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安室の家に居候を始めてから早くも一ヶ月が経った。当初はすぐに出る予定だったが、思いのほか適当な物件が見つからず時間がかかってしまった。何軒か不動産屋を回ってみたが、この時期は良い物件は売れてしまっているという。それを安室に話したら「ゆっくりでいいんですよ。まぁ僕としては、ずっと居てもらっても構わないんですが」なんて返ってきたが、そういうわけにもいかない。安室は探偵業をしていると言っていたが、その仕事の関係か週に何日かは帰って来ないことがあったし、やはり居候させてもらっている身で主のいない家で過ごすというのはどこか居心地が悪かった。それに、また一人になった時に困るのは自分だ。安室だって、いつかは遠くに行ってしまうかもしれないのだから。どこか遠い場所か、もしくは誰か別の人の─。

「今日、契約してきたよ」

食卓を囲みながら安室に報告する。彼は一瞬箸を止め、少し驚いた目を見せた。

「…そうですか。よかったですね」
「昼休みに不動産屋から連絡来てね。良い物件が見つかったって言うから、帰りに見に行って決めてきたんだ」

駅からの距離も程よく、繁華街からも少し外れた場所。スーパーやコンビニという利便性も良かった。こだわっていたバス・トイレ別という条件と、鉄筋コンクリートという防音性が気に入ってすぐに判を押した。

「で、場所はどこなんですか?」
「駅としては隣なんだけど、ここからでも歩いて行けるし。この辺りにも慣れてきたからちょうどいいかなって思って」
「じゃあ、またすぐ会えますね」

安室は止めていた箸を再開させた。なまえの作ってくれたじゃがいもの甘辛煮が気に入ったようで、「これ今度作り方教えてください」と言う。なんで会えるかどうかなんて気にしたのだろう。彼が会いたいと、会っても良いとさえ思ってくれればいつだって自分はそうするのに。

その週末、なまえは新しい物件に越すことにしたようだった。以前に住んでいたアパートから荷物を持ち出す手筈も整えてあるらしい。もちろん安室はそれを手伝う気でいた。

「なまえくん、荷物あるなら一緒に運びますよ」

そう言うとなまえは笑みを浮かべながらゆっくりと首を横に振った。

「安室さんの車じゃ、荷物載せきれないでしょ?」

至極まともなことを言っているようだが、その言葉に安室は牽制されたと思った。決して直接的な表現ではなかったが、ここから先は踏み込むなということなのだろう。

「車レンタルするから大丈夫」
「いえ、他にあれば言ってくださいね」
「うん。ありがとう」

それだけ言って引き下がる。正直、あの男と二人で会わせたくないという気持ちでいっぱいだった。“友人”という枠でもかまわないから自分の存在を示しておきたかった。しかし、安室の申し出を断ったなまえの目には強い意志があった。それをすぐに察してこれ以上は無理だと判断した。


▽▽▽


「じゃあ、行ってきます」
「気をつけて」

土曜日の朝早く出かけていくなまえを見送る。まるで同棲しているようだなと思った。それも今日で終わりか。安室の部屋に残された彼の荷物がある限り、また戻ってくるのだろうとは思ったが、それももう少しでなくなるのかと思うと無性に寂しさが押し寄せた。



「お邪魔します」

久しぶりに訪れた前の住処はもう自分の痕跡など無くなったかのように雰囲気が様変わりしていた。ちらっと食器棚を覗くも、一緒に使っていたお揃いのマグカップは消えている。きっとこの玄関先に置かれた段ボールの中に仕舞われているのだろう。

「わざわざまとめてくれたんだね」
「あぁ、やることなかったしな」

皮肉だ。一緒に住んでいたって、洗濯物を畳むことすら滅多にしなかった男がご丁寧にそんなことをするなんて。寂しさと悔しさで目頭が熱くなる。なまえはそれを必死に堪えた。食器や小物類はまとめられていたが、さすがに服までは手を付けなかったらしい。持ってきた段ボールを組み立てながら、その中に仕舞っていく。

「あの日…」
「ん?」

寝室のクローゼットの中を片付けていたなまえの後ろから、ベッドに腰かけた男が話しかけた。

「“別れよう”って言った日。お前戻ってくると思ってた」
「………」
「戻ってこないから心配したよ」

確かにあの日、彼から何度も着信やメッセージの通知が来ていたのはわかっていた。でも、電話に出る気にも、返信をする気にもなれなくて、全てスルーしてしまったのだ。それに、彼の部屋を飛び出した挙句、別の男の家に泊まらせてもらっていたという罪悪感も否めなかった。

「そっか、ごめんね…。でも、知り合いのとこに泊まらせてもらったから」

つい余計な言葉が口を出てしまった。言ってしまってから失言だったかもしれないと、思わず口元に手を当てた。

「知り合いって?」
「もう……関係ないでしょ?」
「…そうだな」

既に二人の間にはお互いのことを一から十まで知る権利は消えたはずだ。自分だって、不自然に倒されたベッドサイドの写真立てには触れなかったのだから。だからこそ明確な線引きを口にした。 結局、雑貨類や衣服などの段ボールを載せ、布団を積み込んだら借りたワゴン車の後部は一杯になった。やっぱり安室の車では無理だったな、と思う。

「ありがとね」

一緒に荷物を運んでくれた彼にお礼を告げる。本当にこれで最後だ。

「元気でね」

これでやっと終われるのに、なんでそんなに名残惜しそうな顔をするのか。こちらはこの一ヶ月で必死に気持ちの整理をつけ、断ち切ってきたのだからそのような表情をするのはやめてほしいとなまえは思った。

「彼女と幸せにね」
「あぁ」

そんな空気を払拭するように放った言葉は少し嫌味っぽく聞こえてしまったかもしれない。しかし、一ヶ月間努力した自分の気持ちを無駄にしないでほしかった。
エンジンをかけて車を発進させる。住み慣れていたはずの街がバックミラーに小さく消えていった。




2018.09.30

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