ジタバタ純情
桜咲く校門を潜り、念願の警察学校へ入校。授業に訓練と毎日が目まぐるしく過ぎ去り、気が付けば四月も終わりを迎えようとしていた。彼の仕事は順調だろうか。実は来年度から担任を持つことになったのだと。自分に務まるだろうかと、自信なさげに頬を掻いた表情が脳裏に蘇った。
お互いに新しい環境に身を置くのだから、当分連絡は控えめにしようと言ったのは自分の方だが、毎日がこんなに苦しいとは思わなかった。それはある意味、彼のことになると制御が効かなくなる自分自身への戒めでもあったが、一分一秒でもいいから声が聴きたいと何度思っただろうか。あの卒業式の日、やっとのことで想いを通わせることができたわけだが、その甘い時間に長期間浸ることもできずに全寮制の警察学校へ入校してしまった。最後に会った日の、不器用に撮れたツーショット写真を見て、少しだけ笑みが零れた。
同期が集まる食堂から離れて非常階段付近でアドレス帳を呼び出し、愛しい名前をタップする。この週末は僕たちに与えられた束の間の休日。初めての連休だ。出来ることなら彼に会いたい。そして、この腕で抱きしめたい。コールボタンに触れれば、すぐさま呼び出し音が流れて周囲に響いた。
『…もしもし』
「なまえさん、僕です」
『お疲れ様、零くん』
「その呼び方、まだ慣れませんね」
『じゃあ、降谷に戻す?』
「そんなことしたら許しませんよ」
他愛無い言葉のじゃれ合い。彼は付き合い始めてから呼び方を改めてくれたが、それに慣れないのは降谷自身であった。愛しい人の柔らかな声で名前を呼ばれると、どうも照れ臭さで体中がむずむずする。下の名前で呼んで欲しいと要望したのは自分の方なのに、おかしな話だ。
『連絡してくるなんて珍しいね。何かあった?』
「えぇ、明日から二連休なんです。なまえさんのお宅にお邪魔してもいいですか?」
二つ返事で答えが返ってくると思っていたのに、彼の返答は意外にも沈黙だった。
「何か予定でも?」
『あー、ごめん。明日研修なんだよね…。日曜日なら大丈夫なんだけど』
正直、個人的な用事なら離れ離れの恋人との逢瀬を優先してくれと言いたいところだったが、研修とあらば仕方ない。仮に個人的な都合だったとしても、そんな本音は口には出さないのだが。一日くらい逢えないことよりも、そんな我儘を言って彼に嫌われることの方が降谷にとっては比べ物にならないほど恐ろしい。
「わかりました。では、日曜日は空けておいてくれますか?」
『うん。楽しみにしてるね』
明日の予定は潰れてしまったが、約一ヶ月近く会えなかった日々を想えば一日でも一緒にいられるのなら満足だった。最後に彼に触れた時の温もりを思い出しながら、同期の待つテーブルへ踵を返した。
▽▽▽
予定がないと分かれば同期に連れ出されるのがオチだ。せっかくの休日なのだから昼過ぎまで寝てやろうかと思っていたが、同室の男が午前中から出かける準備をするものだから嫌でも目が覚めてしまった。
「俺、松田たちと遊びに行くけど零は?」
これが腐れ縁というやつだろうか。小さい頃から幼馴染の彼は、小学校、中学校、高校と。夢見る職業まで一緒だった。そして、寮の部屋まで同じとは。
「あー、どうしようかな」
「無理にとは言わないけど。暇なら一緒に行こうぜ。どうせ先生に会えなくて悶々としてんだろ?」
「……うるさい」
なんでもお見通しというこの男のにんまりとした笑顔を牽制しながら、結局は出かける結果になってしまった。あのまま部屋に閉じこもっていたとしても、一人鬱々とやり場のない気持ちを抱えていたことは明白だろう。あの時すぐに景光の言葉に言い返すことができなかったのだから。
警察学校生のできる遊びなんてたかが知れている。警察官としての自覚を高めている自分たちが、羽目を外しすぎて社会に迷惑をかけるわけにはいかない。昼食を食べて、ショッピングセンターで買い物。年頃の男の子にしてはだいぶ大人しいものだ。時間潰しに入ったカラオケを出た時、ぽつりぽつりと雨が降り始めていた。そういえば、今日の天気は午後から降水確率60%だったか。『今日は折り畳み傘を持っていった方が安心です』というアナウンサーの言葉を思い出したが、今まですっかり忘れていた。
「俺、傘持ってきたんだ。零こっち入れよ」
「あぁ、悪いな」
「やっぱり二人だと狭いなー」
「ヒロ、風邪引くからちゃんと入れよ」
「大丈夫だって、気にするなよ。あ、……あれ?」
男二人で一つの傘に収まるなんて、端から無理がある。お互いの肩がはみ出して雨がしとしとと上着を濡らしていた。それもそのはず。隣に並び歩く男は、自分より体つきが良いのだから仕方ない。そんな言葉を止めた彼の視線の先、そこにはまさかの人物がいた。
「……なまえさん」
「え、先生……いや、嘘だろ…」
それも一人ではない。二人だ。栗色のセミロングの髪をハーフアップにした女性と連れ添って歩いている。それも相合傘だなんて。こっちは男五人で寂しく暇な休日を過ごし、その上男二人で傘をさしているというのに。車道の向こう側を歩く彼はまだこちらには気づいていないようだ。じっと彼を観察すれば、自分に見せるいつもの愛らしさを潜ませ、誰にでも好かれそうな感じの良い青年の雰囲気を醸し出していた。
「おーい、お二人さん。何してんの?」
「早く行こうぜ。腹減ったんだけど」
「あぁ、ごめん。ほら、行くぞ零」
「……」
大した持ち金のない警察官の見習い風情が入れるお店など、チェーン展開のファミレスくらいしかない。それに比べて彼はどうだ。去り際に振り返って見た二人はお洒落な佇まいのイタリアンバルに入って行ったではないか。僕という恋人がいながらどういうことか、全く頭が追い付かない。高校の先生と、それも男性教師とお付き合いしていますだなんて。さらにはその男が見知らぬ女性と連れ添っている現場を見てしまって、落ち込んでいますだなんて。まだ出会って一ヶ月ほどの同期にはどうしても言えなくて、心の中にわだかまりを抱えたまま味のしない食事を詰め込み、話にも適当に相槌を打った。そんな自分の様子に特に違和感は感じなかったらしい。自分を取り繕うのは昔から得意な方だった。その方
が生きやすいからだ。たった二人、腐れ縁すぎる隣の幼馴染と愛しい恋人の前だけを除いては。
門限に間に合うようにお店を出て夜道を歩く。雨はすっかり上がっていたが、至る所できた水溜まりは外灯の明かりを反射していた。
「なぁ、零…」
「ん?」
「今から行ってこいよ、先生のとこ」
ジャリ、と彼の立ち止まる足音に自分も歩を止めて振り返った。小さい頃から変わらぬ釣り目の視線が鋭く射抜いてくる。時刻は21時半。門限まであと三十分で何ができるというのだ。行って帰ってくるだけでも優に時刻は過ぎてしまう。
「外泊届も出してないのに無理だよ、ばーか」
「馬鹿はお前だよ。そんなもの俺が代わりに出してやったさ」
だから心配しないで行ってこい、と。何かあったら俺が誤魔化してやるから、と笑い掛ける彼に背中を押されて今来た道を引き返す。擦れ違いざまに「ありがとう、ヒロ」と呟けば、「この貸しは高いぞ」と本日二度目のにんまり。その笑顔にこいつが親友で良かったと、心の底から強く感じた。
▽▽▽
五階の角部屋には明かりが灯っている。彼は既に帰宅済みのようだ。カラオケを出た大通りで見かけた際には絶望で溢れていたというのに、今は彼の自宅に近づくにつれ沸々と怒りに変わっている。僕が居ながら、何故あのような女性と…
ベルを立て続けに二回鳴らせば、おそらくインターホンで確認したであろう彼が焦って玄関先に飛び出してきた。
「零くん!?来るの明日って……え、あっ、ちょっと!」
体一つ分開けたドアを押し入り、彼の手首を掴んではリビングへ引き摺り半分に連れ、ソファーに突き飛ばした。小さく呻いた彼の声に罪悪感が湧かないわけではなかったが、今は怒りの方が勝っている。
「ねぇ、零くん!どういうこと?」
「それはこっちの台詞です」
起き上がろうとする肩を掴んで、ソファーに縫い付ける。まるで押し倒している構図だ。甘い雰囲気も、情事が始まりそうなムードもへったくれもないが。予告もなく現れ、それも突然に怒りをぶつけられたなまえとしては、見たことのない降谷の姿に怯えを隠せないでいた。そんな彼の様子に降谷の怒りのボルテージはさらに高まる。あの女性に柔らかく笑いかけていた視線で自分も見つめてほしかったのに。こんな表情をさせているのは自分の所為だと知りながらも、やるせない思いをどう処理したらい良いか分からずに、怒りと焦りと悔しさをない交ぜにして口づけという形で彼に押し付けた。唇を塞ぎながら、彼のシャツをはだけさせ、露になった首筋に噛みついた。
「あっ…やだ、待って……っ!」
「待ちません」
「ちょっと…!」
執拗に彼の首を食み、白い肌へ赤黒く鬱血した所有印を刻み付けた。これで当分消えることはないだろう。
「なまえさん……あの女性とはどういう関係なんですか…」
「…え?」
恐怖で瞑っていた目を丸くして見上げるなまえのそれにはうっすらと涙が溜まっている。おそらく生理的に溢れたものだろう。
「一緒に傘をさして、レストランに入って行ったでしょう」
「……見てたの?」
「質問しているのは此方ですよ!」
鋭く冷たく、まるで犯罪者を糾弾するような視線に怯えていたはずが、途端にふっと笑みを零す。そんななまえに調子を崩されるのは降谷の方だった。有利に立っているのは此方のはずなのに、どうして…
「零くん。嫉妬、してるんでしょ?」
「……余裕ぶったって無駄ですよ」
「嬉しいって言ったら怒る?」
「だから、質問に答えてくださいよ!」
結局、余裕を失ったのも、主導権を取られたのも降谷の方だ。彼を前にするとどうしていつも思った通りに行かないのだろう。こんな風に乱暴に怒りをぶつけるつもりなど無かった。ただ単に、自分が一番だと言って欲しかっただけなのに。
「彼女は大学の同期なんだ。今日、偶然研修で会って、懐かしくて食事に行こうってなったんだけど…」
肩を押さえつけられていた腕を押しのけて、なまえは降谷の首に手を回した。そっと優しく引き寄せて温かな笑みを向ける。これが、ずっと降谷が求めていた笑顔だった。冷え切っていた心の奥底に、ぽっと火が灯るのを感じた。
「でも、ちゃんと零くんのこと考えられてなかったよね。ごめんね」
「なまえさん…」
「本当にごめんなさい」
こんなにも真っ直ぐに謝られてしまってはもう怒る理由などどこにも見つからない。降谷の首にぎゅっとしがみついたなまえの浮いた背中に手を回して、思いっきり抱きしめた。
「僕もすみません。こんな乱暴なことして…」
「ううん、大丈夫」
なまえを抱き起して、もう一度正面から腕を回す。シャツの隙間から見えた赤い刻印に、満たされた征服欲と少しの罪悪感を覚えた。
「零くん、急いで来てくれたんだね」
「どういうことですか?」
「だって、裾が汚れてるもん」
指摘されてパンツの裾を見れば、かなりの泥跳ねが付いていた。それは自分が走ってきた紛れもない証拠。思い込みで彼を疑い、力任せに彼を押さえつけようとした自分が恥ずかしい。それも警察官になろうしている者が。
「でも、嬉しかった」
「なまえさん…貴方という人は本当に」
「おかしい?」
卒業以前は逃げ続けていた彼が、こんなにも重過ぎる愛を向けられて喜びを感じるなど誰が思っていただろうか。もしかして、彼は自分自身がこうなることを分かっていて距離を置いていたのではないかと。そう思えば合点がいく。
「零くん、大好きだよ」
触れ合った唇から彼の愛が伝わる。初めて彼から与えられたこの温もりを、僕は一生忘れることはないだろう。
…to be continued
2019.02.08
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