ノスタルジアに融けて


▽ヒロと“安室透”の由来について捏造が著しい作品です。大目に見ていただける方のみお読みくださいませ。







だんだんと手がかじかみ始めるこの季節。俺はこの季節がどうしても苦手だった。それは寒いから布団から出たくないとか、風邪が流行り始めるとかそういったことではなくて。最愛の彼の様子が少しだけ変化するからだ。

彼と過ごすようになって三度目の冬。長期予報では暖冬だと言われていたこの冬も、昨年と変わらず厳しい冷え込みが始まっている。部屋の中にいても足元が冷え切っていて、裏起毛のスウェットとパーカーに、もこもこの靴下。膝元には厚いブランケットをかけて、温かいカフェオレの入ったマグカップを握りしめる。

「そんなに寒いか?」
「どうして零くんは平気なの?」

彼の足元を見れば、自分とは真逆に素足だ。夏場はほとんど裸に近い格好で寝る彼も、流石に最近は服を身につけて眠りに就いているとはいえ自分と比べれば遥かに薄着だ。

「着込むのが好きじゃないからかな」

部屋の暖房を2℃上げて、ブラックの入ったそれをテーブルに置く。並ぶようにソファに腰掛け包むように指先を握れば、じんわりと彼の温もりが伝わってきた。温かくて大きな手。きっとその手で数え切れないほどたくさんのものを守ってきたのだろう。彼が大切にしていた一部の人を除いては。

「相変わらずなまえは冷え性だな」
「……零くん」
「ん?」
「つらいの?」

そう聞けば、彼は一瞬表情を曇らせるものの、すぐに諦めたかのようにやんわりと微笑んだ。片手を自分の腰に回して、徐に頭を肩口に寄せる。片側に感じる重みに愛おしさを感じて、彼の髪に鼻を寄せればふんわりと甘い匂いが漂ってきた。

「何かおかしかったか?」
「ううん。でも、この時期はいつもそうだから」
「やっぱりなまえには隠せないな…」

重ねた掌の指を一本一本辿るように撫でる。指の腹を爪で引っ掛かれて、ぞわりと全身に鳥肌が走った。そんななまえの様子にくすっと笑った彼は楽しそうだが覇気はない。

「いつから気づいてた?」
「んー、十一月に入った頃かな」

“ハギ”と“松田”

彼の口から聞いていたその名前。過ぎし十一月七日は彼らの命日なのだと、手帳に書かずとも覚えてしまった。

彼の同期で、警察学校時代には一緒にふざけ合い、切磋琢磨した友人なのだと懐かしそうに話してくれた。中でも一番もてていたのはハギだったようで、『なまえがハギと出逢わなくて良かった』と過去に呟いていたのを今でも覚えている。

十一月の二人。そして二月の伊達。そして、彼の最も大切な幼なじみの命日。それらは時を経た今でも少なからず彼を苦しめ、そして確実に彼の心を締め付けていく。

数週間前から彼の表情が優れないことには薄々気付いていた。少しだけ引きつった笑み、ふとした瞬間に零す溜息。きっと彼のことだから外ではその様な様子は一切見せないのだろう。それに、普通の人なら分からない。それだけ彼は自分を取り繕うことに長けている。そうでなければ三つの顔を使い分け、生死を掛けて神経をすり減らすような仕事をこなせるわけがない。それでも自分は彼の恋人だから、ちょっとした機微を感じ取ることが出来る。そして、二人でいる時にだけ見せる僅かな違和感に敢えて触れていく。絶対に自ら弱音を吐かない彼の心を解きほぐすことができるのは、自分しかいないのだから。

「特にヒロの命日はきついんだ…」

そんな台詞を吐いた彼の手に少しだけ力が入る。先の三人に比べ、彼が今しがた口にした名前の男は彼にとって最も重要で大きな存在だ。幼馴染かつ同期。小さい頃から苦楽を共にし、同じ夢を共有してきた彼への想いは特別なものだろう。

そんな彼に、少しだけ嫉妬する自分が卑しい。今は亡き人なのに。それでもひたすらに彼の特別な存在であり続けるそんな彼に、羨む気持ちを持たずにはいられなかった。今、彼の一番の存在は自分であることは分かっている。自信がないわけでもない。それでも強くて、勇敢で、聡明な彼にこんな顔をさせることが出来るのはあの彼しかいないのだと思うと、本当に愚かだと分かりつつも浅はかな気持ちを抱かざるを得なかった。

「でも俺はちょっとヒロが羨ましいよ」
「…どういうことだ?」
「だって、ずっと零くんに想って貰えるんだもん」

ふと顔をあげた彼の顔を覗き込めば、きょとんとした瞳が自分のそれを捉える。彼にしてはあまりにもあどけなくて幼い表情に頬が緩む。

「ごめんね、こんなの不謹慎だよね…」

重ねていた掌を両手で包み込み、今度は自分が彼の肩に頭を乗せる。少しかさかさした骨ばった手をぎゅっと握り締めた。

「僕が今一番大切なのはなまえだよ」
「うん。分かってる」
「不安にさせてすまない。でも、ヒロは本当に特別な存在だったんだ…」

もう過去のことだと。終わったことだと気丈に振る舞っている彼の中で、ヒロの死を未だに受け止め切れていないことなど明白だった。恋とか愛とか、そういった感情を越えた先のもの。まるで兄弟のように毎日を過ごしてきた彼の抜けた穴は、このたった数年では埋めきれないほど大きい。

「この仕事に就いた時からいつかは、って覚悟はしてたんだ…」

頭の上からすんっと鼻を啜る音が聞こえ、震える語尾に彼の瞳から涙が溢れ出した。重ねていた掌で彼の頬に触れる。零れ落ちるそれにそっと唇を寄せれば彼はくすぐったそうに少しだけ顎を引いた。

「それでも、ずっと一緒に居れるってどこかで思ってたんだ」
「うん」
「それに、もしかしたら……なまえともいつかそうなるんじゃないかって、いつも考えるんだ…」

涙に濡れた瞳が不安げに揺れる。彼のこれほどまでの弱々しい姿に最初は戸惑ったものの、今では自分にだけ見せる四つ目の顔なのだと自尊心が満たされる。

「先のことなんて分からないけど、もしいつかそうなったとしても、俺はいつだって零くんの傍にいるから。きっと、ヒロも同じだよ」

「ね?」と微笑めば、強張る彼の表情が少しずつ柔らかくなる。まるで灯火がともるように頬に赤みが差して、触れたそこから温かな熱を感じた。彼の両腕に閉じ込められてその表情は見えなくなるけれど、「ありがとう、なまえ」と囁いたその音色には深い愛情が籠められているのが分かる。

「零くん、ずっと気になってたんだけど…」
「うん?」
「“ゼロ”ってあだ名はヒロが考えたんだよね?」
「あぁ」
「じゃあ、“安室透”って名前も?」

強くて美しくて、それでいてどこか儚げな彼を象徴するようなその名前はまるで彼にぴったりで、きっと彼のことをよく知る人物が名付けたのだろうと。きっとそれがヒロであることも、言わずとも察していた。

「そうだよ。どうして?」
「零くんにとても良く似合ってるから、きっとそうなんだろうなぁって思ったの」
「………」
「零くんの大切な名前、俺も大事にしていきたいから」

少しだけ身体を離して覗き込んだ彼の表情は見たことないほどに赤く染まっていて、此方までも恥ずかしくなる。視線の行き先を定められずに彷徨わせていれば、ふいにこつりと合わさったお互いの額。ヒロが名付けたという名前の通り、透き通るような瞳に吸い込まれる。

「好きだよ、なまえ」
「うん」
「好きなんだ、本当に」
「俺も、透くんが好き」

愛する人の、特別な名前を初めて口にする。慣れない呼び方にそれまでの甘い空気は一瞬にして消え去り、お互い笑いが止まらなくなる。そんな彼との他愛無い時間がとても愛おしい。

「ねぇ、今年も聞かせてよ。警察学校の面白い話」
「あぁ」

冷めきってしまったマグカップにもう一度、次は温かなココアを注いで。今度はブランケットも半分こ。

「あれは真夏の早朝ランニングのことだったんだ──」

絡ませた指。肩にかかる重み。頬に触れる柔らかな髪の毛。心地よい彼の音色。
広い世界の片隅で、今ここにある幸せを精一杯に噛み締めた。




2018.12.03

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