※本誌173話時点の情報で書いた話
※捏造過多



十一月十二日月曜日。東京第一コロニーの新宿にて。仲間のレジィの死をきっかけに黄櫨折は高羽との戦闘をやめ、死滅回游での生活の拠点となる場所へ向かって歩き出していた。

同じ過去の術師であるレジィが死んだ今、羂索がこの死滅回游に"爆弾"を落とす際の備えをするのはそう容易ではなくなった。とりあえずは生きている仲間──ナマエとの合流が最善手だろう。ちなみに他にも建前上は仲間である麗美がまだ生きているはずであるが、所詮泳者プレイヤーをおびき寄せる為の囮役であり、いつ切り捨ててもいい存在である為に黄櫨の頭からは抜け落ちていた。

ナマエは黄櫨とは旧知の仲で所謂腐れ縁の女術師である。その昔一時的に手を組んだり、敵対したりという不安定さはあったが、目的を同じくした今はこの死滅回遊では間違いなく頼れる仲間だ。
とにかく、早くナマエと合流してこれからの作戦を練る。それが最優先事項なのだが──

「いつまでついてくる気だ?」

黄櫨はしつこく後をつけてくる高羽を振り返り、大きな四白眼の瞳で睨みつけると、高羽も後ろを振り返る。

「オマエだよ!オマエ!」

「え?」

とぼけた顔で自身を指さす高羽。もはや延々と無視し続ければよかったと後悔する程の苛立ちが黄櫨の腹の底から湧き上がる。

「クソッ!なんなんだよ!」

ナマエと合流する前に高羽を振り切りたいところだが、高羽との戦闘で彼の動きの素早さは把握済み。爆風を利用して隠れることも可能かもしれないが、確実性がないのに労力を使いたくないのが正直なところ。

手詰まりになった黄櫨は無駄なやり取りをした、という思いを舌打ちに乗せ、度重なる爆風で傷んだオールバックのウルフヘアの髪を手で撫でつける。生活の拠点であるマンションに入る前のことである。

そんな黄櫨の所作を見て高羽は「ハッ!もしや!」と声を上げる。いつの間にか隣にいて、しかも顔がかなり近い。

「近ぇ!」

そう言って高羽の顔を殴りつけようとして、少し前に高羽の体を殴った所為で拳にあんかけが付いたことを思い出して手を引っ込め、自ら距離を置いた。先程あんかけの付いた拳は一応ズボンで拭いたのだが、そのズボンもその辺の自販機を壊して手に入れた水で洗い流す程にあんかけの汚れは不快感が強かった。

「君は虫の入った水をそのまま飲みそうな衛生観の見た目をしているが、あんかけズボンを洗ったり、髪を撫でつけたりするところを見るにこれから女性と会おうとしているのだな」

「……?」

高羽の言っていることは事実は事実なのだが、何故他の人間に会うだけでなく、女性という性別まで推察されたのか、黄櫨は胃の腑に落ちず、眉間に皺を寄せて渋面を作る。

「そんな君にこのモテ男御用達のメンズヘアワックスを差し上げよう」

高羽はどこからともなく手のひらサイズの黒い容器を差し出す。

「それもあんかけだろ。どうせ」

「今度こそローションかもよ?」

「どっちにしろ使えねぇな!クソッ!」

黄櫨は今まで散々おちょくられ続けた苛立ちを込めて高羽の手からワックスの容器を叩き落す。

「これから女に会うのは事実だが、ただの仲間だ。二対一で狩られたくねぇならついてくんなよ」

「そうか。女性に会うならこの恰好はまずいかもな」

高羽が神妙な顔ではみ出す生殖器を薄い布地の下へ仕舞い込む。が、すぐにでろん、とブツがはみ出す。きっとわざとだ。

言われてみれば、高羽の恰好は黄櫨の生きていた時代でも眉を顰められるものである。ただナマエが気にするかどうかでいえば、気にしないであろう、と黄櫨は思った。

「あいつはそういう女じゃねぇよ。俺と気質が似ていると言えばわかるか?いや、そもそもこの死滅回游に積極的な術師がそういうのに興味あると思うのか?」

「なるほど。つまり俺のネタに虜になっている君があのネタをその女性に披露すればきっとうまくいくぜ!俺はここから応援しているぞ!」

親指を立て、ウィンクをする高羽。意味ありげな言動に引っかかるところがあるが、中まではついてこなさそうな様子には一安心である。

「ついに会話もできなくなってんじゃねぇか」

成立しない会話に黄櫨は毒を吐いて、止めていた足をマンションのエントランスへと運ぶ。漸く高羽と離れられると思うと、その足取りは軽い。

エントランスに入るとすぐにナマエがわざと残したであろう呪力の痕跡があった。その痕跡をまっすぐ辿る。時折後ろを振り返って高羽がいないことも確認。

ナマエが確実にいるであろう部屋の前に着くと一旦立ち止まる。無意識に髪を撫でつけようとして、ふと高羽から受けた指摘を思い出し、手を下ろして扉を蹴破った。あえてナマエの嫌う行動を選択したのだ。

窓台の上で膝を抱え込んでいたナマエは案の定眉を顰める。といってもいつも冷たい表情をしているので、いつもと大差はない。

「何?レジィが死んだ腹いせ?私が駆けつけなくて怒っているの?言っておくけど、私に麗美と手分けして囮役なんかやらせたあの男が悪いわよ。どうせいつも私が一人で殺しちゃうんだから、必然と単独行動になるのはわかっているでしょう?」

プライドの高いナマエは黄櫨に責められると思ったのか、黄櫨が話す前に自己弁護をする。

責めるつもりはなかったというのに、勝手に自衛に走られると腹が立つものがある。それでも黄櫨は「そんなつもりはねぇよ」と一言ナマエを宥める言葉を掛けてやろうという気持ちがあるのだが、どうしてか「ごちゃごちゃうるせぇな」といつものような攻撃的な言葉が口からでてしまう。

「うるせぇって何様のつもり?」

「いいから黙って俺の話を聞け。針とレジィが死んだ今、俺たちで考えて羂索の"爆弾"に備える必要がある」

「それで?」

「過去の術師、できれば羂索の情報を持った使えるヤツを仲間にする」

「一応は情報を聞き出してから殺しているけど、仲間にするといっても……私もアナタもそういう感じじゃないから難しいわよ」

「……確かにな。なら情報と点数を集め続けるしかねぇな」

ナマエの言う通り、黄櫨もナマエもレジィのようなリーダー力やスカウト能力はない。レジィを殺せるレベルの現代術師がいたと分かった今は仲間を増やしたいところではあるが、かなり厳しそうだ。

話が終わったのを察したのかナマエは呑気に鼻歌を歌いながら艶やかな髪を指に絡めて弄り、黄櫨を見つめる。眉根を寄せている様子からして「出て行け」と言っているのだろう。

特にナマエと話すことがなくなった黄櫨が踵を返そうとした時、ナマエの後ろの窓から『ほら意中の子にはあのネタだ』と書かれたスケッチブックが覗く。

「あの野郎……!」

怒る黄櫨につられてナマエが窓を振り返るとスケッチブックは引っ込んだが、動体視力の良いナマエがそこに書かれた文字を見逃すはずがなかった。

「意中の子……?」

と、首を傾げつつもナマエは戦闘態勢になり、窓ガラスを打ち破った。

「おい!あいつは相手にするな!」

窓の縁に手を当て、そのまま飛び出そうとするナマエを黄櫨は止める。ナマエの強さを認めていても、ナマエにあの高羽は殺せないとわかっているからだ。相手にするだけ時間の無駄だということを伝える必要がある。

「どうして?あの人と戦っていたの?黄櫨は逃げてきたの?」

「あ?殺されてぇのか?あいつの術式がだりぃって教えてやってんだよ」

「黄櫨でも殺せないんだ……面白そう」

「待て。行くなって」

黄櫨は爛々と瞳を光らせるナマエの手首を掴み、引き留める。いつもならここまで食い下がることはないのだが、あの高羽という男にナマエを会わせたくない気持ちがとてつもなく強いのだ。

ナマエは怪訝な表情のまま鼻をすんすんと鳴らし、眉間に刻む皺を深めた。

「……なんだか臭うわよ。いつもと違う臭さ」

「……」

時々ナマエに爆薬臭いと言われてはいたが、術式の内容上仕方のないこと。それに爆薬の匂いは慣れればそれ程悪くない。なのにいつも臭いとでもいうような事を言われ、黄櫨は胃の辺りに鉛を落とされたような不快感が芽生える。

「高羽の所為だ。あいつと戦うと変なものをつけられる」

「変なもの?黄櫨、つけられたんだ。本当に面白そう」

ナマエは黄櫨の拘束を振り解くと窓から飛び出していった。
ナマエに臭いと言われたことが気になった黄櫨は止める気力がなくなり、そのまま見逃した。どうせナマエはそのうち高羽を諦めて帰ってくることをわかっていたからだ。

部屋に一人になった黄櫨は自分の匂いが気になり、シャワーを浴びて替えのズボンに着替えた。それからマンションの三階の共有廊下からナマエがふらふらと戻って来るのを眺めていた。ナマエは何故か全身がローションに塗れて、艶々と光を反射させている。いや、その照り具合からあんかけの可能性もある。

ナマエは一歩歩くごとに滑りかけては踏ん張り、大変そうな様子である。手助けしてやってもいいが、それはナマエのプライドを傷つける。なんだかんだ黄櫨はナマエのことは気に掛けていた。

──『ほら意中の子にはあのネタだ』。ふと高羽のカンペを思い出して、胃の辺りがむかむかと熱くなる。

「くだらねぇ……」

羂索と契約する術師がそんなものに興味を示すわけがない。高羽の言っていることは漏れなく全てくだらない。あんな男に翻弄されていると思うと吐き気がする。

苛立っている時に限って、ナマエの後ろで高羽が黄櫨に向かってスケッチブックを掲げて振り回しているのが目に入る。
そこに書かれていたのは『今がチャンスだ!押し倒せ!』という文章で、黄櫨の苛立ちは一瞬にして爆発した。

黄櫨は左目の眼球を抉り取って高羽に投げつけ爆破させた。
逃げられた様子はなく、殺した手応えはあるのだが、相手はあの高羽。どうせ生きているのだろうと思い、反転術式で眼球を修復しながら、マンションの廊下から敷地の外の地面へ飛び下りる。何事かと振り返るナマエを無視して、ぴんぴんした様子でスケッチブックを掲げる高羽へ更に犬歯を抜き取って追爆。

「俺はそんなんじゃねぇんだよ!死ね!」

犬歯が復活する前にその隣の歯と奥歯を抜き取り、更に爆撃。それでも高羽は髪の一部を縮れさる程度の怪我で、煙の中から姿を現し、

「あの女性は君のことが好きそうだったぞ!」

などとナマエがすぐ後ろにいるというのに叫ぶ。

「うるせぇ!んなの興味ねぇんだよ!」

とにかく高羽を黙らせたい一心で黄櫨は怒鳴り返す。

「黄櫨、私のこと好きじゃないのね……」

「は?」

どこか残念そうな響きを湛えた声が後ろから聞こえ、思わず振り返ってナマエを見ると、「かっこ悪いから見ないでくれる?」と今度は不機嫌そうな顔で睨まれる。

「ローション塗れでだせぇな」

「これあんかけ。最悪……次馬鹿にしたらアナタのこと殺すから」

「……聞いたか?」

黄櫨は高羽に向き直り、親指で後ろにいるナマエを示す。
ナマエは黄櫨と過去に何度か本気で殺し合った仲だ。先ほど残念そうに聞こえたのは気のせいだ。絶対に気のせいに違いない。

そう自己暗示をかけるように心の中で繰り返し、黄櫨が再びナマエを振り返ると、ナマエはマンションへ戻っていくところであんかけまみれの髪を両耳に掛けていた。露わになった耳が心なしか赤く見え──

「どっちなんだ……」

「決まりが悪くて恥ずかしくなっているのか、君が好いてくれていると思っていたことが恥ずかしくなったのか──どっちだろうな」

顎に手を当て、黄櫨の思ったことをそのまま代弁する高羽。
黄櫨はしつこく自分を揶揄い続ける高羽を殺したくなってつい右手に呪力を込めるが、無駄だとわかってやめた。

「どっちも俺は興味ねぇ」

「なら『どっちなんだ』という疑問はどこからでてきた?」

「知らねぇ」

「今晩ローション塗れで迫られたらどうするんだ?」

「……死ね」

黄櫨は一瞬そんなナマエの姿を想像してしまったが、だからといって特にどうしようという気もおきない。そもそも女に興味はない。自分の力を振りかざせる世界で強者たちと呪い合いたいだけだ。

ただナマエに臭いと言われるのは嫌だし、ナマエのプライドを傷つけるようなことはあまりしたくない一方で組み敷きたい欲求はあるし、ナマエが他の誰かに殺されるくらいなら自分が殺したいと思っている。それにナマエの耳が赤かった理由が気になっているし、何より『私のこと好きじゃないのね』と残念そうに言った意図が知りたい。

少々特殊な点があるにせよそれを人は好意と呼ぶのだが、黄櫨がそのことに気がつくのはまだ先の話である。



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