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楽しかった思い出も、嬉しかった出来事も、一緒に乗り越えた悲しみも。全て一瞬でモノクロになるんだ。



「ただいまー」

食材の入ったビニール袋をぶら下げて、帰宅する土曜日の午後。今日はせっかくのお休みだから、少し豪華にしてみたんだ。たまにはしゃぶしゃぶなんていいね、と話していた数日前。お肉は国産牛にしたし、野菜も多めに買い込んだ。喜んでくれるかな、と彼の笑顔を思い浮かべて。

住み慣れたアパートに着いて鍵を探すためにカバンを漁ると、ビニールの取っ手が腕に食い込んだ。鍵を回して扉を開けたが反応なし。靴があるから出掛けてはいないと思うのだが。いつもなら出迎えてくれるのに。

「ただいま」

もう一度声をかけてリビングに入る。ソファに背を預けて床に座り込む彼の姿。電気もつけずにどうしたのか。

「どうしたの?体調でも悪い?」

その尋ねにふと反応する彼は緩慢な動きで俺を見る。無表情なのに、その目だけは確かな意思と光を宿っていて、ひどく胸騒ぎがした。夕暮れのオレンジの光だけがこの部屋に差し込んでいた。


▽▽▽


彼と出会ったのはなんてことない、当たり前の偶然だった。週末ポアロでアルバイトをしていると見かけるようになった彼の姿。ここに通うようになっていたのはいつからだったのだろう。意識していなかったから全く気づかなかったが、いつの間にか毎週末同じ姿を見るようになった。

小柄というほど小柄でもなく、細身というほど細身でもなく。至って普通の青年だ。その色白な肌と、誰にでも好感を与える清楚感のある顔を除いてはどこにでもいる男だ。
時には一人で、また時には連れを伴い。そのもう一人が彼の特別な人なのだと分かるには多くの時間はかからなかった。彼の薬指に光るリングと同じものが、彼と向かい合う男の指にも存在していたから。そして何より男を見る目が愛情と優しさで溢れていたから。

「コーヒーとミルクティーです」

二人のテーブルに運ぶ。毎回同じものを注文するからもちろん覚えてしまった。彼は温かいミルクティー。もう一人はブレンドコーヒーだ。ミルクはいらない。添えるのは角砂糖を一つだけ。

「あ、店員さん」

彼らのテーブルにドリンクを出してカウンター内に戻ろうとすると呼び止められた。

「はい?」
「あの、ここのおすすめとかありますか?少し食べたいんですけど」
「それならハムサンドがおすすめですよ」

お決まりの営業スマイルでそう告げると、彼はもう一人に「それでいいよね?」と確認してハムサンドを注文した。珍しい。いつもはドリンクだけなのに。
彼の恋人は無愛想でぶっきらぼうな男のようだった。いつもお会計は男の仕事だ。会計をしてる間も男が言葉を発したことは一度もなかった。その代わりに彼が言うのだ。「ご馳走さま」と。
扉のベルが鳴る。彼らが去った後も何故か気になって扉の外を見ていた。彼がお財布からいくらか取り出して男に渡すも、いつも断られているようだった。そんな男に対して彼は唇を尖らせながらまたそのお札を財布に戻すのだった。
なんてことない幸せそうなカップルだった。またこの週末もきっとポアロに来るのだろうと思っていたし、なぜか自分はそれが少し楽しみだった。彼らを見ると自分の殺伐とした日常を忘れられるよう気がしていたからだ。

そう。今日、この時まで…
彼らの幸せは永遠に続いていくものだと思っていた。今にも降り出しそうな曇り空の下、虚ろな表情で歩く彼を見かけるまでは。




2018.08.01

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