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僕の家に来ますか?なんて。自分で言ってしまってから驚いた。どちらかと言えば自分は他人を家には上げたくない方だし、プライベートな空間はしっかり保っておきたいタイプだったはずだ。それに厳重に隠してはあるが、公安の人間として、そして組織の人間として。見られてはならないものもたくさんある。いくら彼に帰る家がないからとはいえ、こんなことを口にしまうなんて。

「でも、そんなの悪いし」
「大丈夫ですよ。気にしないでください」

しかし、その気持ちは本当だった。客と店員として以前から顔見知りだったというわけではなく、彼にはどこか自分のテリトリーに招いても大丈夫だという安心感があった。

「帰りましょうか」

また彼があれこれ言いだす前に、結論を出してしまう。なまえはしぶしぶといった表情で立ち上がる。マスターと梓に退勤を告げポアロを出ると、彼は半歩後ろをついてくる。 冷蔵庫の中身を思い出し、今ある材料で夕飯は何とかなるだろうと思った。いつも作り過ぎてしまうのは食材が余分に置いてあるせいだろう。今日はそれが役に立ちそうだ。 寝巻やタオルは自分のものを貸すことはできるが、さすがに下着や歯ブラシといったものは難しいと思い途中でコンビニで立ち寄る。必要なものを買うついでに、最近発売したばかりだという新作のシュークリームを二つかごに入れた。

のんびり帰路を歩きながらお互いの情報を交換し合う。ポアロでアルバイトをしながら探偵をしていること。車が趣味であること。トレーニングが日課であること。料理が得意であること。それに年齢も。なまえが数個下だということがわかって「そんなに堅苦しくしなくていいですよ」と言われたため、呼び方をなまえくんに改めた。社会人になると多少の年齢差は気にしなくなるというのはよくある話で、自分に対しても気を使いすぎなくていいように念押ししておいた。
一方でなまえは至って普通の人間だった。大学は誰でも知っているような有名な学校の出身で、仕事も都心の会社で営業企画をしているようだった。公安警察という特殊な仕事をしている自分と比べたら、あまりにも普通だ。

「どうぞ」
「お邪魔します」

人を招くことがないため、来客用のスリッパがなかったがなまえは全く気にしていないようだった。家に人をあげたのなんて何年ぶりだろう。思い出せる限りでもここ二、三年はないだろう。それに家に招いたのなんてヤツくらいだ。遠い昔の記憶。もう今は亡き大切な友人―。
買ってきたデザートを冷蔵庫にしまい、風呂を沸かす。他人の家はやはり落ち着かないのか、リビングの端に立ったまま部屋のあちこちを見まわしている。

「そんなに見ても面白いものは出てきませんよ」
「あっ、そういうわけじゃなくて…」
「ははっ、わかってますよ。よかったら先にお風呂入ってください。今沸かしてますから」

なまえが風呂に入っている間に夕飯を作れば、ちょうど良いタイミングで食べられると思った。寝巻代わりのスウェットとタオルを渡して風呂に向かわせる。振り返って「ごめんなさい。お邪魔してるのに先に使わせてもらって」と言うが、逆に客なのだからそれが道理ではないだろうか。「気にしないで」とそっと背中を押した。

「あ、待って。これ、ここに置いといていいですか?」

そっと薬指のリングを外してテレビボードに置く。

「じゃあ、お先に」

足音が洗面所に消えて、無音の空間が広がる。次第に遠くからシャワーを捻る音が聞こえた。テレビボードに置かれたあの銀のリングだけが嫌なほどに妙な存在感を示していた。




2018.08.19

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