前途多難な愛のレシピ
沸々と煮立つ生クリーム。そして刻まれたチョコレート。浮かれ気分で準備するのは大好きな彼に渡す予定のプレゼント。何故なら明日は年に一度の愛を伝える日・バレンタインデーだからだ。
「えっと、次はチョコレートを入れてっと……」
カウンターに置いたスマホの小さな画面を覗き込みながら次の手順を確認する。兄のために栄養バランスの取れた食事を作るようになり料理は手馴れているものの、やはりお菓子作りとなると勝手が異なる。同じく料理上手の降谷が『お菓子は繊細だから、分量に気をつけないといけないんだよ』と言っていたのを思い出した。
あの日、彼が作ってくれた誕生日ケーキは本当に美味しかった。たくさんの手料理でお腹一杯になってしまったため、彼の提案通りにケーキは自宅に持ち帰り兄といただいたわけだが、スポンジの硬さもクリームの甘さも全てが絶妙だった。兄と話している中で、以前に降谷が作りすぎてしまった料理をお弁当として分けてもらったという話を聞き、羨ましくて仕方なかった。自分だって彼にお弁当を作ってもらって大学に持って行きたいくらいだが、流石に忙しい彼にそこまではお願いできない。『降谷さんが作ってくれたバゲットが本当に美味しくて…』と楽しそうに話す兄は降谷のことを上司としても、一人の人間としてもかなり慕っているようだった。
とはいえ、まだ正式に交際を認めてもらったわけではない。兄がいない時間帯にチョコレートを作ってしまおうと思っているのは多少の後ろめたさが残っているから。今日休みの彼は朝方までゲームをしていたようで、昼近くにも拘らずまだ布団と仲良しこよしだ。休みの前はいつもそうだから仕方ない。普段は忙しさを極めている兄のこと、休みくらいは思いっきり好きなことをさせてあげたいと呆れながらも何も言わずにいる。もちろんそれは降谷にもだ。彼に知られてしまったら、きっと兄は何か言われてしまうだろうから。
「うーん、こんなもんでいいのかな…」
温めた生クリームにチョコレートを投入しくるくると掻き混ぜる。次第に溶け始めたそれが混ざり合い、ホワイトとブラウンのマーブル状になる。ダマをなくすように均等にヘラを動かしていけば綺麗に溶け合った。今作っているのはトリュフだ。サークルのメンバーと食事をしている時にバレンタインの話になり、今年は彼氏に何をあげようか。何を作ろうかと話している中、『作るなら何が一番簡単なの?』と聞いたところ教えてもらったのがトリュフだったというわけだ。それを聞くのも不自然にならないように繕うのが大変だった。何故男の自分がそんなことを気にするのかと聞かれたら、また答えるのに苦慮してしまう。
「ん?」
横に置かれたスマホが振動音を立てて着信を告げた。表示された名前に一気に胸が高鳴る。チョコレートが垂れないようにヘラをおいて通話ボタンを押した。
「もしもし、零さん?」
『今忙しかったか?』
すぐにこちらの様子を察知する彼はやはり洞察力に優れている。恐らくいつもより電話に出るのが遅かったから気になったのだろう。
「ううん、大丈夫。どうしたの?」
『いや、明日の話なんだが。少し待ち合わせを早めても良いかな?』
「うん。明日は一限だけだから、11時くらいから大丈夫だよ!」
『そうか、良かった』
元々待ち合わせしていたのは午後からだったはず。今年のバレンタインは平日だが、時間が合えば会いたいと話したところ、当日は午前中で仕事が終わるから午後なら会えると言ってくれたのだ。
「零さん仕事は?」
『明日の会議は延期になったから問題ないよ。それよりなまえと少しでも長く会いたくて。ほら、最近会えてなかっただろ?』
普段から多忙な彼だが、近頃は特に仕事が立て込んでいたようで連絡を取れない日もたびたびあった。デートというデートも一ヶ月以上出来ていなかったが、なんだかんだで心配性で弟を溺愛している兄が降谷の近況を教えてくれていたからこそ、不安は全く無かった。しかし、会いたい、触れたいという欲望は幾度となく湧いてくる。彼を困らせないように出来る限り我儘を言わないように努めていたのだが、その彼が会いたいと思ってくれていたことが嬉しくて仕方がない。『明日楽しみにしている』と言った彼の声色がいつもより弾んでいたのは気のせいでなければ良いと思った。
歳の離れた彼に渡すもの。甘ったるいものよりも、彼に見合った大人っぽいものを渡したくて買ってきたブランデーを少量垂らした。スプーンで掬い、味見をすれば実際にブランデーの香りが口いっぱいに広がった。
ガタンと奥から聞こえた物音にびくりと肩が揺れる。寝ていたはずの兄が起きてきたようだ。兄がいないうちに、と思っていたが降谷と電話している間に思いのほか時間が経っていたようだ。
「兄さん、おはよう。お昼ごはん作ろうか?」
「あぁ……ん?チョコレートか」
眠たい目をこすりながら、寝巻きのままの兄に声をかけるが、この時間におはようとはどうも可笑しい。時刻は既にPMである。
「あ、うん。明日、降谷さんに渡すんだ」
気まずそうにそう告げれば、彼は無言のまま引き出しを開けスプーンを取り出した。小言を言われるかと思っていたが、予想外の行動を取り始めた彼になまえが戸惑っていると、そのスプーンで同じようにチョコレートを掬い、ぱくりと口に含む。
「……兄さん?」
なまえが呼びかけるも、彼の反応はない。ただ眉間に皺を寄せ、何かを考え込んでいるようだ。自分の味見では大丈夫だと思っていたが、どこかおかしいところがあっただろうか。兄はチョコレート好きだし、いろいろ思うところがあるのかもしれないが。
「なまえ……」
「うん?」
「降谷さんに渡すのだったら、もう少しビターな方がいい。あの人はカカオが濃い方が好みだからな」
小言を言われるどころか、まさかの助言。なまえがきょとんとしていると加えて「でも、美味しく出来てると思うぞ」と一言。
「兄さん、どうしてそんなこと分かるの?」
「あぁ、仕事の合間にチョコレートを食べていたら一つ欲しいと言われてな。どれが良いかと選んでもらったらビターを取っていたぞ」
「そうなんだ。ありがとう、兄さん!」
そんな彼のアドバイスに、また一つ降谷との関係を認めてもらえたようで嬉しくなる。
「兄さん、お昼は何が食べたい?」
「なまえが作るなら何でもいい」
「いっつもそれ。そんなこと言わないでたまには選んでよー」
「いや、なまえ作りやすいもので構わない」
と、結局のところみんななまえに甘い。兄のお昼ご飯を作ったら、近くのお店にビターなチョコレートを買いに行こう。そして兄にはとびっきりスイートなものを作ろうと心に決めたのだった。
…to be continued
2019.02.14
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