だったわ」

困ったことに真依が西宮陣営に加勢するので、流石にまずいと思ったのか、「あのう」と、三輪が三人の仲を取り持とうと会話に割って入った。

「──最近は加茂先輩も優しくなったような気がしますし、実際お二人は仲がいいですよ。もうこの辺でやめておきません?」

「霞ちゃんは加茂君の味方するわけ?もー霞ちゃんが五条悟と撮った写真をL版印刷用に加工してあげるって約束反故にするよ?」

「えー!五条悟の話を持ち出すのはズルいですよ」

頼りにしていた三輪が五条悟で陥落しかけるのを受け、ナマエは三輪を頼るのは諦めることにして、今度は新へ視線を投げて助けを乞うが、新は頭を横に振る。

「この慰安旅行中にGワードは禁止って言ったでしょうがぁぁぁぁ!」

配電施設から走って戻ってきたらしい歌姫が待合室に入るなり叫び出した。普段はまともで頼りになる歌姫は学年関係なく生徒たちから慕われており、野球と五条悟のことになるとおかしくなるのが玉に瑕であるのだが、お陰でなんとか憲紀と西宮の喧嘩が収まった。

ナマエは下着を忘れたことに加え、雷雨に見舞われ、先輩たちは自分のことで喧嘩をし、好きな先生は五条悟のことで発狂したことを受け、果たしてこの慰安旅行は無事に終わることができるのか不安になった。



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