6


二人で安室の作った夕飯を食べ、テレビを見ながらデザートに買ってきたシュークリームを頬張り、程なくしてなまえは眠気と戦っていた。今日はひどく疲れた。特に精神的に。それは彼に別れを告げられたこともあるが、車に轢かれかけたこと、そしてお互いを深く知らない男の部屋で、一夜を過ごそうとしているということ。

「なまえくん、今日は疲れたでしょう。先に寝てて良いですよ。ベッドはあっちの部屋ですから」

指を差して寝室を示すとなまえは首を横に振って「駄目」と言う。

「俺がお邪魔してるんだから、俺がソファーで寝ます」

安室はこの顔どこかで見たな、と思いを巡らせた。記憶を遡れば、すぐに答えに辿り着いた。なまえがポアロの店先で彼にお金を渡そうと詰めている時のあの顔だ。この顔をされては、話が長くなりそうだ。

「じゃあ、じゃんけんで決めますか」

相手の了承も得ず、じゃんけんの掛け声をかければ勝手に手が動く。なまえはグー、安室はチョキを出す。

「これなら文句ないでしょう?負けた僕がソファーですね」

そもそも安室にはなまえをソファーで寝かせる選択肢なんてなかった。勝った方がベッドを使うのか、負けた方が使うのかすら決めていなかった勝負だ。彼が勝てばそちらをベッドにするし、彼が負ければやっぱりそちらをそうするつもりでいた。なまえは諦めたかのようにふぅーとため息を吐き出し、「わかりました」と少し腑に落ちない顔で了承した。

安室が風呂から上がる頃にはなまえは寝室に行っていたようだった。やはり相当疲れていたらしい。ベッドを譲って正解だったな。寝室の扉をなるべく光が入らないようにそっと開けた。布団の膨らみで寝顔までは見えなかったが、規則的に上下するそれを見て寝入っているのを確認する。
少しだけストレッチして寝ることにしよう。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、深夜のニュース番組を小音でつける。大した出来事はなかったらしい。今日も日本は平和だ。ふと視線がテレビボードの端に移る。あの銀色の存在。こちらを威圧しているような圧迫感を感じた。何故こんなに気になるのだろう。どこにでもあるような、たいして高くも安くもないリングの一つなのに。どうしてこれほど忌々しさを感じるのか。

チャンネルを回してスポーツ番組に切り替えた時、後ろからガタっと物音がした。振り返るとなまえが起きてきたようだ。深い眠りにつけなかったのか、それともはなから眠れていなかったのか。

「どうしたんです?」
「安室さん、腕の怪我消毒しないと」

そのために起きてきたのか。眠そうな顔を隠しもせずに。確かに肘を擦りむいたわけだからやりにくさはあったが、自分一人でできない手当ではない。しかし、彼の好意を無碍にするつもりも起きなかった。

「お願いできますか」

引き出しから消毒液とワセリン、ガーゼを取り出してなまえに渡す。風呂に入って濡れたためか、傷口にはまた浸出液が滲んでいた。寝ている間に擦れないように、ガーゼをしっかりと紙テープで固定する。「はい、終わり」となまえはガーゼの上からそっと傷口を押さえる。安室はその手をすかさず掴まえた。指を滑らせて、そっと触れる。あの薬指に。細くて色白の指。形のいい爪。ゴツゴツした男らしい自分の手と見比べて、得も言われぬ感情が駆け巡った。

「安室さん?」

ふいに名前を呼ばれて、視線を合わせたその瞳にはもう眠気は宿っていないようだった。しかし、どこか苦しげななまえの視線に「すみません」とだけ一言、たったそれだけしか言えなかった。




2018.08.21

←back