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新しいアパートに到着すると、入口の塀に凭れ掛かってスマホをいじっている見知った人物を見つけた。まさかと思った。

「…安室さん?」

安室は名前を呼ばれて、合図をするかのようになまえに片手を挙げて「お疲れ様です」と口にする。この人は一体いつからここにいたのだろう。何時に着くとも告げていなかったというのに。

「歩ける距離だというから歩いてみたんです。それに、荷物も多いんでしょう?」

段ボールに埋もれたワゴン車の後部座席を見ながらしれっと言う安室に、顔がイケメンだとやること為すこと全てかっこよくなるのか、と。なまえはそんなことを思いながら感嘆の溜息を漏らした。 彼の申し出に甘えつつ、車と部屋を数回往復する。契約した部屋は三階だが生憎エレベーターはついていない。結構な重さであろう箱を二つ重ねて軽やかに階段を上っていく安室に素直に甘えておいてよかった。荷物を運びこみ荷を解きつつ、時々宅配業者が持ってくる家具や家電を受け取りセッティングする。

「あ、やば…」
「ん?どうしたんですか?」
「設置頼むの忘れてた」

電子レンジやテレビは流石になまえでもわかるものの洗濯機はお手上げだ。設置のオプションをつけるのをうっかりしていた。 確か洗濯機の設置は排水など素人がやるには少し難しかった気がする。ネットで調べながらやるか、一週間コインランドリーで我慢してまた翌週末に業者に頼むか、と思案していた時。

「それなら、僕できますよ」

と、安室はさっさと梱包を解いてしまっていた。本日二度目の溜息。 最近の探偵さんは引っ越し業者みたいなことまでするのかと、冗談半分に考えながらも「安室さんって、何でもできるんですね」と、思わず零してしまった。

「そんなことないですよ。僕にだって出来ないことはあります」

しゃがみながら排水の調整をし、安室は答えた。何でも簡単に卒なくこなしてしまう彼のできないこと。とても興味が唆られた。

「え?何?安室さんの出来ないことって」
「そうですね、例えば―」

安室は徐になまえを見上げる。その表情からいつもの笑みは消えていた。

「本当に好きな人を落とせなかったり、とか」

その言葉にすぐ反応できなかった。何とか絞り出すように「…ふぅん」と言ったなまえに、「なんてね」と安室はくすっと笑ってみせるのだった。

「やっぱり僕の家に来たら良いんじゃないですか?」

全てのセッティングを終えた後、安室はなまえに提案した。せっかく引っ越したのに、と内心毒づく。

「えー、でも…」
「だってこの部屋、まだベッドがないじゃないですか」

掛け布団だけでどうやって寝るというのだ、と言いたいらしい。確かにこの部屋には安室の部屋みたいな立派なソファーはない。彼の言うことも一理あるようだが。

「そんなこと言ったって、安室さんの部屋だってベッド一個でしょ」
「僕は良いんですよ。ソファーでもよく眠れるので」

あの初日のじゃんけん以来、なまえは一度も安室に負けたことはなかった。思わず、「安室さんってじゃんけん弱いんですね」と言ってしまったことがあるくらいだ。なまえがどうしてもソファーで寝るとごねたため、一日だけそうしたことがあるがやはりよく寝れなかったのか翌朝には目元にはっきりと隈が浮かび上がっていたし、朝食を食べながらも欠伸と必死に戦っていたのを見逃さなかった。その日から安室は絶対に今後はソファーでは寝かさないと決めていたのだ。
それに、そもそもなまえは安室がわざと負けていることには全く気付いていなかった。数日目までは偶然で勝ち負けが決まっていたわけだが、二、三日もすれば観察眼の鋭い安室にはある一定の法則が見えていた。彼が最初に出すのは必ずグーであること。そしてその癖に本人は全く自覚していないということ。それに気付かせないために毎度「また負けた!」「なまえくんは本当に強いですね!」と演技をしていたのだ。安室にとっては本当にしょうもない子供騙しのような茶番だった。

「まぁ今日のところは一緒に帰りましょう」
「…でも」
「それに今日は疲れたでしょう?僕がご飯作りますから、ね?」

換気するために開けていた窓を閉めて、ドアに促せば諦めたらしいなまえは素直にそれに従った。疲れたというのは正直なところだ。体力的にはもちろんだが、彼に会うことで気を張っていたことは否めない。レンタカーを返却して安室の家に向かう。西日が差し込み、オレンジ色に染められた彼の横顔を見ながら、なまえは結局あの部屋は倉庫兼シェルターになりそうだなぁ、と思うのだった。




2018.10.04

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