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深夜一時。
いつもならとっくに寝てるはずの時間だ。しかし、未だに帰宅しないなまえを思って玄関を見るが、物音一つしなかった。

今夜は飲み会だと前々から聞いてはいたが、こんなに遅くなるとは思っていなかった。今日は金曜日だし、明日が休みのなまえにとっては遅くなったとしても差し支えないのかもしれないが、年間の休みがほとんどない安室にとってはサラリーマンとはこういうものなのかと少し疑問に感じていた。

いい歳した大人なのだから、酔っ払って電柱にぶつかろうと、財布をすられようと自己責任だとは思うが。それが想い人となれば事情は異なる。とりあえず、一度連絡を入れてみようかとスマホのアドレス帳を開いたところで手の中のそれが震えた。当の本人からの着信だ。

「もしもし?」
『あー、あむろさぁん?』

話ぶりから電話先の相手は相当酔っ払っているらしい。そりゃあ僕の番号にかけてるんだから僕でしょうよ、というツッコミはすぐさま引っ込めた。そんなことを言ったところで無駄に終わるだけなのは目に見えている。なんたって相手は酔っ払いだ。

「なまえくん、今どこですか?」
『うーんとね、駅降りたとこー。今コンビニの前だよぉ』

このアパートは駅から歩いて5、6分だ。ただし普通に歩ければ、の話だが。

「歩けるんですか?」
『んー、歩けるよ?』
「迎えに行きましょうか?」

本当なら今すぐこの部屋を出て彼を拾いに行きたかった。この街は何かと物騒な事件が多いから、無防備な彼が何かに巻き込まれることも無きにしも非ず。しかし、自分はただの同居人であり、恋人という枠に収まっているわけでもない。それになまえ自身も『いいよー、大丈夫。あむろさん、お風呂入ったんでしょお?平気平気〜』と呂律の回らない口調で安室を諭していた。正直心配で仕方なかったが、10分だけ様子を見ることにしよう。

「分かりました。10分経っても帰ってこないようならすぐに探しに行きますから」
『んー……過保護?』

こちらがどれだけ心配しているかも知らないで、よくもまぁぬけぬけとそんなことが言えたものだ。と、関係のある立場なら言えたものの、ここまで出かけた言葉をぐっと引っ込めた。


▽▽▽


ピンポーンと、間抜けなチャイムが鳴る。時計を見れば、電話を切ってからちょうど10分。もうそろそろ迎えに出ようかと思っていたが、なんとか自力で帰ってこれたようだ。

「おかえりなさい」

そうドアを開けた先に見た彼の姿にギョッとした。眠たげに涙を滲ませる目元。お酒で紅潮した頬。少し開いた唇。ネクタイの緩められた襟元。なんて格好してるんだ。目も当てられないと思わず靴箱へ逸らした視線をもう一度なまえに向ける。

「…ひどい格好ですね」
『ちょっと、あむろさん!?』

僕の目にも毒だ、と。そのまま彼の体を抱き締めた。近づいた距離にお酒の匂いをより強く感じる。とにかく無事に帰ってきてくれて良かったが、やはり問答無用で迎えに行くべきだった。こんな状態ならどこで誰に襲われてもおかしくなかっただろう。以前から薄々感じてはいたが、なまえは自身の容姿が他人の目にどう映っているか全く理解していないようだ。

「どんだけ飲んだんですか」
「んー、ビール二杯と…ハイボール三杯だったかなぁ…?」
「飲みすぎですよ」

今日は取引先の営業と飲み会だと、半分接待なのだと聞いていた。それならお付き合い程度に飲めばいいものの、普段の量を超えて飲むやつがあるか。なまえは特段お酒に弱いわけでも、飲めないわけでもなかったし、安室とだって何度か酒を交わすことはあったが、飲み過ぎることは一度もなかった。何か仕事のストレスでもあったのだろうかと、いつもと違った彼の様子に心配になる。

「とにかく上がって、お風呂に入ってください」
「えー、めんどくさい」
「君はその格好で僕のベッドで寝ようというんですか?いいからさっさと入る」

「だったらソファーで寝る」なんで言い出しかねなかったが、こちらが一方的に言い切れば渋々と言った顔で不満を残しながらも諦めたようだ。タオルや寝巻きは彼が風呂に入ったのを確認してから持っていけばいい。それから飲みすぎた彼のためにホットミルクを用意しておこう。



「出たよー」
「少しは頭冴えましたか?」
「いや、すっごい眠い…」

目元を擦り、両の掌で顔を覆うなまえは本当に眠くて仕方ないらしい。隣からあーだの、うーだの呻き声が聞こえてくる。その声に苦笑いしながら、安室は腰を上げた。

「仕方ないですね。髪乾かして上げますよ」

洗面所から持ってきたドライヤーをセットし、ソファーに腰掛けた自分の両脚の間になまえを座らせる。「いいの?」と身を捻らせて見上げてくる彼に「じっとしててくださいね」と声を掛け、後ろから温風を当てていく。次第に水気を失った艶のあるさらさらとした髪の毛が指の間をすり抜けていった。その間もなまえは眠気と戦いつつも何度も陥落し、頭をガクンガクン揺らしながらなんとか体勢を保っている。そんな彼にばれないように安室は静かに頬を緩ませていた。触れたくてもなかなか触れられなかった彼に、今日はこんなにも堂々と触れることができるのだから。先程抱きしめた時の温もりを思い出せば、尚更に熱が高まった。

「終わりましたよ」
「…うん」

名残惜しさに乾ききった髪の毛をもう一度梳いて。ドライヤーのコードを束ねながら立ち上がれば不意にその掌を掴まれた。「なまえくん?」と問いかければ、彼は潤んだ瞳のまま見上げてくる。そんな彼の様子に必死に保っていた心が大きく揺らいだ。

「安室さんさ……ずっと起きて待っててくれたんだよね?」
「えぇ、まぁ」
「…ありがとう」

申し訳なさそうに眉を垂らして、それでも少し嬉しげに頬を赤らめて言うなまえに心を鷲掴みにされたようだった。「その言葉だけで充分ですよ」と、絞り出すようにその一言を返すのがやっとだった。

「僕はそこで寝ますから、なまえくんはさっさとベッドで寝てくださいね」

なんとかいつもの自分を取り戻して告げれば、握った手を強めて「あのさ…」と零す。今度はなんだと安室は首を傾げた。

「安室さんが良ければだけど……一緒に寝よ?」

自分に選択肢を与えられているようで拒否権はないように感じた。この答えなど、一つしかない。

とにかくなまえを寝室に押し込んで、寝る準備をしてくると言い訳をして洗面所に避難した。これは酒の所為なのか、それとも…。なまえと同じベッドで寝るだなんて考えただけでも心拍数が上がる。自分だっていつかは、と思っていたがまさかこんな不意打ちに。それも酔った勢いとはいえ彼から誘われるなど予想だにしていなかった。

「しっかりしろ、降谷零!」

自分の頬を一回だけ強めに叩いた。絶対に狼になってはいけない、何があってもだ。

寝室を覗けば既に彼は眠りについているようだった。ご丁寧に自分のスペースを半分空けて。ここで逃げては男が廃ると、その空間に体を滑り込ませる。

「なまえくん…」

相手がぐっすり眠っていることを確認し、その体に腕を回してそっと抱きしめた。温かい。そして、とても優しい気持ちになれる。温もりを感じてか、なまえも無意識に安室の寝巻き代わりのTシャツをきゅっと握った。その赤ん坊のような動作にさえも愛おしさが募って堪らない。そんな彼の純粋さに、狼にはなるなと念じていた自分が恥ずかしくなった。

「あ…ろさ……」

寝言だろうか。自分の名前を呼んでいたような気がしたが、あまりにも不鮮明で聞き取れなかった。しかし、この握り締められた手の強さだけは確かだ。

「おやすみ、なまえくん」

艶やかな前髪にキスを一つ落とし、そっと瞳を閉じた。




2019.01.23

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