Melty kiss


▽if設定。既に付き合っている二人。本編とは切り離してお読みください。







街が煌めき、人々がどことなくそわそわと浮足立つこの季節。それは年末だとか、師走といった忙しなさだけではないだろう。一年で最も盛大なイベントと言っても過言ではないクリスマスだ。そんな本日は12月24日─クリスマス・イブ。心躍らせるのは街を歩くカップルだけではない。なまえも例に漏れず、この日が楽しみで仕方なかった。

部屋のドアにはリースを掛けて、リビングには小さな可愛らしいツリー。テレビ台にはサンタの入ったスノードームを。百均で少しずつ買い集めたクリスマス用品を飾れば、部屋の主──安室は「また買ってきたんですか?」と言いながらも一緒にこの季節を楽しんでくれる。

最近は便利だ。AI機器に「クリスマスソングをかけて」と言えば無作為に選び出されたそれが部屋の中を流れる。楽し気なリズムに乗りながら今夜の準備に取り掛かる。今日は彼と過ごす初めてのクリスマス。男同士とはいえ、一般の恋人同士と同じように楽しみたいと思う気持ちは当たり前のことだろう。

終了のメロディーと共にオーブンの音が消える。ミトンを嵌めて取っ手を引けば、中には焦んがりと見事なキツネ色に焼き上がったスポンジが顔を出す。これは安室のこだわりだ。クリスマスにはケーキが欠かせないだろうと、いつも作り慣れている半熟ケーキではなく本格的なスポンジでそれを作ろうと言い出したのはほかでもない彼だ。共に数回練習を重ねては当日はシフトが入るであろう自分の予定を考慮し、なまえのために材料から作り方まできっちり指示されたお手製のレシピを置いていったのである。それも可愛いイラスト付きで。そんなことを卒なくこなす安室にはやはり感服する。

「よしっ」

程よく冷めたスポンジを型から外し、二段に切り分ける。安室のように器用は出来なかったが、それでも上出来だろう。スポンジの端が少しだけ欠けてしまったが、これはクリームを塗れば問題なく隠せる。これも全てあのレシピに書いてあったものだ。

生クリームを泡立てて、イチゴを取り出す。この時期独特の酸っぱさが勝る爽やかな香りが鼻を突く。生クリームの甘みとイチゴの酸味を想像しただけで、涎が零れそうになる。トントンと先細の包丁で切り分けていた時、予想外に鳴った部屋のチャイムに急いで手を洗い玄関先に向かった。

「えっ、安室さん?もう帰ってきたの?」

そこにはチェスターコートを身に纏った彼の姿。きっと外は酷く寒かったのだろう。靴を脱ぐために荷物を預かった際に触れた指がとても冷え切っていた。寒々しい首元が気になるが、彼は至って平気そうだ。

「今日は思いの外、お客さんが帰るのが早かったんですよ。マスターが上がってもいいと言ってくださったのでそうさせてもらいました」
「そうなんだ。良かったね」
「えぇ。『安室くんも予定があるんだろう?』ってね」

誰もが惚れこんでしまうような笑顔でそれを言うのは反則だ。まるでこちらの反応を楽しむかのように口許を緩ませる彼が憎たらしくて、横を通り過ぎる時、少しだけわざとぶつかってやった。焦ったように「本当にそう言われたんですって」と弁解する彼を振り返ってじと目を向ける。でも、その困ったような笑顔にも弱いのだからどうしようもない。

「これ、チキンです」
「あっ、ありがとう!」
「すごい行列でした。予約しておいて正解でしたね」

普段食べないチェーン店の赤いパッケージから溢れ出すスパイスと肉汁の匂い。普段は自炊などでファストフードを控えている分、たまにはこういうものが食べたくなる。クリスマスと言えばやはり赤い看板に白髭のおじさんだろうと安室が言い出し、ポアロの帰りに買ってくる約束をしていたのだ。ちゃっかり予約までしていたとは知らなかったが、存外彼もきっとこれを楽しみにしていたのかもしれない。

「もう少しでケーキ終わるから」
「スポンジもちゃんと焼けたみたいで良かったです」
「それは、安室さんのレシピが完璧だったから…」
「なまえくんが頑張ったおかげですよ」

よしよしと、小さな子どもや子犬にするみたいに、大きな掌で頭を掻き回されて嬉しさと恥ずかしさが綯い交ぜになる。見上げれば温かな眼差しで自分を見つめるその瞳とぶつかって、あからさまに目を逸らした。

「僕も準備手伝いますよ。待っててください」

そんな自分の様子に小さな笑みを浮かべながら。上着と荷物を置きに部屋に消える彼の背中を自然と追いかけた。

並んでキッチンに立つ。ツリーのデコレーションはどこに置くとか、チョコレートのプレートはどうするとか。そんな些細な会話に心弾ませる。クリスマスなんて何度も過ごしてきたはずなのに、一瞬一瞬が楽しくて仕方なかった。去年の今頃は想像もしていなかった光景。ふと前にお付き合いをしていた彼とのデートが頭をよぎった。イルミネーションを眺める男女のカップルに混じって、人混みとこの暗さで誰も気づかないだろうとそっと手を繋いだ。そんな彼との日々がずっと続くと思っていたあの頃。それが突如崩壊し、今は安室が隣にいる。名前も知らなかったはずの店員が、まさか自分の大切な人になるなんて。人生なんてどうなるか全く分からないことだらけだ。

「…くん?なまえくん」
「えっ」

我に返って振り返れば心配そうに見つめる安室の姿。うっかり物思いに耽ってしまった。今はこんなに大切な彼が傍にいるというのに、あまりにも不謹慎だ。

「…ごめん」
「いえ。大丈夫ですか?体調でも悪いのかと」
「ううん、大丈夫」
「では、僕のことを忘れてぼーっとしていた罰にこうです」

ぴとっと余った生クリームをなまえの鼻先につけて、わざとらしくリップ音を立てて離れた彼にはきっと全て見透かされていたのだろう。自分のこと以外考えるな、と。そんな風に言われたような気がしてならない。熱の集まる顔を見られたくなくて、彼の胸元にすり寄れば彼の嬉し気な笑い声が頭上から降ってきた。


▽▽▽


生ハムやスモークサーモンなど色とりどりに盛り付けられたサラダに、テリーヌなどのオードブル。安室が買ってきたチキンを、奮発して購入したシャンパンと共にいただく。テーブルに並べられているものはどれも普段とは違うものばかりだが、二人の会話はいつも通りだ。朝起きて何をしたとか、昼間のテレビはどんな特集をしていたとか、ポアロには誰が来たとか。普段と何も変わらなかった。今日がクリスマスということを除いては。

「あー、お腹いっぱい」
「なまえくん、ケーキあるの忘れてるでしょ」
「そうだった」
「せっかく作ったんですし、少しだけでも食べましょう。コーヒー淹れますね」

こぽこぽと心地いい音色を立てながらコーヒーが少しずつ落ちていく。その香りに一度は引っ込んだはずの食欲が再び目を醒ます。食事をとっていたダイニングテーブルから、ソファー前のローテーブルへ。自然と二人の距離は縮まる。肩が触れ合うその距離に甘さを抱かずにいられなかった。

「なんだか切るの勿体ないね」
「そうですね」

切り分けるのも安室はお手の物だ。縁の彩られたお皿に立てられたケーキがどことなく誇らしげに見える。断面から覗く積み重なったイチゴの赤が色鮮やかに映えていた。

「なまえくん、どうです?」
「ん?コーヒー美味しいよ」
「違いますよ、ケーキです」

些細な勘違いにも安室は全て優しい笑みで返してくる。めでたく付き合い始めてだいぶ日が経ったというのに、彼がこうしてプライベートで見せる空気に未だに慣れることが出来ない。まるで全身をもって愛を伝えられているようで直視することが出来ないのだ。やはり今回もいつもと変わらず、俯いたまま「美味しいよ」というなまえに彼は満足げに「それはよかった」と零すのだ。

「安室さんと作れてよかった」
「そうですか?」
「うん、すごく楽しかったから」
「……貴方はそういうとこありますよね。突然素直になるというか」

横目で彼を伺えば、呆れ半分に満足そうな表情。彼の前で強がって素直になりきれないのは自分でもわかっている。それも仕方のないことだ。今までこんなに甘いそれに触れてこなかったのだから。

「あのね。安室さんにプレゼントあるんだ…」
「本当ですか?僕もなまえくんに用意してるんです」
「ちょっと待ってて。取ってくるから」

するりと彼の腕から逃げ出して。腰に回されていた腕のぬくもりが寂しくないと言えば嘘になるけれど、今のタイミングを逃したらいつになっても渡せない気がしたから。一ヶ月前からずっと悩んで、何店舗もお店を回って選び抜いたこれをちゃんと彼に渡したい。自分の中の彼のイメージに合わせて選んだプレゼント。赤と緑の包装紙に包まれたそれを抱えてリビングに戻れば、同じようにプレゼントが入っているであろう小箱を手にした安室の姿。ソファーに腰かける彼に合わせて定位置に戻った。

「メリークリスマス、なまえくん」
「俺も、これ安室さんに。メリークリスマス」
「開けてもいいですか?」

お互いにリボンとテープを剥がして。包み紙を外せば箱には同じロゴが一つ。まさか、とお互いの目を合わせて。そっと蓋を開ければ、なまえの手元には温かそうなベージュの本革の手袋。そして安室には白を基調としたカシミアのマフラー。

「ありがとうございます。素敵なマフラーですね」
「安室さんいつも首元寒そうだったから」
「バレてましたか」

白を選んだのは安室のイメージに近かったから。彼の乗る愛車が白というのもあるが、彼の持つ透明感や正義感が“白”という色にとても似合っていたからだ。

「安室さん、これ…数量限定のやつだよね?」
「えぇ」
「ありがとう。すごく嬉しい。安室さん忙しいのに…本当にありがとう」

思わず手袋を手に満面の笑みで肩に凭れ掛かるなまえに、安室は愛おしさが溢れた。彼は追及しなかったが、プレゼントしたそれは数量が限定されているだけでなく、発売も本店で一日限りというプレミア物だ。同じブランド品を選んだなまえももちろん情報を仕入れていたが仕事の関係もあり、どうしてもその日に買いに行くことができなかった。手袋よりも安室にはマフラーを、と思っていたなまえは少し未練を残しつつも泣く泣く諦めたのだ。

「まさか同じブランドを選ぶとは思いませんでした」
「ほんと気が合うね。これ、大切に使うね」
「僕も、大事にします」

お互いに微笑みを交わして。肩に添えられた安室の手が彼のそれを引けば、もう少しで唇が触れ合おうというところ。なまえのはっとするような「あっ」という声にそれは断ち切られた。

「どうしました?」
「あ、安室さん!雪!」

その言葉に背にしていた窓の外を振り返れば、そこには確かに白い結晶がちらついていた。まさかクリスマス・イブ当日に雪が降るなんて珍しい。自分の記憶では経験したことがなかったような気がする。

「ベランダ行こ、安室さん!」

一気にテンションの上がったなまえは小さな子どものようにはしゃいでいて、それもまた愛らしい。そのままの格好で外に出ようとする彼を呼び止めて、「なまえくん、これ」と先程あげたばかりの手袋を手渡す。いそいそと両手に嵌めて、「じゃあ、安室さんもね」と白いマフラーをくるりとひっかける。温かな手袋に包まれた手で引かれて、きんきんに冷え切っているであろうベランダへ腰を上げた。

「うわー、すごい」
「ホワイトクリスマスですね」
「こんなの初めて」

少しだけ手を伸ばして手袋の上に降り積もる結晶を集めた。風のない夜にふわふわと舞い降りる白い雪。部屋の明かりに照らされて、素朴ながらもきらきらと輝くそれは、あの日見たイルミネーションよりも圧倒的に美しく感じた。お互いに言葉は発せず、幻想的な光景に心を奪われて。そっと絡められた彼の掌に少しだけ目頭が熱くなった。

「安室さん」
「はい」
「一緒に見れて良かった」
「えぇ、僕もです」

なまえの体を抱きしめて。艶のある髪に頬を寄せれば、ひんやりとした温度が伝わってくる。ずっと想い続けて、それでも一時は諦めかけた人が腕の中にいる。そしてこんなに大切な時間を一緒に過ごすことが出来て、これ以上の幸せはないのではないかと。ぎゅうっと抱きしめたその中から、身じろいで顔を上げたなまえが「好きだよ」と幸せそうに言うものだから、感情が溢れて止まらなくなる。

「僕も大好きです。これからもずっと一緒に居てくださいね」
「うん、もちろん」

そっと唇を寄せて。柔らかなそれを何度も啄む。時折深く唇を重ね合わせて、薄っすらと降り積もる雪を溶かすほどに、熱いキスをした。




Merry christmas…☆
2018.12.24

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