まずは外堀を埋めます
イーストン魔法学校。その図書館で本の山に埋もれながら、私は小さく唸り声をあげていた。
勉強が、難しい。
一年前、編入試験を無事通過し、このイーストン魔法学校に入学した。そしてレアン寮に寮分けされ、これからの学校生活への期待に胸弾ませたものだが、挫折は早かった。簡単な話、私は地元のトップではあったが、本当のトップ集団に入れば中の下、どちらかといえば落ちこぼれの部類だったのである。よくある話だ。
なんとか二年生へ進級したものの依然崖っぷちなのは変わらない。毎日授業に課題にない頭をフル回転させて、しがみつきながら生きている。
「はー、分からん」
今日は休日。
休日返上でお昼から図書館に篭っていたのに、課題もあまり進まないまま数時間経ってしまった。集中力も切れてしまったし、おやつの時間に託けて休憩しようかな。
長い時間机に向かっていたせいで固まった身体を伸ばすと、ぽきぽきと軽く音が鳴った。どっと疲れを感じる。思わず漏れる溜息をそのままにしながら、机の上を片付けた。この本はあんまり参考にならなかったから、本棚に戻してしまおう。これと、これも。こっちは課題に使えそうだったからまだ読む。
そうして積み上げていた本を仕分け、戻す本を持ち上げて本棚へ向かった。
所定の位置に本を戻しながらも溜息が止まらない。溜息を吐くと幸せが逃げるなんて言うけど、そもそも今の私には逃げるほどの幸せなんてないし。課題が片付かなきゃ何も楽しめないし。私がもし優秀だったら、こんな課題に手こずって休日を勉強で潰すこともなかったのにな。
あーあ、私も休日に部屋でのんびりしたり、街にショッピングに行ったりしたい。
「あれ、踏み台無い……」
私の身長だと高い位置にある本は踏み台を使わないと届かない。図書館の踏み台は置き場所が決まっていて、そこから使ったらちゃんと戻さないとこうやって次に使う人間が困るのに。残念ながら私が机に齧り付いていた間に使った誰かによって、迷子にされてしまったらしい。
さっきまで逃げるほどの幸せなんて無いんだから溜息なんて関係ない、なんて思っていたけどまさか小さな不幸が飛び込んでくるとは。思わずまた漏れそうになった溜息を、ぐっと飲み込む。
軽く周りを見渡しても踏み台の姿は見えないし、きっとどこかの棚に隠れているんだと思うと探すのが面倒だ。今からひとつひとつ棚の間を探す面倒と、ここからちょっと距離のある場所に置いてあるだろうもうひとつの踏み台を取りに行く面倒なら、距離はあるけど確実に踏み台をゲットできる方を選ぶ。流石にもうひとつも迷子なんてことはないだろう。
そう決めて振り返ったところで、すぐ近くに人が立っていたことに気づいた。
「あ、すみません……って、ワース先輩」
「よぉ、ナマエ。オレに気付かないとかそんなに何考えてんだ?」
「踏み台が無いから高い位置の本が戻せなくて。どうしようかな、って考えてました」
「あー?それ、そんなに高いとこから取ったのかよ」
「いや、私が届かないだけでそこまで高いわけでは……」
「じゃあオレなら届くだろ。戻してやるから貸せ」
「いいんですか?ありがとうございます」
手を差し出すワース先輩に甘えて、数冊の本を渡す。
ワース先輩は七魔牙に所属している優秀な人なのに、何故だか一年生の頃から私を気にかけてくれている先輩だ。どうやら私の魔力量と得意魔法がお眼鏡に適ったらしく、ちょくちょく指導を受けている。最初は恐れ多いやら、指導を受けてなお私の成績が微妙なことに怯えるやらしていたけど、なんだかんだ内側に入れた人間には優しいので正直とても有り難い。時々発言は過激だけど、レアン寮はみんなこんなものだと私もこの一年で学習した。
「おい、これはどこのやつだ?」
「えーっと、それはあそこです」
「ん」
私では踏み台が必要位置も、ワース先輩は普通に届いている。ひょいひょいと簡単に本を戻し終え、私の途中になっている課題が置いてある机へと戻ってきた。
先輩は机の上を見て私の課題を確認すると、まだ参考になると思って残していた本も持ち上げる。
「待ってください先輩、それはまだ使うやつで!」
「使わね〜よ。この課題なら覚えてる。寮で教えてやるから荷物片付けろ」
言うが早いかワース先輩は本を持って行ってしまい、私は荷物を片付けるしかなかった。ばたばたと荷物を纏めるうちに本を片付け終えた先輩が戻って来て、纏めた私の荷物を攫っていく。
そしてそのまま図書館を出て、寮への道をすたすた進みはじめたので慌てて先輩の背中を追いかけた。
休日なので校内にいる生徒も少なく、廊下にはただ二人分の足音が響く。
「ワース先輩、あの、荷物大丈夫です」
「いいんだよ、ナマエは歩くの遅ぇんだから身軽でいろ」
「うっ……ありがとうございます……」
寮に着き、いつも勉強を教えてもらう時は談話室を使うため、場所取りに行こうとすると腕を引っ張られた。びっくりしてワース先輩を見るも、先輩はなおも道を進んでいく。
そして談話室をスルーし、私が立ち入ったことのない三年生の部屋の方へと進んでいくので、思わず足が止まってしまい少し引き摺られた。戸惑いで意味を成さない音が口から漏れるも、ワース先輩はそんな私のことなどお構い無しでどんどん進んでいき、そしてひとつの扉の前でやっと立ち止まった。
ここは、もしかしなくてもワース先輩の部屋だ。
先輩は何事もないかのように扉を開け、部屋に入ると私の荷物をローテーブルに置いた。そして本棚から数冊本を出すと、それもテーブルの上に置き、イージーチェアの向かいにスツールをセッティングしてからチェアにに座り、入り口で立ち竦む私を見る。
「どうした、さっさと入って来い」
こっちはワース先輩の部屋に初めて入り、しかも二人きりのこの状況に混乱しっぱなしだというのに、先輩はあまりにもいつも通りだ。
……それもそうか。今まで幾度となく先輩には勉強を教えてもらっているし、それが今回ちょっとしたイレギュラーで場所が変わっただけだ。そして私が勝手にこの状況にドキドキしてしまっているだけ。そもそも私たちに甘い空気感は存在しないし、こうして尻込みしているのもきっと失礼だ、となんとか自己完結して雑念を振り払い、先輩に返事をして準備してもらったスツールに座った。
なによりもこの課題をやっつけるのが最優先である。
ワース先輩は勉強を教えるのが上手い。
先程本棚から出していた本は、先輩が昨年使っていた教科書や参考書・ノートで、私が何で躓いていたのか、足りていなかった知識は何か、噛み砕いて丁寧に説明してくれる。
気がつけば、私が数時間図書館に篭っても完成しなかった課題はかなりあっさりと完成した。
「ナマエは筋は悪くねぇのに勉強の仕方がヘタクソなんだよ。わかんねぇならオレのとこに来いっつってんのになかなか来ないしよぉ」
「先輩もお忙しいかと思って……」
「折角良い環境にいんだから使え」
「ありがとうございます。そういえばワース先輩、図書館にいた用事とか、今日の予定とか大丈夫ですか?」
「あー、ナマエを探してたんだ。だからいい」
「えっ、私に何か……?」
課題も終わり、軽く片付けたローテーブルの上。向かい合うように座っていたワース先輩はそれをひょいと長い足で跨ぎ、一気に私との距離を詰める。
突然のその行動に私はがちり、と何かの魔法をかけられた如く動けなくなってしまい、ただワース先輩の様子を見つめることしかできなかった。固まる私を置きざりにして先輩は更に距離を詰め、私の頬に節くれだった大きな手が触れる。優しく撫でられたその感触から、一度振り払った雑念が猛スピードで戻ってくると同時に、かっと自分の体温が上がったのが分かった。
そんな私の様子を見て、先輩が喉の奥を鳴らしくつくつと笑った。
「オレがただの親切でオマエに勉強教えてるとでも思ったか?」
頬に触れていた手がするりと動き、顎を捕らえられる。そのまま顔を上げられ、強制的にワース先輩と目が合った。少し下げられた黒いラウンドサングラス越しに爛々と輝く瞳がゆるりと細められる。
「シタゴコロに決まってんだろ、バァーーカ」
そう言い捨て、パッと手を離しそのまま一歩距離を置いたワース先輩に、やっと固まっていた身体からどっと力が抜けた。代わりに、酷く心臓はばくばくと音を立てて息苦しいぐらいだ。なかば呆然と先輩を見上げる。
今まで勉強を教えてくれる先輩だとしか思ってなかったのに、この部屋に足を踏み入れてしまってから私はおかしくなってしまった気がする。
一歩離れたところからにやにやと私を眺めていた先輩は、また一歩、ゆっくりと距離を詰める。そして私の腕を引いて立ち上がらせると、そのままゆるい力でその腕の中に閉じ込められた。
「逃げるなら今だぜ?こんぐらいなら簡単に振り払えんだろ」
逃げ場が用意してあるようで、絶対に逃げられないのを本能的に感じていた。ここで逃げてもきっとすぐに捕まってしまう、そんな予感があった。
それなら、この混乱しているうちに沈められてしまうほうが、何故だか良い気がして。
目の前の煌めく瞳を見つめた。
「じゃあ、こっから先は合意だ」
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