恋人たちの昼下がり


※「ゼロの日常」の本編ネタバレがあります!サンデー44号未読の方、単行本派の方、ネタバレが苦手な方は十分にお気をつけください。
スコッチの本名(下の名前)も少しだけ登場しますので、併せてお気をつけください。







『少し抜けられるか?』と送信ボタンを押して早五分。パトロール中ならメッセージに気づくことすら難しいだろうと諦め半分でいたのだが、思いの外早くついた既読の文字に少しだけ期待が高まった。

一週間ぶりの本庁出勤。いつもなら机の上に書類は山積み、常に部下に指示を仰がれ、フロアも人の出入りでばたついているところだが、本日は意外にも落ち着いているようだ。久しぶりにゆっくり昼食を楽しむことも出来た。忙しいと昼食などはつい栄養補助食品で済ませてしまいがちだが、ちゃんと時間をかけて食事を摂ることが出来るのはとても有り難かった。午後一の会議を終えて、部下に席を外すと声をかけて来たここは窓の外に皇居がよく見渡せる。

「お待たせ」

横を見れば呼び出したその人物が微笑んでいた。窓から差し込む日差しを受けた水色の制服が目に眩しい。会えた喜びをひた隠しにしつつ、やんわりとした微笑みを挨拶として返す。

「今日のお昼はカレーかな?」
「どうしてわかったんだ?」
「んー、なんとなく。ほら、俺って零のことになると鼻が効くから」

自分の鼻に人差し指を向けながら申し訳なさそうに、かつ誇らしげに答える。確かになまえは降谷のことになると鋭い。ポーカーフェイスを得意とする降谷だが、記憶に残る限りでも彼の前で嘘をつき通せたことは一度も無い。ましてや、歯磨き、口臭エチケットまで完璧にしていたつもりが食べたものまで当てられてしまうとは。端からする気はさらさらないが浮気なんて以ての外だな、と思った。

警察庁公安部の降谷と、警視庁交通部のみょうじ。彼の仕事はいわゆる白バイ隊員というやつだ。そんな二人は警視庁の上層階にある休憩スペースで時々他愛ない話をする。お互いに潜入捜査や夜間勤務ですれ違う日ばかり。プライベートでも都合が合わないことも少なくない。そんな二人はこうしてささやかな時間を共有するのだ。それすら緊急出動で呼び出されることもしばしばなのだが。

なまえがベンチに腰掛けると同時に降谷が立ち上がる。小銭を数枚取り出して、自販機のボタンを押した。味の好みは良くわかっている。彼が好きそうな缶コーヒーを渡して彼の左側に座る。

「ありがと」
「どういたしまして」
「………ん?」

そう言ったきり、じっと降谷の顔を見つめるなまえ。そんな彼の視線に居た堪れずに顔を背けた。まるで悪いことをして怒られるのを誤魔化そうとする犬のようだと、自宅に留守番させている飼い犬のことを思い出してしまった。

「なんか変」
「何が?」
「なんでそっち座るの」
「たまたまだよ」
「零……俺に何か隠してるでしょ」

パッと立ち上がり、なまえはすぐさま反対側に腰を下ろし直す。その途端に「あー、なにこれ!」と避難の声。なまえはいつも自分の右側に座る降谷が左側に座ったことに違和感を覚えて察したのだろう。鼻が効くというか、目敏いというか…。先ほど嘘がばれなかったことなど一度もないと思い出したばかりなのに、こうやって誤魔化してしまう理由はたった一つ。彼に心配をかけたくないだけ。なまえは降谷が前髪で隠していたつもりの絆創膏に手を伸ばし、憐憫の表情で優しく触れた。

「この怪我どうしたの?また顔に傷作って…」
「まぁ、ちょっとな」
「ちょっとって何?あ、そういえば…、昨夜隣の隊の白バイが盗られたって騒ぎになってたけど、もしかして…」
「………」
「やっぱりね」

風見ですら気づかなかった事実に、さすがは自分の恋人と言うべきか。時たま発揮されるその洞察力と推理力に、交通機動隊にいるより刑事部かあるいは公安部に来た方が向いているのではないかと心の中で秘かに思ってはいたが、彼が今の職場を愛していることをよく知っているからこそ、その言葉を飲み込んだ。

「結構大きな騒ぎになってるよ」
「そうだろうな」
「零のことだから足がつかないようにやったんだろうけど」
「完璧だっただろう?」
「むしろ手際が良すぎてこれは素人じゃない、って逆にみんな躍起になってる…」

じろっと降谷を見る目は呆れに近い。それはスキルの高すぎる公安警察へか、それとも型破りな恋人へか。どちらにせよ、「参ったな…」と縋るような視線を向けて来るその目に弱くて、なまえは重たいため息を吐き出した。

「今回の件はなんとか有耶無耶にしておくけど」
「あぁ、悪いな」
「それより、もうあんまり無茶しないでよ?」
「わかってる」
「わかってないよ!あの時だって、あんなに大怪我して……本当に心配だったんだから」

あの時というのは、左腕に大怪我を負ったサミット会場爆破事件のことだ。コナンと別れた後、現場は部下や刑事部に任せて自身は体制を立て直すため本庁に戻ろうと歩いていた時、出血と過度の疲労により途中で意識を失いかけたのだ。そんな降谷を助けに来たのは風見でも公安部のメンバーでもなく、なまえだった。

「もう……俺と零しか残ってないんだからさ」
「そうだな」

自然と缶を持つ手に力が入った。なまえの指先が白んでいる。思わず手を伸ばして彼の頭をくしゃっと撫でた。
よく六人でつるんでいたあの日々を思い出す。もう四人も先に逝ってしまった。ただ仲の良い同僚だったはずが、いつからか降谷はなまえに恋心を抱くようになり、それに真っ先に気づいたのは誰でもない幼馴染の景光だった。

「もうすぐ萩原と松田の命日だったな」
「寒くなってくると思い出すね」
「落ち着いたら今度墓参りにでも行くか」

その言葉になまえは「落ち着くっていつなの」と笑う。迂闊にプライベートを晒せないからこそ、そんなことは不可能だと分かっている。現役の警察官であるなまえと、元警察官の同僚の墓参りなど。万が一にも組織の人間に目撃されでもしたら今度こそ自分の命はないだろう。それこそなまえを一人残してしまうことになる。それは彼も重々わかっているからこそ何も言わない。それでも『いつかそんな日が来たら良いね』と、いつも自分を責めることなく許容してくれる温かさに降谷は甘えきっていた。

「今年も一人で行くかなぁ。あ、刑事部の佐藤さんでも誘おうかな」
「おい」
「冗談だって。向こうにも相手いるしね。でも……」
「ん?」
「いつかはちゃんと行こうね」
「一緒にな」

いつかは、と確定の出来ない曖昧な口約束なのになまえは満足げに笑う。

「じゃあ、そろそろ戻りますかね!」

なまえは立ち上がって両腕を天井に伸ばした。その湾曲したしなやかな身体を、その腰を抱きしめたい衝動をぐっと堪える。誰も居ないとはいえ、ここは職場だ。その様なことは容易には叶わない。

「やっぱり制服はなまえが一番似合うな」
「え、突然どうしたの?」
「いや、ずっと前から思ってたんだ。出逢った時からずっと」
「……なんか、告白されてるみたい」

密やかな逢瀬の度に愛の言葉を囁き合っているというのに、未だに純粋な反応を見せるなまえが愛おしくて仕方ない。降谷に向けた赤みの帯びる頬を誤魔化そうと口を尖らせるその仕草に、降谷もまた顔に熱が集まるのを感じた。

「この週末は休みだったよな」
「そうだよ」
「それなら泊まりに来ないか?」
「…いいの?」
「あぁ。鍋でもしよう」
「うん、楽しみにしてる」

「またね」と踵を返す足取りは軽い。彼の足音が次第に遠ざかる中、投げ入れた空き缶がガコンと大きな音を立てた。

週末まであと三日。彼との約束を確実なものにするため、降谷はいつも以上に忙しなく動き回るのであった。




2018.10.09

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