※if軸-前編だけ憲紀視点-



身を切るような冷たい風の吹きつける冬。憲紀はナマエと、東京校の一年生である釘崎とディズニーシーのとある店内にいた。

「ナマエにはこれが似合うんじゃない?」

「本当ですか?では野薔薇さんにはこちらの黒のものを付けて欲しいです」

ナマエが釘崎と仲睦まじくカチューシャを付け合っているのを、憲紀は少し離れたところで眺め、微笑ましく思っていた。

「憲紀さま、どうですか?似合いますか?」

毛先までくるんと巻かれた髪を揺らし、笑顔で振り返るナマエ。頭には白のレース地にサテン生地のリボンが主張の激しいカチューシャが付けられている。

今日の為に髪を巻き、いつもより華やかな化粧をし、上品なAラインのコートに清楚なワンピースを着たナマエ自体が憲紀にとってこの上なく可愛らしいのだが、清潔な白のカチューシャを頭に付け、煌めく瞳で憲紀を見上げる姿は腕に抱きたくなる程堪らなく可愛い。

「よく似合っているよ」

ただ憲紀はその想いを表に出せる程の表現力は持ち合わせていない為にいつものように柔和な笑みをナマエに向けて落ち着いた声で褒める。

「本当ですか?嬉しいです!野薔薇さんと色違いでお揃いです」

ナマエは釘崎の腕に抱きつき、彼女の明るい茶色の髪にくっ付く程に顔を寄せる。以前のナマエは釘崎とこれ程仲良くなかったはずであるのだが、これもディズニーという非日常的な場所がなせる技なのか。今日のナマエは憲紀よりも釘崎とくっ付いてばかりいた。

本来なら憲紀は今日をナマエと二人で過ごす予定であった。それが期限付きのパークチケットが懸賞で当たったという釘崎からナマエがチケットを一枚貰ったのをきっかけに、せっかくだから冬のイベント中のディズニーに来たのだ。ナマエが事前に釘崎に連絡していたこともあり釘崎も野郎二人を連れて行くから現地で合流しようと言い、今に至る。

ちなみに当該の野郎二人とは勿論虎杖と伏黒のことで彼らは釘崎に頼まれてアトラクションの優先券であるファストパスの取得のついでに軽食とドリンクを買いに行っている。

「ではその二つを買おうか」

そう言って憲紀は二人に向けて手を差し出す。

「え、これ買ってくれるの……んですか?ナマエの彼氏にたかっていいの?」

釘崎は驚いたように瞳を瞬かせ、確認を取るようにナマエの方を見る。
ナマエはにこにこと満面に笑顔を浮かべて釘崎へ頷く。

「ナマエにチケットをくれた礼だと思ってくれたらいい」

「なるほど。っていっても懸賞でペアチケットが当たっただけなんだけど、ここは素直に甘えさせてもらうわね。ごちになりまーす」

釘崎は雑な言葉遣いとともに軽いノリで頭を下げる。それでも彼女からはそれなりの敬いは感じ取れるし、彼女のハキハキとした喋りは印象が良い。そして何よりナマエと仲良くしてくれる友人だ。
彼女が遣う言葉が多少雑でも憲紀は目を瞑り、二人分のカチューシャを手にして会計を済ませた。

店の外で嬉しそうにカチューシャを付けて釘崎と並ぶナマエに頼まれて写真を何枚か撮っていると、虎杖と伏黒が何やら可愛らしいデザインのポップコーンバケットを首から吊るし、両手には食べ物やらドリンクやらを抱えて戻ってきた。虎杖の頭には虎のモチーフの被り物まで乗っていて情報過多である。

「アンタたちちゃんとファストパスは取ってきてくれたわけ?」

「勿論。あと二時間余裕あるから何個かアトラクション乗れるよ。はい、これチュロスとカフェラテ。ミョウジさんは何もいらないって言ってたけどココア買ってきたよ」

「お気遣いありがとうございます」

「加茂さんもコーヒーどうぞ」

どうやら虎杖はナマエは甘いものを控えているのを知らなかったらしいが、ナマエは笑顔で頷いて虎杖からココアを受け取り、憲紀は伏黒からコーヒーを受け取った。

「伏黒君、ありがとう。しかし、ナマエは──」

「憲紀さま、大丈夫です。今日だけは甘いものを好きなだけ摂取するつもりで参りました」

「え?何ミョウジさん甘いもの控えてた感じ?そういえば、初対面の時もそうだったような気がする」

「いえ。普段は摂らないだけで好きですよ。ココアありがとうございます」

「ナマエ、私のチュロス齧る?」

「いいのですか?チュロスというものを食べたことがないのでどんな味か気になります」

ナマエがそういうと、釘崎はナマエにシナモンの香り芳ばしいチュロスを差し向ける。

「ほら、あーん」

釘崎に言われ、ナマエははにかんだような笑みを浮かべて唇を縦に開く。ナマエが女友達に食べさせてもらうところなど憲紀は見たことがなく、新鮮な気持ちで眺めていると、ナマエは開いた口を閉じ、手のひらの内に折りたたんだ指で口元を隠して憲紀の方を向く。

「あんまり見ないでください……恥ずかしいです」

憲紀は普段のデートでナマエから「食べさせてください」や「飲ませてください」と何度か強請られてそれに応えた覚えがあり、今更何を恥ずかしがっているのかよくわからなかった。ともあれ、知り合いがいる手前指摘せずに黙って視線を逸らすことにしたのだが──

「虎杖くんと伏黒くんもです」

どうやら虎杖と伏黒も見ていたらしい。

「えっ!ごめん!無意識に見てた!」

「……悪い」

謝って何か見るものはないかと視線のやり場を探す二人。憲紀は待ち合わせ場所であった舞浜駅からずっと二人の様子を見てきたのだが、虎杖も伏黒もナマエを妙な目でみているような雰囲気は特にない。それでも虎杖にはナマエを誘拐した前歴があり、伏黒はナマエをよく気遣う素振りを見せる為にそれなりの警戒心は持たざるを得ない。

「……ナマエにそれやられたらその辺の男全員落ちるわよ。あいつらは知らないけど」

「"あいつら"に憲紀さまは入っておりますか?」

「待って。日本語の問題で伏黒がどうかによるわね」

「一体どういうことでしょうか?」

そんな釘崎とナマエのひそひそ話が聞こえてきた。
飽く迄も自分へしか興味を示さないナマエに憲紀は胸を擽られる思いであるが、特に感情を表にださず、伏黒に貰ったコーヒーに口をつけて、景観の良い街並みを眺めた。

今いるエリアは通称『ミディテレーニアンハーバー』。その名の通り、地中海をテーマに造られた街並みで、古き良きヨーロッパ風建築様式のカラフルな建物が立ち並ぶ。パリやロンドン、ヴェネツィアに行ってみたいとヨーロッパへの憧れが強いナマエはここの景色をいたく気に入った様子であった。今日遊ぶアトラクションの予定としてヴェネツィアを模した区画にあるゴンドラは絶対外せないだろう。
冬で一番暖かい正午頃の晴天の下、潮風を感じながらナマエと二人で乗るゴンドラはどんなに優雅で心地いのだろうか──恐らく、今日はナマエの騒がしい同級生たちと過ごすことになるだろうからあまり期待はできないのは残念である。

「このシナモンとお砂糖の甘味が堪らないです……ココアも温かくて美味しいです」

「もっと温かかったらいいのに。どこかにトースター落ちてないかしら?」

「落ちてるわけねぇだろ」

「鵺で火通せない?帯電するんでしょ?」

「仮に温まったとして釘崎はそれでいいのか?」

「憲紀さまの術式なら温めることができます」

「人の術式聞くのは気が咎めるけど、どうやって温めるの?」

「それはわたしの口からでは……」

術師にとって術式の開示は"縛り"になり、それが術式効果の強化に繋がる。故に術師にとって自分の術式の正体が広まることは好ましいことではない。ナマエは釘崎の「気が咎める」という言葉にはっとしたような表情を走らせ、口籠ったが、憲紀は特に気にしなかった。

「話しても構わないよ。伏黒君ならとうに知っているからね。接触が必要だから衛生面を考えると持ち手の部分くらいなら温められるよ」

「俺わかった!手が温かくなる術式だ!」

「人に指をさすな」

「手が温かくなる術式?冬場は人間カイロとして最高だけど」

閃いた!という顔で憲紀へ指をさす虎杖とそれを咎める伏黒。一方釘崎は「そんなわけないわよね」と真面目に悩んでいる様子で首を捻る。「呪術師に歳は関係ない」が持論の憲紀であるが、こうしてはしゃいだ様子を見せる彼らと一緒にいると彼らは今年の三月までは中学生だったのだな、と意識させられる。

「それは正確ではないが、間違いとは言えないね」

「加茂さん、こいつらアホなんで取り合わなくいいですよ」

「誰がアホよ?あー!それターキー?ズルいわよ」

釘崎が虎杖と伏黒の手にある赤い包み紙を覗き込む。実は先程からかなり強烈な匂いが香っていたのだが、冬場で嗅覚が鈍っていたのか、気がつくのが大分遅い。

「だってなんか甘いもん買ってこいって言ったの釘崎じゃん。しょっぱいのはポップコーンあるしいいだろ?」

虎杖が首から吊るしたポップコーンバケットの蓋をポンポンと叩く。

「ま、ターキーはまた小腹が空いた時でもいいわ。じゃあ、伏黒ナビよろしく。空いてるところから乗りましょ」

釘崎は伏黒にそう言うと、先程ナマエが一口食べていたチュロスに口をつける。どうやら温めなくていいらしい。

伏黒は釘崎に頼まれる前からスマホを構えて調べていて、「インディー・ジョーンズが割と空いているからあっちの船着場からロストリバーデルタに移動するか。パス取ったやつと近いし」などと言い、海の見える方向を指差す。シーの方は初めてだという伏黒が淀みなく地名を口にし、ルートを提案できるあたり、憲紀と同じく事前に地図や地名を頭に入れてきたようである。

そこから蒸気船の乗り場へ移動し、待つこと数十分。屋根の付いた船舶に搭乗し、憲紀はナマエと奥の後方の席に着く。ウッディライクなベンチには横並びで五人が全員座れ、全体としてはおよそ五十人が収容できる大きさだ。これで小型船に分類されるのだから船舶の規格は不思議である。

船が動き始め、船舶内で男性の声のアナウンスが流れると、真ん中の席で釘崎はスマホをナマエと憲紀へ向ける。

「ほら、彼氏とのツーショット撮ってあげる」

「ありがとうございます」

「じゃあ、撮るわよ。四十八掛ける五十八はー?」

「え、えーと……」

釘崎からの唐突な振りにナマエは指を折って計算する様子を見せる。一方憲紀は釘崎が片手で噴き出しそうに口元を押さえつつもスマホをこちらに向けている様子を見て、動画を撮っているのかと考えつつも頭の中で計算をした。

「…………二千七百八十四」

「憲紀さま凄いです!」

「ちょっと待って。怖いんだけど」

引いたように顔を青ざめさせる釘崎。しかしその手にあるスマホは相変わらず憲紀とナマエに向けたままである。

「動画を撮っているのか?」

「あ、バレた?」

「これ動画だったのですか?どうしましょう。油断しておりました」

「ナマエの戸惑う姿可愛かったから無問題よ。もう撮ってないから二人でご自由にイチャついてどうぞ。虎杖、ポップコーンよこせ」

釘崎はそういうと、スマホを下げて左隣りの虎杖に絡み始めた。

「イチャつくだなんて……」

寒さ故なのか、照れなのか。透き通るような肌を薄赤く染め、ナマエは憲紀を見る。口では「とんでもない」というような反応を見せつつも瞳には期待の色が見える。
知り合いの目の前で大胆なことはできないが、手を握るくらいはわけないことだ。憲紀はナマエの右手を手に取った。
瞬間、その冷たさに驚いた。元々ナマエの手は女性らしい冷たさがあったのだが、これは芯から冷えているような冷たさである。

「憲紀さまの手はいつも温かくて落ち着きます」

「ナマエの手は冷えすぎだ。風に当たるのはよくないだろう。着いたら屋内で休むか?」

「少し寒いだけですので大丈夫ですよ?」

「大丈夫ではないだろう。そっちの手も出してくれ。両方温める」

「ですが……」

「体裁よりナマエの身体の方が重要だ」

「憲紀さま……ありがとうございます」

憲紀はナマエが伸ばした左手を取り、両手の中に包む。そして加茂家相伝の術式の一つ、赤血操術『赤鱗躍動』で自身の体温を上昇させ、ナマエの手を温めていく。

「温かいです……」

「後で羽織りを買おうか?これでは夜はもたないだろう」

「そうですね。羽織りはケープのようなものがあれば安心です。ですが、こうして憲紀さまに温められるのも心地良いです」

「……別行動を取れば、ずっと抱きしめて温めることもできるが……彼らとは年に一度会えるかどうかも定かではないからね。ずっと手を繋いでいようか」

憲紀は本当のところはナマエと二人きりでいたいが、ナマエを友人と引き離すのは心苦しく思っていた。それにナマエが彼らと楽しそうに話している様子を見るのも悪くないし、暴走しそうな虎杖と釘崎の面倒見役として伏黒を一人にするのも可哀想な気がしていた。

「嬉しいです……なんだか早めに帰ってしまうのは勿体ない気がしてきました」

ナマエは残念そうに眉を下げる。今日の予定は二十時にはここを出て京都に戻る予定だ。翌日は特に予定がない為、緊急の任務さえ入らなければどこかで宿をとってもいいのだが、流石に学生二人でどこかに泊まるわけにもいかない。

「高専に着くまで繋いでいる」

「本当ですか?あ、見てください!ゴンドラがございます!」

憲紀の右手側、ゲストを乗せたゴンドラが優雅に横切っていくのをナマエが目で追う。ゲストやゴンドラの舵取りをするキャストもこちらに気がついたようで手を振ってきた。風や蒸気船の駆動音でよく聞こえないが、「チャオ」という声がかすかに聞こえてくる。

「ナマエ、ゴンドラ乗りたいの?レイスピ乗ったらまたこっち戻ってゴンドラほほっか?」

釘崎が虎杖の持つポップコーンバケットに片手を突っ込んだままモゴモゴと話しかけてくる。
それに釣られるようにしてナマエは左手を憲紀から離して、釘崎に向き直る。

「はい!ゴンドラ乗りたいです!」

「じゃあ、決まりね。昼食はゴンドラの前後にしようかしら。ね、ナマエと彼氏もポップコーンいる?」

「いえ、私は大丈夫です。お気遣いありがとうございます。憲紀さまは?」

「私も不要だ」

「そ。伏黒ー、そっちは何味ー?」

釘崎は今度は伏黒に絡み始める。憲紀は釘崎と交流会で初めて会った時、銘菓の京土産を寄越せ的なことを言っていたのを思い出し、憲紀の中で釘崎は食い意地の張った女性である印象が強くなる。

「ブラックペッパー」

「釘崎食い過ぎじゃね?腹減ってんのか?」

「朝ご飯食べ損ねたって言ったじゃないの」

「でしたら、軽食を摂りに行きますか?」

「別に気を遣わなくていいわよ。お腹いっぱい食べちゃうとレイスピで危ないし、昼食食べられないし」

「確かにな」

「そんなに激しいアトラクションなのですか?」

ナマエは不安に思っているのか、自分の手に収まるナマエの右手に力が籠められるのを憲紀は感じた。憲紀が反射的に強く握り返せばナマエは少しだけ憲紀を振り返って淡く微笑み、また釘崎の方を向く。いちいち自分へリアクションを返してくるところが愛らしい。

「術師やってれば余裕じゃない?不安なら呪力で体強化するのもありだし、彼氏にしがみつくのもありだし」

「わたしはそのようなことは……」

ナマエは口ではそういうが、再び憲紀の方を向くと頬を赤く染めて伏し目がちになる。可愛らしい反応ではあるのだが、如何せんナマエの想像しているようなことがおきる状況と余裕はなさそうなアトラクションであることを憲紀は知っていた。

「写真で見た印象ではあるが、しがみつくことができる程体の自由が利くようなセーフティーバーではなかったが?」

三百六十度回転するというレイジングスピリッツ。ゲストが乗っている姿を捕らえた写真では、黒いセーフティーバーで体を固定されていて、両腕は動かせても体を捻れるような構造には見えなかった。

「そうなの?残念ね、ナマエ。でも、まだセンター・オブ・ジ・アースとかタワー・オブ・テラーがあるから」

「野薔薇さん……!」

釘崎に弄られて、ナマエは困ったような声を上げるがナマエのことだ。USJの時のように抱きついてくるような気を、憲紀は感じていた。

憲紀にとってナマエに体の接触を持たれることは特段嫌というわけではなく、むしろ嬉しいのだが、やはり気恥ずかしさが勝ってしまうし、ナマエの体温や匂いを近くで感じると妙な気分にもなる。それを知り合いに見られるのなら尚更羞恥を覚える。しかも、虎杖と釘崎に限れば何かしら余計なことを言ってくるだろう。それは避けたいところである。
そう思う憲紀であったのだが──

「きゃあっ!憲紀さま!」

「大丈夫か?」

ロストリバーデルタエリアにて、インディー・ジョーンズがテーマのアトラクションに乗ると、前の座席に釘崎たちが乗っているのにも関わらずナマエに終始抱きつかれていた。

「ナマエ―!大丈夫―!?」

なんて後ろを振り返ってくる釘崎はナマエに抱きつかれる憲紀を見ては意味深に笑う。
アトラクションの最後に大岩が乗り物に向かって落ちてくる演出で短く、なだらかな落下があると、ナマエはより憲紀に体を寄せて悲鳴を上げる。前の三人が全員そろって振り返った時は流石の憲紀も動揺を隠せないでいた。

「ミョウジさん、次レイスピ乗れる?」

アトラクションから下りて外に出ると、虎杖が心配そうにナマエに声を掛ける。

「やめておいた方がいいんじゃないか?」

「無理に乗ることないわよ?」

「いえ、大丈夫ですよ。それ程怖くなかったです」

三人にそう言われても何故か平気そうにナマエは答えていた。実は憲紀にとってナマエのこの言動の矛盾がナマエの七不思議のうちの一つである。確か以前もUSJでのゾンビが怖いといいつつもゾンビエリアからは決して出ようとはしなかった。ナマエの非合理的な行動は理解できないが、怖いものみたさ、あるいはある程度の恐怖がナマエにとっての快感なのだろうと憲紀は解釈している。

「ナマエが大丈夫だというなら大丈夫なのだろう」

「はい。レイスピ楽しみです!」

「まぁ、怖くなったら彼氏がいるからね」

ちらと釘崎が憲紀を見る。今更であるが、憲紀は今日会った時からずっと釘崎に"彼氏"と呼ばれている。憲紀は自分をナマエの彼氏というよりは将来の夫という認識をしていて彼氏だとか恋人だとかいう自覚があまりない。"彼氏"と呼ばれる度に違和感であるが、悪い気はしない為に特にその点については触れないでいた。

その後レイジングスピリッツに乗ると、案の定ナマエは悲鳴を上げ続けては憲紀と繋ぐ手に力を込め、体重まで掛けてきた。ジェットコースターの勢いもあって憲紀の腕に千切れそうな程の圧が加わり、地上に戻る頃には腕が痺れていた。

「とても激しかったです……髪もぐちゃぐちゃです。結んでくればよかったです」

「それ程乱れてはいないよ。髪もここを直せば完璧だ」

憲紀は痺れていない方の手でナマエの乱れた髪に触れ、軽く梳いてやる。ナマエの場合は多少髪が乱れていても何も問題はないし、それすら艶やかさの足しになるくらいである。

「私も彼氏欲しいわー」

「えっ」

ぽつり、と釘崎が呟いた言葉に虎杖が大袈裟に驚いたような声を漏らす。

「なによ、その『えっ』はどういう意味?」

「言ったら釘崎怒るから……」

「あぁ?それってそーいう意味ってことよね?」

虎杖の一言で釘崎は物凄い形相で虎杖を問い詰め始める。

釘崎が女性らしく身だしなみを整えているのは憲紀もわかってはいたが、こういう釘崎を見ていると不良にしか見えないし、狂犬が頭に思い浮かぶ。いつかナマエが釘崎の不良っぽい行動を「元気いっぱいなだけ」とは言っていたが、この釘崎を見てもそう言えるのか、という気持ちでナマエを見れば、

「野薔薇さんは元気いっぱいですね」

なんていつぞやと同じことを言って朗らかに微笑んでいる。ナマエの感覚がよくわからない。

「あいつらとは他人のフリして、そろそろ飯にしましょうか。ミョウジはゴンドラに乗りたいんだったよな?」

「はい」

伏黒に言われ、ナマエが頷く。

「じゃあ、『リストランテディ・カナレット』でもいいか。ミョウジと加茂さんはイタリアン食べられます?」

「わたしも憲紀さまも大丈夫ですよ。京都校の先輩の何人かとイタリアンを食べに行ったことがあります。とても美味しかったです」

「そうだな。それにあの時は東堂もいなくて穏やかな時を過ごせた」

少し前の話だ。歌姫の知り合いが支配人をやっているイタリアンがあり、ちょうど暇を持て余していた生徒が歌姫に誘われて行ったのだが、格式高い店で食事も飲料も美味しく、ナマエが終始ご機嫌だったのをよく覚えていた。

「あの人京都校でもそんな扱いなのか……カナレットは加茂さんたちが行くようなレベルかは知りませんけど口コミはいいみたいなんで行ってみましょうか」

「はい!楽しみです。野薔薇さんと虎杖くん、行きますよー?」

「チッ。アンタ、命拾いしたわね」

ナマエの呼びかけを受けて、釘崎はどこぞの悪役の台詞なのかとつっこみたくなるようなことを虎杖に吐き捨てると、掴んでいた虎杖の胸ぐらを離し、先を歩いていた伏黒の隣に追いついてきたかと思えば憲紀とナマエを振り返る。

「ナマエとナマエの彼氏ってイタリアン食べるの?」

釘崎が伏黒と同様に不思議そうに聞いてくる。
京都校の仲間にもよく聞かれる疑問で、憲紀もナマエも慣れたものであるが、後方にいてヨレたアウターの襟元を直しながらついてきた虎杖にまでも「えっ?二人ともイタ飯食うの?」と言われると、流石に苦笑せざるを得なかった。



 ◇



正午は再びメディテレーニアンハーバーエリアのヴェネツィアをテーマにした区画で憲紀たちは優雅な時を過ごした。

貴族の邸宅をイメージしたレストランで上品なイタリアンの食事を食べ、暖かな太陽が照りつける中ゴンドラでゆったりと園内の美しい景観を眺めると穏やかな気持ちになれた。

その後はジェットコースターや子供向けのアトラクションを幾つかまわり、夕飯を軽く済ませるといよいよ夜を迎えた。

「ケープがあっても寒いですね……」

コートの上に買ったばかりのディズニーキャラクターモチーフのケープを羽織ったナマエが片腕で自身の体を抱いて寒そうに震える。

今は間もなく始まるパレードを観る為に規定の通路で待っているところで、建物による遮りがなく、海岸地帯特有の海風が冷たく吹きつける。

その所為で憲紀がナマエと繋いでいる手を赤血操術で上げた体温で温めていても寒いようだ。

「私のコートとマフラーを貸そう」

「いえ、そんなにいっぱい身につけたら格好が悪いです……お気持ちだけ受け取っておきます」

「着膨れたナマエも可愛らしいと思うのだが……」

「そんなことを仰られてしまったら迷ってしまいます……もっとくっついても良いですか?」

暗がりの中街灯の仄かな光をいっぱいに吸い込んだ瞳で見つめられると、憲紀は弱かった。近くにいる釘崎が「流石ナマエだわ……」と顎に手を当てて感心し、伏黒からは無言の視線を感じ、虎杖からは「おお……」という感嘆の声を漏らす声が聞こえてきて羞恥を感じるのだが、やはりナマエの体調が心配であるのと可愛く強請られると拒否はできない。

「構わないよ。おいで」

「はい……とても温かいです……」

「青春だねぇ」

ナマエが憲紀の腕に両腕で抱きついた瞬間、タイミングを見計らったかのように五条悟がひょっこりと目の前に姿を現した。

「……!」

「まぁ!驚きました」

「うわっ!五条先生!」

「先生なにやってんの?」

「なんでいんすか……?」

反応は様々であるが、全員が五条の出現に驚き、その様子を受けて五条は呑気に笑う。

「そりゃあ、可愛い教え子たちが僕に黙ってディズニーを満喫してるって風の噂で聞いたから急いで仕事を終わらせてきたんだよ。しかもナマエも憲紀もいると聞いた時はマジでびっくりしたよね〜。なんでこっち来てるの?」

「野薔薇さんにチケットを一枚いただいたので……」

「へえ。皆夕飯食べた?僕何も食べないで来たからお腹空いてるんだけど」

「センセー、私たち今からパレード観るんですけど」

「じゃあ、僕も観てからご飯食べようかな。ねぇねぇ、タワー・オブ・テラーにだけ出現する呪霊がいるらしくて定期的に窓さんが見回ってるんだけどもう会った?その人キャストさんのストーキングもやってる変態でオフでも毎日同じ時間に同じ場所に現れるらしくてキャストさんとか常連のゲストさんから恐れられてその所為で呪霊が湧いたらしいんだよねー。ウケるよねー。ちなみに呪霊自体はランドの方が出るらしいから明日皆で探してみる?任務として申請すれば交通費に宿泊代もでるよ?」

息をつく間も話し続ける五条の言葉を誰も拾ってはいなかったのだが、流石に最後の一言にはミーハーな虎杖と釘崎が反応しないわけがなかった。

「明日もディズニー!?宿泊!?チケット代もご飯代も全部タダ!?」

「誰もチケット代とご飯代はタダとは言ってないけど、天才伊地知君に任せれば全部コミコミで経費で落とせるよー」

一年生の術師といってもそれなりの給与を受け取っているはずであるが、やはり底なしの物欲に交際費と、何かと入り用になる年頃。タダという言葉に虎杖と釘崎がよっしゃあ!とガッツポーズを決める。

「悟さん、わたしたちは二十時にはここを出てしまいます。補助監督の方に迎えも頼んでしまいました」

「歌姫から許可は得ているから大丈夫!」

五条は白い歯を光らせて笑顔で親指を立てる。
歌姫からの許可イコール一方的に捲したてるように話しただけだろうし、憲紀は破天荒な五条悟とは一緒に過ごしたくないのだが、ナマエが「明日もディズニーです!」と飛び跳ねんばかりに喜んでいる横で「本当に庵先生が承諾しているか分かりかねるので帰ります」とは言えなかった。

「庵先生には私から仔細に事情を説明しておこう」

「そうですね。念の為、事情を話した方が良いでしょう。はぁ。明日も憲紀さまたちと遊べるだなんて幸せです」

「それはいいのだが、明日の服などはどうする?」

一日動いたのだ。連日同じ服を着るのはいかがなものかと思い、憲紀はナマエに現実的に考えるように促す。

「じゃあ、一瞬買い物行ってくる?ナマエの好きそうなお店連れて行ってくるよ。憲紀の服はナマエが選べばいいし。大事なお嫁さん借りるけどいいよね?」

どうやら問題は解決しそうであるが、明日一日この男と一緒にいると考えると憲紀は頭を抱えたくなった。



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