センチメンタル純情


▽高校生降谷×教師







開け放たれた窓から、湿気を纏った空気が入り込んで白いカーテンを揺らした。遠くから部活動の掛け声が聞こえてくる。 みょうじなまえは採用されてまだ二年目の若手教員だ。夏休みのこの時期は職員の出勤も当番制のため、今日は彼一人だった。夏休みもあと一週間で終わろうかというこの時期に追い込むのは、休み明けの実力テストの作成。三学年分作るというのは案外根気のいる作業で、他の教員や生徒がいない時間に作るのが一番集中できて捗る。午前中からお昼を挟んでひたすらパソコンや資料集と向き合ってきたわけだが、流石に午後にもなると疲れと眠気が押し寄せてくる。

ぐいっと背伸びをして立ち上がり、窓から生徒たちの部活動の様子を眺める。グラウンドを目一杯に走り回る野球部に、高らかなソフトテニス部の声。三年生が引退した今、二年生の新キャプテン率いるチームは皆新鮮さで溢れている。彼らの爽やかな様子に少しだけ口元を緩ませながら、校門の方に目を移せば校舎へと続く木々が風に吹かれてざわめいている。その隙間を明るい髪色が潜り抜けた。目を凝らさなくても誰かなんて一目瞭然で。日差しを反射した彼の瞳が此方を向く気配を感じて、さっとカーテンの陰に隠れた。

高校三年生の降谷零はみょうじの受け持つクラスの一つに在籍しており、非常に真面目な学生だった。授業態度、意欲、試験の成績。どれを取ってもオールAだ。他の教員からの評価や信頼も厚い。模範的な生徒だと、初めはみょうじもそう思っていた。それがいつからか崩れかけてきたのは、梅雨の気配を感じ始めた頃だっただろうか。板書する自分の背中に感じる痛々しいほどの熱い視線。気になって振り向けば必ず降谷と目が合った。始めはチョークを持つ自分の手元を見ているのだとばかり思っていたが、毎回同じことが続いたため比較的鈍感なみょうじでも気づいてしまった。彼がみょうじを見る本当の意図と気持ちに。

『先生、準備手伝いましょうか?』

彼の気持ちに少しでも近づくのが怖くて、本来なら有難いはずのその言葉を何度も断った。その度に彼の残念そうな切なげな表情に心を痛めた。それがつらくて、自然と彼を避けるようになってしまっていた。
今日は何のために学校へ来たのだろう。この夏で部活を終えた彼に、登校する理由は少ないはず。自習か、進路相談か、それとも……いや、まさかそんなこと。頭をよぎった妙な予感を振り払い、もう一度デスクに腰掛け試験の作成を再開させた。

「みょうじ先生」

ところがそれはすぐに打ち砕かれる。まさか、と思っていた事実に遭遇した。社会科準備室のドアが軋む音を立てて、それに導かれるように振り返った先には先程視界に映ったあの髪色。

「降谷…」
「こんにちは」

と、ドアを後ろ手で閉め、近づく彼の口元は嬉しそうに弧が描かれている。

「あれ?今日は先生一人なんですか」

まぁなんと白々しいのだろう。この男、恐らくそれを分かっていて来たに違いないのに。教員の出勤予定なんて調べればすぐに分かる。準備室前の掲示板には勤務担当職員の当番表が張り出されているし、他の教科の教師に聞いたとしてもすぐに調べてもらえば答えに辿りつく。

「今日はどうしたのかな?何か相談でも?」
「いえ、先生がいるんじゃないかなと思って」

先生に会いに来ました、と。そんな甘みを帯びた声色で言われて、迂闊にも胸がドクリと鳴った。その反面、頭の中では危険信号が鳴り響いている。この生徒を早くこの部屋から追い出さなければ…。無性に胸がざわついて仕方ない。

「あれ?これ、何作ってるんですか?」
「夏休み明けのテスト。まだ見せられないよ」

作りかけのパソコン画面を落として、資料集を閉じた。後ろから机上に降谷の左手が置かれて、思っていた以上に距離が近くなっているのを感じた。思わず彼のいる左側を見上げれば、彼の通った鼻筋、シャープな顎のラインが視界に入る。そして、形の良い唇までも。それを熱を帯びた瞳に捉えられる。

「みょうじ先生、どうしました?」
「いや、なんでもない」

視線を外して、大きく息を吸い込んだ。突き放してしまえれば簡単なのに、好意を向けられていると分かっているからこそ無碍にできない苦しみがある。教師と生徒という関係上、それ以上でもそれ以下でもないというのに。人間の情というものは理性を狂わせる。高鳴る鼓動を無視することを許されずに、吹き抜ける夏の風と共に一気に体温が上がった気がした。

「先生、汗かいてるよ」

つうっとみょうじのこめかみに指を滑らせて、伝いかけた水滴を拭う。そしてそれを見せつけるかのように舐め上げた。「ちょっと…」と驚きと焦りの声を上げた彼には何も返さず、ただ魅惑的な笑みを向けるだけ。

「先生さ、知っているんでしょ。僕の気持ち」

外した瞳と瞳を合わせてお互いを探り合う。知っていると言うべきか。知らないとはぐらかすべきか。どちらにせよ、降谷は自分の気持ちを真っ直ぐにぶつけてくるだろう。それならば誤魔化したところで意味は為さない。

「知ってるよ」
「だったら、こうしたいこともわかるよね」

ゆらりと唇を寄せられて、最後の抵抗とばかりに顎を引けば後頭部を掴まれて上を向かされる。容赦なく降谷のそれを押し付けられて貪欲に唇を吸われた。

「んっ……は、ぁ…」
「…先生っ」

舌を絡ませて、だんだんと深くなるそれに降谷も興奮しているのが分かった。こんな状況にありながら彼のペースに流されていた頭が次第に冷静さを取り戻してくる。

「だめだ、って!!」
「っ…」

力任せに降谷の胸元を押し返し、荒くなった呼吸を整える。その瞬間に見た彼の切なげな表情にまた心を乱される。そんな顔をするのは、反則だ。

「もう子どもは出てって!仕事が進まないから」

降谷の体を無理やりドアの方に向かせて、全身でその体を出口へ押し出した。本気で抵抗されたらこんなこと容易には敵わないだろう。彼が此方の気持ちを察して手加減していたのがよくわかる。

「子どもって…」
「休みが明けるまでここには立ち入り禁止!いいね?」

少し高い位置の彼の顔が頷くのも確認せずに、ぴしゃりと扉を閉めて鍵をかけた。こんな脆い扉、身を守るなんの術にもならない。彼に蹴破られたらひとたまりもないだろう。そして、自分の心に築いた脆すぎる防壁も。
しばらくそこを動かなかった降谷の諦めたかのように遠くなる廊下の足音を聞きながら、ずるずると扉に背を預けてしゃがみこんだ。

「もう、勘弁してよ…」

膝を抱えながら彼に触れられて熱くなりすぎた唇に手を添えて、そっと呟いた。




2018.09.18

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