薄紅の修学旅行


▽アニコナで放送された「紅の修学旅行編」からの派生作品です。アニメを見ていなくても差し支えありません。







「え?修学旅行ですか?」

通りに面した窓から、暖かな秋の日差しが差し込む平日の午後。珍しく来客のないポアロには安室と制服姿のなまえの二人だけだった。

「それはいつなんですか?」
「再来週かな」
「行き先は?」
「京都だって」

美術部員が描いたイラストが表紙の修学旅行のしおり。それをカウンターに広げながら、観光地は何処を巡るのか、泊まるホテルは何というところなのか一つ一つ説明していく。清水寺や金閣寺など有名どころが目白押しだ。自由行動の時間には何処で昼食を食べるのか、班行動で一緒の同級生が美味しいお店を調べているのだとか。楽しげに話すなまえを前に、安室は温めたティーカップに紅茶を注ぐ。ソーサーには彼の好きなクッキーを一つ添えて。今日は彼しか居ないから特別だ。

「あ、でも……透さんが嫌なら行くのやめようかな」
「どうしてですか?」
「だって、皆とお風呂入ったりとか嫌でしょ?」

突然に此方の様子を伺い始めたなまえに笑みが漏れる。楽しみな気持ちを隠しきれずに先程まであんなにはしゃいでいたというのに、どうやら安室の機嫌を伺っているらしい。そりゃあ可愛くて仕方ない恋人が、同級生とはいえ知らない男と裸の付き合いをしていると思えば良い気持ちはしないが、それはあくまでも修学旅行という範囲内でだ。彼のことは信頼しているし、もちろん浮気を疑うはずもない。ただ、愛おしい恋人の裸を誰かに見られているのではないかと思うことだけが唯一気がかりなのだ。

「でも、一生に一度の修学旅行ですから楽しんできてください」
「え、いいの?」
「えぇ、もちろん。お土産話たくさん聞かせてくださいね」
「うん!」



と、安室の笑顔に送り出されて修学旅行に来たのはいいが……なんせ班が悪い。メンバーが豪華すぎるというか、目立ちすぎるのだ。中道はともかくとして、同じグループの女子三人は帝丹高校裏人気投票でトップ10に入っているともいわれる毛利、鈴木に世良。そしてもう一人の男はかの有名な高校生探偵・工藤新一だ。事前の班分けからおおよそ予想はついていたものの、その顔ぶれを知った他クラスの友人から羨ましがられている。悪い面子ではないが自分の恋人は安室透なのだから、メンバーが人気の女子であれ有名な名探偵であれ、関係はないのだが。

それに工藤に至ってはクールに装いながらもデレデレしてるのが丸分かりだ。どうやら噂によれば彼はロンドンで毛利に告白したとか。確かに工藤は顏が整っているし、毛利も人気ランキングに入るくらいなのだから可愛い部類だ。二人が並んでいればお似合いという言葉の通りだ。

「あっれー?もしかして、あんた。蘭たちに妬いちゃってんじゃないのー?」

ふと後ろから声をかけてきたのは鈴木だ。先程まで毛利を囃し立てていたと思ったらいつの間に…

「そ、そんなわけないだろ…」
「へぇー、どうだかねぇ?本当は『俺も一緒に京都来たかったな〜』なんて思ってたんじゃないのー?」
「はぁっ!?」

待て待て待て。どうして今の流れからそんな話になってしまうんだ。そもそも自分に恋人が居るだなんて誰かに言ったことも、聞かれたこともないはず。それにその様な話をするほど鈴木と仲良くなった覚えも無いのだが、ここで変な噂が立てば安室の迷惑になってしまう。恐る恐る鈴木に「どういうこと?」と問えば、彼女はにやついた顔をさらに緩ませながらこう答えた。

「だって、みょうじってあの安室さんと付き合ってるんでしょ?」
「なぁ。安室って、あのポアロの店員のことか?」
「そう!あのいかにも王子様って感じのイッケメーンな店員さんよっ!」
「へぇー…安室、ねぇ」

世良まで加わってしまい話が大きくなる。つぅーと背中に汗が伝った。いや、実際にはそのような気がしただけかもしれないが背筋が凍ったように寒くなる。なんで知られてるんだ。そして、何故世良はそんな訝しむような眼を向けるのか。安室と何か関わりがあるのだろうか…。

彼は帝丹高校の女子生徒にも有名で人気だし、なまえと付き合っているという事実が公になれば忽ちに広がるだろう。それを考慮してなまえが安室と会うのは客を装いポアロに行くか、もしくは彼の自室に限られていた。それも二人で歩いている姿を見せぬように、なまえが彼の部屋に通う形で会っていたというのにどうしてばれてしまったのか。

全く思い当たる節がない。いや、嘘だ。一つだけある。それはいつものように学校帰りにポアロに寄り、彼とカウンター越しのお喋りという名の密会を果たした後のこと。お会計をこっそりと彼持ちにしてくれた安室と別れ、ポアロと出た時、ふいに追いかけてきた彼に手首を掴まれて引き寄せられ、キスをされたことがあった。それも毛利探偵事務所へ繋がる入口の陰で。あの時は久しぶりの接触で興奮し、お互いに外ということを忘れて貪りあってしまったため、タイミング悪く帰宅した毛利に見られてしまったのだ。途端に頭の中が真っ白になってしまったなまえの代わりに、安室がやんわりと『蘭さん。このことはここだけの秘密にしてくださいね』と彼女に念押しをして いたはずだが、 もしかして彼女はそれを周囲に言いふらしていたのではないか。彼女もれっきとした噂好きの女子高生だ。そのようなことがあってもおかしくはないと、工藤の隣に並ぶ毛利をじと目で睨めば彼女は焦ったように首を振った。

「ま、まさか。確かに安室さんは話しやすいし、気が合うけど男だよ?そ、そんなわけないじゃん…」

苦し紛れに言い訳すれば、鈴木は納得できないという顔で此方を見ていたものの暫くして諦めたようで、彼女は世良と違う場所から景色を観に行こうとその場を離れていった。とりあえず良かったと、ほっと胸を撫で下ろす。このことは一応安室に報告しておいた方が良さそうだ。彼は頭が良いし、機転が利く。きっと何か対応策を考えてくれるに違いない。

「みょうじくん、大丈夫だった?」
「え?」

あとで安室に送ろうと清水の舞台から写真を撮っていたなまえに次に話しかけてきたのは工藤と行動していたはずの毛利だ。

「さっき、園子に聞かれてたでしょう?」
「ま、まぁ…」
「あれね、この間、園子がうちに来た時にちょうどカウンターで話してる二人を見かけて…」
「うん」
「覗き見は良くないよって言ったんだけど、安室さんがみょうじくんの頭をぽんぽんってしてたから園子もそう思ったみたいで」

記憶を手繰り寄せてみれば、ぽんぽんとされたのはちょうど修学旅行の話をしていたあの日だ。『お土産話たくさん聞かせてくださいね』と笑顔を投げた彼はカウンター越しになまえへ手を伸ばして、その栗色の頭を数回撫でたはず。でも、あんなに感覚の鋭い彼が窓の向こうの二人に気づいていなかったなんて。そんなこと有り得るだろうか。

「あ、私写真撮ってあげるよ!安室さんに送るんだよね?」
「いや、いいって!恥ずかしから!」
「大丈夫、大丈夫!ほら、そこに立って」

自分の手からスマホを奪った毛利の強引さも、鈴木と大して変わらないじゃないかと。悪態付きながらも素直に欄干を背もたれにピースしてしまうのは、この写真を受け取った彼の嬉し気な反応が易々と思い浮かぶからだ。彼女から返されたスマホに写っていた自分の姿は写真に収まるのが不服そうで、酷い顔だと思いながらも彼に送信メッセージを送る。もちろん誰も写っていない、綺麗な風景写真と一緒に。



「やっぱりでっかい風呂はいいよなー!」

ざぶんと湯船に飛び込んできた中道がそう叫べば広い大浴場によく響く。「一般のお客さんもいるんだから静かにしろよ」と諭せば彼はすぐにまずいという顔をした。ホテルの最上階にある大浴場は、外に京都の街灯りが見渡せる。どこまでも続く大通りに車のテールライトが並んでいた。

「やっぱり家の風呂じゃ足伸ばせないからさ」
「中道は体がでかいからな」

彼は体格のいい方だから、確かに普通の湯船ではなかなか難しいだろう。何気なく彼の方を見れば、太い首筋に水滴が流れていく。安室とは違ったそれに思わず目を逸らした。

安室と恋人関係になってしばらく経ち、そういう行為だってすでに経験済みだ。あの時、薄暗い部屋の中で彼の体を伝った汗の雫を思い出した。あの均等に筋肉のついた美しい褐色の肌に触れれば彼の優しい体温に包まれる。寄せ合ったお互いの体から香る汗と愛の匂いを思い出して、どうしようもなく体が熱くなった。

「ごめん、先上がるわ。のぼせそう」
「え、おい、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。先戻ってるね」

ぽかんとする中道を置き去りに一人洗い場に向かう。ぬるめのシャワーを浴びれば少しだけ冷静さを取り戻せた。友人の裸を見て、恋人との情事を思い出すなど本当に恥ずかしい。それもこんな修学旅行の真っ只中で。不謹慎にも程があるだろう。

「あっ…」

脱衣所で浴衣を引っ掛けてスマホを確認すると、今しがた脳内を占領していた彼からの着信が一件。掛かってきたのは十五分前。ちょうどポアロの閉店作業が終わった頃だろう。先に戻るとは言ったけど、部屋で電話するわけにはいかない。鈴木にも勘付かれていたし、これ以上変な噂が広まるのは避けたい。仕方なくホテルのロビーに移動し、折り返しを入れた。

『……もしもし?』
「あ、透さん?ごめん、お風呂入ってた」
『そうでしたか。いいなぁ、僕もなまえくんとお風呂入りたかったです』

本気なのか冗談なのか。そんなことを言う安室に、先ほどまで貴方の裸を想像してましたなんて口が裂けても言えるはずもなく、黙り込むことしか出来なかった。

『今日は清水寺に行ったんですね』
「うん、おみくじは大吉だったよ!」
『凄いじゃないですか!それに写真もすごく可愛かった』

あんな仏頂面可愛いわけないのに。「そんなことないよ」と言えば『そんなことありますよ』と返す彼はいつも自分に甘すぎる。

『ところで…工藤新一くんとも一緒なんでしたっけ?』
「うん、そうだよ?そういえば夕方から姿を見てないけど…」
『へぇ、そうですか』

彼の微妙な反応が気になったが、彼の本職は私立探偵だからきっと探偵として工藤には感じるものがあるのだろう。しかし、正直なところ彼の興味が自分から工藤へ移ってしまったのが寂しい。そんな彼の興味を引きたくて、ずっと思っていたことを口にした。

「あ、あのさ…透さん」
『なんですか?』
「俺……透さんと旅行したいな」
『えぇ、僕も。でも、いきなり旅行に行くのは君のご両親も心配するだろうから、まずは僕のうちにお泊まりするところから始めてみますか?』
「えっ!?」

此方が大袈裟に反応すればくすくすと笑う彼の優しい笑い声が耳に届く。お泊まりということは彼ももちろんそういうことを考えているのだろうけど。本当に今日の安室は冗談がきつい。そんな自分を相手に『まぁ、追い追いね』という彼は、やっぱり自分とは比べ物にならないほど遥かに大人だ。

『なまえくんの声が聞けて良かったです。明日も楽しんでくださいね』
「うん!透さんは?明日もポアロ?」
『いえ、明日は別件で…探偵の方を少し』
「そっか。お仕事頑張ってね!」
『えぇ、ではまた連絡します』

裸足のままロビーで話していたため、せっかくお風呂に入ったと言うのに足先が冷えきってしまった。しかし、その反面彼の優しい声が聞けて心はぽかぽかと温かい。その緩みきった頬はすっかり紅をさしたようにピンク色に色づいていた。

「ごめん、遅くなった!」
「おいー、みょうじ。誰と話してたんだよ?」
「えっ…えっとー…友達?」

なんてはぐらかしは全く通用しないだろう。ロビーの隅っこで話していたにもかかわらず、お土産店に立ち寄った友人たちにまんまと目撃され、部屋に戻ればこの集中攻撃だ。いつの間にか帰って来て寝込んでいた工藤に話を逸らすわけにもいかず、彼女か?彼氏か?とひたすらに尋問されるのを彼らが飽きるまでただただかわし続けるしかなかった。




2019.01.31

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