オリオンの夜


濃紺の夜空に吐息が舞った。まだ秋口だというのに今夜は酷く冷える。天気予報によれば今夜から来週にかけて北から寒気が押し寄せて、季節外れの寒さになるという。思わず仕舞いこんである毛布とカーディガンをクローゼットから引っ張り出した。

「なまえくん、靴下くらい履いてください。冷えますよ」

裸足のままサンダルをつっかけベランダに出ようとしていたなまえに忠告する。君は足を冷やすとお腹が痛くなるんだから、ともう一言添えた。

「ん?わかってるよ」

なまえは少しだけ気怠げにしていたが、素直に靴下を履いたのを確認して部屋の電気を消す。ベランダの桟で躓かないように気を配りながら二人で外に出る。優しくも冷たい風が頬を撫でつけた。

「本当に見えるかなぁ?」
「今夜が極大と言っていたからきっと見えますよ」
「だといいけどなぁー」

今夜はオリオン座流星群の極大の日だ。一ヶ月ほど前にニュースで知り、なまえは安室と一緒に見たいと思っていたのだ。しかし、一番良く見える時間が深夜だということもあり諦め半分だったのだが、運よくお互い翌日が休みということがわかり安室のアパートで観測することにしていた。
都市部では夜になっても街の明かりが夜空に反射し、見えにくいということもあるが、ここは中心部から離れている上、建物がその明かりを遮ってくれた。それにベランダに面している側も外灯が少なく邪魔になるほどの光ではなかった。

「寒くないんですか?」
「んー、大丈夫」

元々なまえは寒さに強い体質だ。一方で暑さにはめっきり弱いのだが。いくら寒さに強いとはいえ、今夜の冷え込みには薄いシャツ一枚ではさすがに寒いのではないか。自分はこんなに厚いカーディガンを羽織っているのに、と安室が思ったその時。

「っ……くしゅっ」
「ほらね」

大体いつも安室の心配は的中するのだ。今回もやっぱり、となまえの頭を優しくぽんぽんと撫でて真っ暗の部屋に戻っていく。なまえは不服そうな顔を隠しもせず安室の後ろ姿を見送った後、夜空に視線を戻す。

「あっ」

その瞬間、深藍の夜空に一筋の光が零れ落ちた。



真っ暗な部屋の中、もう一度クローゼットを開けて手探りで羽織れるものを探した安室は、とりあえずこれで良いかとブランケットを手にベランダに戻った。「ねぇねぇ!」と興奮気味に話しかけるなまえに安室はにっこりと微笑む。

「ん?」
「見えた!こうやってすーって」
「へぇー、いいなぁ。僕も見たかったです」

星の流れた方向を指でなぞりながら後ろに立つ安室に説明する。安室は自分の着ていたカーディガンをなまえの肩にかけ、一方で自分はブランケットを羽織りなまえの体ごと一緒に包み込む。後ろから抱え込み、そっとその髪に鼻を寄せる。柔らかいシャンプーの香りが擽ったい。

「これで寒くないですか?」
「うん。ありがとう」

ニュースでは一時間に五個程度見られる可能性があると言っていた。でもそれはいろいろな条件が重なった場合だ。安室は別に見れなくても構わなかったが、なまえの嬉しそうな顔が見たかったし、せっかくなら一つくらい同じものを見れたら良いと思っていた。
なまえの柵に添えられた手が冷たそうで、手の甲から握りしめる。それに反応して指を絡められる。その温もりに日頃の緊張が溶けていく。なまえの傍でこの体温を感じられる時が一番癒される時間だった。二人の声が同時に重なる。

「透さん、見えた?」
「えぇ。一瞬だったけど、綺麗でしたね」

そう言うとなまえは満足そうに頷いた。一つ見えると、もう一つもう二つと欲が出てくる。この気持ちはなまえに恋した時の感情に似ているなと安室は思った。近づけば近づくほど、いろんな表情が見たくて、いろんな感情が知りたくて。そうして今は自分の腕の中にいる大切な存在。流星はすぐに消えてなくなってしまうけれど、この温かくて優しくて愛おしい存在は絶対に失くしたくないと、包み込む重みと握る手の平を強めた。

「そろそろ寝よっか」
「もう良いんですか?」
「うん。三つ見れたし、これで願いは叶うから」
「確か流れ星への願い事って、流れている間に三回願いを唱えるってやつですよね?」

よくある昔からの言い伝えだ。一瞬で消えてしまう流れ星に三回も願い事をするなど現実的にはほぼ不可能だ。だからこそ、人間はそこに憧れを抱くのだろう。

「ううん。一個ずつに一回お願いしたから、合計三回でしょ?」
「でも、それって」
「いいの。俺はそれで叶うって信じてるから大丈夫」

それはなまえの自説だったが、そこまで強く言われると本当にそうなのかも知れないと安室は心の中で納得した。それでなまえが満足なら安室は何も否定するつもりはない。

「それなら僕の願い事も叶いそうですね」
「え?」

どういうこと?と、今度はなまえがきょとんとする番だ。振り返ったなまえにぐっと瞳を近づけた。

「だって、僕の願い事は君の願い事と一緒だから」

何か言いかけようとしたその唇をそっと塞ぐ。少し冷えたそれを自らのもので優しく温めた。無音の空間で、二人の唇が離れる音だけが響く。なまえは恥ずかし気に安室の胸元に額を押し付けた。

「…冷えた。もう入ろう」
「じゃあ、続きはベッドで。ゆっくり温めてあげますよ。だって明日は休みでしょう?」

なまえの手を引いて、室内に招き入れる。そんな安室の言葉に小さく「馬鹿…」と呟くのだ。
そもそもなまえの願いが叶わないわけがないのだ。こんなに同じ気持ちを安室も抱いて、なまえを愛しているのだから。安室の言葉通りベッドで身も心も温め直すことになった二人は、素肌を触れ合わせながらもう一度唇を重ねるのだった。


───この先もずっと一緒に居られますように。




2018.07.31

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